剪定 Liszt
庭木を手入れするときは、いいかい、枝を「切る」んじゃないよ、
「剪る」んだよ。ろくに世話もしないで伸び放題にしておいて、そ
のうち邪魔になったので、めったやたらに切り落とすなんて、愛も
理屈もあったもんじゃない。街路樹も同じだ。台風のときに電線に
当たって危ないからって、枝の途中でバッサリと寸胴切りにするな
んて、もはや樹への虐待さ。だいたいそんな具合にやみくもに枝を
切ると、花も実もつかなくなるし、切り口から病気になって、枯れ
てしまうことだってある。
そもそも、樹はいったいぜんたい何の必要があって、こうして人間
に付き合っているのだろう?いや、太古の昔から自然の中で生きて
きて、今さら人の助けなど必要なはずもない。緑に癒されたい、綺
麗な花を愛でたい、と思って身近に樹を植えるのは人間の勝手な都
合であって、もともと樹にはこちらに付き合う義理などない。人間
と一緒にいるからこそ、やれ、茂りすぎて邪魔になるだの、落ち葉
の掃除が大変だのと、痛くもない腹を探られる羽目になる。それば
かりか無残な切り方をされて痛々しいことこの上ない。
だからこそ「切ってやる」じゃなく「切らせてもらう」という気持
ちで樹々を手入れしてほしい。考えもなしにバッサリ切るのではな
く、ちゃんと枝を一本一本吟味して、切るべき枝を選んで切る―こ
れが「剪る」という言葉の意味だ。そして、傷口ができるだけ小さ
くなるように、剪る位置と角度に気をつけてほしい。そうすれば病
気になりにくい。要は人間を育てるのと同じさ。いろいろと手をか
けないといけない。
こうして心を砕き愛情を持って手入れすれば、見境なく切り刻んだ
のに比べてずっと樹の形も整い、自然な美しい姿を楽しめる。残す
べき枝を残しているから、花を咲かせ実を味わうことだってできる。
何より「剪定」は人間の健康にもいい。たまの休日、青空のもと、
木ばさみをサクッ、サクッと言わせながら作業しているうちに、い
つのまにかこちらの呼吸も整い心臓の鼓動も規則正しくなってくる。
そんなとき耳を澄ませてみるといい、きっと樹がこちらに語りかけ
る言葉が聞き取れるから。心が通じ合い、かけがえのない友人を得
た気分になる。そうなれば、もうしめたものさ。素敵な休日になる
こと請け合いだ。
参考文献:木下透「剪定『コツ』の教科書」講談社(2022)