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スレッドNo.6736

12/30〜1 /1 ご投稿分の感想です。 紗野玲空

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
12/30〜1/1にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩をありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。

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☆「I Owe You?」 佐々木礫さま

佐々木礫さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

題の「I Owe You?」 は、直訳すれば
「私は君に借りがある?」という意味ですね。

冒頭が印象的です。
〈俺は密度を愛せない。〉といいながら、俺は極端に密度の高い空間・記憶・感情に引きずり込まれていきます。
〈抽象的な言葉が嫌いだ。〉としながら、最終的に俺を支配するのは、抽象的で曖昧な「女/記憶/時間」です。
この冒頭の自己規定を、次々に無効化し、読者を不安定な感覚へ導いてゆくのが、本詩の大きな魅力の一つであるように感じました。

人通りのある街……日常的な情景から出発しながら、路地裏と扉を経て異界へ踏み込んでいく過程はごく自然で、読者は物語の奥へと導かれてゆきます。
沈黙する女、勝手に回転するターンテーブル……意味を持たないはずのものが意味を孕みゆく描写が、抒情豊かに描かれています。
これらの描写は単なる情景の積み重ねではなく、俺の感情の振幅としても機能しています。
読者も、理解する以前に、まず俺と共に揺さぶられることになりますね。
中盤、涙が物質として床に流れ、記憶の圧縮物として俺を侵食しに来る場面は、本作の核といえるでしょう。
詳細な描写は詩的であり、佐々木さんの個性が一際発揮されている場面だと思います。
異界の密度が極限まで高まったところで、竹林での回想に詩文は移ります。
急に光・水・少年といった開かれた感覚が差し込まれることで、時間は一度ほぐれます。
幼い選択と後悔の原型として、女の存在は、忘れたつもりでも、関わらないと決めても、人生のどこかで必ず連れ戻される過去として位置づけられているように思われます。
場面の緩急により、あとの連で描かれる「所有」の感覚や恐ろしさが、より強調されているように感じました。
竹林の場面を挟むことで、恐怖はかつて自分が選び損ねた現実に接続されたと読めます。
終盤の「所有」への恐怖は、憎しみさえも回収してしまう愛の暴力性として結晶化し、読後、形容し難い不安感を残します。

拝読後、詩題が直訳以上に、複雑な詩的な含意を持っていることに気付かされました。
owe という言葉の中には、金銭的な借りだけでない、義務や負い目、取り立てられる感情、逃れられない関係性などが含まれているように思います。
つまり I owe you は「借りている」「義務がある」よりもずっと重く、「支配」「拘束」「未精算の関係」を孕んだ言葉だと推測されます。
女(=記憶/過去/失われた時間)は俺に対して何も要求してはいませんが、確実に「支払い」を待っている存在です。沈黙し、微笑み、涙を流し、最後には俺を「所有」してしまう⋯…。
最後まで拝読し、詩中で女の口が形作る i-o-u は、愛の言葉ではなく「借用証書」である意味がやっと理解できました。
愛だと思っていたものは、実は未清算の記憶に対する請求ではないのかという、詩全体の漠然とした恐怖は、題において見事に集約されていると分かるのです。

本作は、行分けや韻律による整理を行わない散文詩として、意識の流れに沿って場面と時間を連続させることに、充分成功していると思います。
記憶の侵入や感覚の濁流がそのまま提示され、形式と主題の両面において、非常に優れた作品であると感じました。

このままでも、充分に素晴らしい作品ですが、「激しく憎んでいる」「たまらなく恐ろしい」といった感情の直接表現をもう一工夫されると、より詩としての完成度があがるかと思います。
また、比喩や象徴の密度が全体を通して高いため、部分的に簡潔な記述を挟んでみるのもよいかもしれません。
より象徴を際立たせる可能性もあるように思われました。

御作、佳作とさせていただきます。
(初めての方だったかもしれませんが佳き作品でしたので)
ありがとうございました。



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☆「黒豆を煮る」 ゆづはさま

ゆづはさま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

私もちょうど、拝読しながら、お正月準備のために黒豆を煮ておりました。
煮汁を作り、豆を浸して一晩寝かせ、ことことと煮る時間はとても幸せな時間です。
作品を拝読させていただき、さらに豆を煮る行為に多くの気づきを得られたように思いました。 
ありがとうございます。

黒豆を煮るという台所仕事を通して、時間の流れや変化に伴う静かな美しさが描かれています。
黒豆を煮る行程の目に見える変化が詩には綴られていますが、情景描写から、豆を煮る人の内面的なことまでも伝わってくるのが本詩の大きな魅力です。
立ち昇る湯気や豆の「独り言」が、家全体に冬の温もりを運ぶ描写は、生活の細やかな感覚や安心感を鮮やかに伝えています。
冷たく硬かった豆の芯がゆっくり緩む過程は、時間の浸透によって変化するものの力や、今年を無事に見送ることができる安堵感も感じられます。
煮上がった黒豆が以前とは異なる柔らかな光を放つ描写は、日常の営みや手間の積み重ねが生む豊かさを示しているようであります。
作品を拝読し、石垣りんさんの詩を思い出しました。
言葉の密度を抑え、日常の所作のなかに沈む感覚を丁寧に掬い上げる表現は、個人的にも非常に好みでした。

御作、佳作とさせていただきます。
(初めての方だったかもしれませんが佳き作品でしたので)
ありがとうございました。



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☆「人形ドリーの話」 上原有栖さま

上原有栖さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

球体関節人形の「ドリー」の一人称を通して、「人間性はどこに宿るのか」を静かに問いかける詩ですね。
可愛らしい自己紹介……しなやかに動く身体、みんなに褒められる外見を語ってゆく背景には、人形が人に近づこうとする欲望が自然に示されていると感じます。
しかし2連の半ばから、血の流れない腕、化学繊維の髪、貼り付いた微笑みといった自己認識が挿入されます。
生き物としての感情と、物としての現実とが鋭く切り分けられ、「人形は人間になれない」という決定的な事実が突きつけられます。
ドリーと人間との間に横たわる越えられない隔たりが、静かな残酷さを伴って浮かび上がってくるように感じます。
3連では、〈一緒にお話したいな〉〈一緒に旅行したいな〉とドリーの願望が繰り返されます。
〈所詮は人の姿を模したもの〉であるドリーの切実な願いは、可愛らしい語り口で語られるがゆえに、一層、悲哀を誘います。
4連で提示される「魂21グラム」の逸話は、人間を人間たらしめるものが数値化されています。
〈ヒトをヒトたらしめている〉魂の重さを〈とても軽い 軽いわね〉というドリー。
重さにしたらそんなに軽いものなのか…私自身も驚かされ、ドリーの語りに導かれ、改めてヒトの魂の重さについて考えさせられました。
魂を失った人間の身体が「人形のよう」に見えるのではないかという問いは、人形と人間の境界を逆転させるものであり、読者自身をその狭間に立たせます。
魂の形、色……ドリーの疑問は、人形であるドリーの疑問に留まらず、ヒトである私たちの疑問でもあることに気付かされます。
最後の〈あなたは、だあれ?〉という呼びかけは、ドリーの語りを成立させている読者(ヒト)の、ヒトとしての立場そのものを揺さぶる問いだと思います。

一点だけ申し上げるならば、「可愛い」「素敵」といった評価語は便利ですが、やや直接的すぎるかもしれません。
部分的に具体的な表現に置き換えると、詩としてさらに深みが増すかと存じます。

人形に声を与えることで、人間の孤独と欲望を照らし返す構造は非常