できないぞ、僕は。 トキ・ケッコウ
僕は(免許は持っているけれど)車の運転ができない‥‥嘘みたいな話だけれどこれは本当のことだ
その昔に「免許はあげるけれど君は運転しないほうがいい」と教習所の教官からきっぱり言われた(卒検という最後の検定試験の時だった)
でもそれはまったくもってその教官の言う通りだった、だって僕は実はその卒検で合計五回も落っこちていたのだ
だからそう言われてから40年のあいだ、僕は教官の言いつけを守って一切運転をしなかった、ただし都合二回どうしてもというときは除いて‥‥でもその時はマジで
口からタマシイが出たか、と思った
それにしても‥‥右折とか左折とか一時停止とか車庫入れとか
どうしてみんなあんなに上手に車を操ることができるんだろうか?‥‥ともあれ
ただただ、アクセルを踏んでひたすら前に進むことだけが
僕にはできるんだ
*
僕は鼻をかむことができない‥‥これは少し微妙な感じだ
花粉症なのか蓄膿症なのか常に鼻が詰まるのだが
いざ鼻をかむとなるとその瞬間に僕の鼻は「通用する」のだ
まるでいままで刑事さんを手こずらせていた凶悪犯が何を思ったのか急に「語るに落ちる」という、そんな感じ
だから僕の鼻は鼻水がちょこっと穴から顔を出していることが多くて、それを気にしてポケットからティッシュを引っ張り出すと
そのうちお尻からいわゆる「シリコダマ」が出るかもわからんゾ、なんて思う
それにしても‥‥チン! とか、ブフ! とか
どうしてみんなあんなに上手に鼻がかめるんだろう‥‥ともあれ
ただただ、だらしなく垂れてくる鼻水を手近のティッシュペーパーで拭うことだけが
僕にはできるんだ
*
僕はうまく生きることができない‥‥いきなり深刻だ
そもそも僕が生まれてきたこと自体が冒険だったんだが、これには少し解説が要る‥‥それは僕が生まれる前のこと
「ようし!いっちょう行ってみるかあ!」
その昔、アメリカ空軍の戦闘機に爆弾にまたがったグラマーな女の子の絵が描いてあった気がするのだけれど
あれとそっくりの様相で僕は僕の父親の精子の上にまたがっていたのだ‥‥そうやって母親の胎内をずんずんとばかりに突き進んでいった
そうしたらいつまで経っても断崖絶壁みたいなところを、その壁スレスレをかするように飛んでいくだけでちっとも目標にたどり着かないのだ、焦りはしなかったと記憶してる、でもあまりいい気はしなかった
そうこうするうち目の前から巨大な赤い津波が僕に向かって押し寄せてきて
‥‥あっというまに僕はそれに飲み込まれて意識を失っちまったというわけだった
もちろん、もう同じチャレンジはしなくっていい‥‥現に僕はこうして産まれて生きているからだが
それにしても‥‥愛してるとか一緒になろうとか言って、言い合って、どうしてみんなうまい具合に世を渡って生きていけてるんだろうか‥‥ともあれ
ただただ、誰の真似をすることもなく生きていくことだけが
*
僕には、できるんだ。