評、12/5~12/8、ご投稿分、その1。 島 秀生
●トキ・ケッコウさん「「嘘」にまつわるインタビュー」
私は、アリスの、三人が木の周りを回って、「自分こそが先頭だ」と言い合ってるルイス・キャロル風のユーモアの方が好きなんですけどね・・・。
この詩は、嘘について書くおもしろさはあるんですが、全体を通した意図として、言葉への礼賛なのか、皮肉なのか、危険を知らせているのか、なんなのか、いまいち意図が見えない。
嘘が本当になるまで言えばいいというが、くりかえし言って「洗脳」になる場合もあるので、そこも一概に賛同できないし。
(今回の脈絡においては特に触れる必要はないと思いますが、「嘘をつく」の話になると、本当は「悪意の嘘」(詐欺的な)に配慮した予防線となる言葉も本当は置いておく必要が出てきます)
「ことば自身と遊び回ってしまった挙句」にバターになるってのは、楽しさだけで意味のないところにおちるってことなんだろうか???(「溶けた虎」の解釈も、定まったものでなく、分かれてると思うんですが)
各国の各ジャンルの人とのインタビューのところは単純に楽しめるのでそこはいいんですが、それらの話をどう取りまとめるんだろうと期待したところ、どっこい、(途中の結論)のところが一番わからない。
そりゃま、言葉で嘘つくのが一番つきやすいだろうけど、そこはそうですけど、話はそれで終りなんだろうか? その先の意図がどうも私には見えません。
なんとなく・・・少し筆が滑ってるような感じも・・・してしまうん・・・ですが。
ゴメンナサイ、ちょっとこれは、半歩前とさせて頂きますね。
●岡本 康平(社不)さん「月の裏側」
なるほど・・・。
私の場合、ロマンチックよりも、満月より三日月の方が梯子が引っ掛けやすそうだ、という理由で、スルッと詩に入れました。作者が意図してたかどうかわかりませんが、形状からの発想として、一理あるなあーと、勝手に納得していました。
3連まで、完全に月の裏側にいる感で書かれていますから、この詩はそのままそれを通した方がいいんじゃないでしょうかねえ?
その観点からいうと、4連が地球から見てる感覚に戻ってしまってるので、結構ジャマなのです。特に風がいけない。月に、地球的な意味の「風」はないので、月の裏側にいるつもりなら、最低限、風は削除ですね。
12月の 深く濃い宇宙(そら)
月の裏側で
あの日君と見た映画を
思い出そうとしているよ
4連以降は、こんな感じに、月の裏側にいる感になりきった方がいいと思います。呼びかけの末尾「よ」も、最後まで生かした方がいいと思います。
一考下さい。
でも、ロマンチックで、雰囲気あって、いい詩ですよ。私にはこんなこと言う相手はいないけど、誰かに言ってみたいものです。
社不さんは初めてなので、今回は感想のみになります。
●aristotles200さん「継ぐものたち」
まあ、途中からオチが見えるといえば、見えるんだが、でも最後まで手を抜かずに、キレイにきちんと描いてくれました。人間の負のファクターまでがデータ化されていて、それがアンドロイドにまでインプットされるため、結果は人間がしたことと同じになる、というアイロニーに満ちていますし、なにより未来世界が、細部に至るまで設定して描かれていて、ワールドの広がり感が凄かった。すっかり浸れました。とても丁寧な仕事でした。作品そのものの魅力もありますので加味して、名作&代表作入りを。
「同期する」「同期が不可能となる」の言葉で語られてるのは、新しいね。この言葉を使うと、一致・不一致の別が簡単に明瞭となる。逆に「同期」の言葉がなかったら、そこのズレが始まる表現に、ひと苦労するところ。近年まで、この言葉のこの使い方は、なかったんですよね。新しい言葉はなんでもOKではなくて、すぐに消えてしまうような言葉は不可で、普及度合いと経年の定着性を見ないと、詩に使える・使えないがあるんです。この言葉はもう詩の上でも大丈夫な言葉と私も思う。的確な判断でしたね。
一個だけいうと、
最初は一個の惑星だったので、「256億体存在している」としたあとで。(一個の惑星に256億体がいるのではなく)、いまや、いくつもの植民星を起動させて、移り住んでいる、という説明を入れてから、「惑星連邦」の名を出してほしかった。
最初に「惑星連邦」の、そうした広がりについて、スケール感について、述べておかないと、あとの「全て崩壊した」の言葉のところで、戦争の規模の大きさ感が全く出てこない。
どうもそこだけ「惑星連邦」の言葉だけに頼って、「連邦」だからスケール感わかるだろう、みたいな感じで、ものすごく略した感がありました。そのため、「全て崩壊」の時に、スケール感が全く感じられなかった。ただ「連邦」っていう言葉があるだけって感じでした。
そこだけ、ちょっと補強してもらった方がいいと思います。
●ゆづはさん「消えゆく声」
終連は、これから先も、陽だまりを思う時に、いつもこの幻影が浮かんでくることだろう、といった強い意志を感じるシーンでした。
ステキなシーンでした。
これは想像ですが、お母さんは、自分の病気を知っているけれど、作者への気遣いから、作者には話さないようにしている。隠している(「どこか悲しみが潜んでいる」で表現されるところ)。しかしながら作者はその隠し事を、実は知っている(終連冒頭の「知っている」が意味するところ)。ということでは、ないのだろうか。
そう考えると、言葉の端々の意の辻褄があってくるので。
この詩の全体解釈として迷うのは、よく喉のポリープなどで声をなくしてしまう人がいるんですが、そのことを言っているのか、それとも命そのもののことを言っているのか、です。
喉のことだけを言ってるなら、「手を洗う水音」の連があるのは、合致しないシーンになりますし。また初連の、折れ曲がった指先をはじめ、初連から感じられる風貌からは、かなりご高齢の方と思われ、後者にも思えてしまうのです。なにか、先が長くないと思えるご病気をお持ちなのかもしれませんね。
そこがね、全体解釈として、一番迷うとこでした。ですので、そこの判断ができるヒントが、もう一個あるといいですね。そこだけお願いしたいです。
それにしても、各連とも、美しい表現で綴られていて、ステキですね。
年寄りの指って、なんであんなに曲がってるんだろう? あれ、余計に悲しくなりますよね。
ちょっと注文が一つあったので、おまけ名作くらいで。
●荒木章太郎さん「地球人」
前半、優れた思考で、「考古学」「神話」「信仰」「重力」「哲学」と、それぞれに興味深い解釈が展開されます。それぞれ、なかなかおもしろいと思う。
そしてそれらは、初行で「俺は過去に生きていた」と語る由縁となるものでしょう。それら過去のものに学んできたという意で、5つのものが包括されるのだと思います。
で、後半は後半でおもしろいのですが、ここで注意したいのは、考古学が典型的にそうであるように、今という時点から過去を遡るものであります。つまり前半において、自分は今、現在にいるわけです。
過去にいるのであれば、大きな石に刻むのも自然なのですが、前半は過去に学んでいるだけで過去にいるわけではありません。そこの整合性だけ気になるんです。
ついては、石に刻むのは喩え的な表現であって、実際に(作者が)石に刻む時代に生きてると誤解されない方がいいと思うのです。
その意味の調整で、3連は、
異星人は言葉を使わないのだろうか
地球人である俺は
大きな石に生きざまを彫ろう
真実の欠片を刻み込もう
正しいかどうかではなく
それが信じるための過程なのだ
これくらいの言い方にしてはどうでしょうか? (これに伴い、終連も一部、言い回しの調整が必要になりますが)
ちょっとこの点だけ提案しておきたいです。
前半の思考は良かった。(荒木さんなので、ちょっとキビシメで)秀作を。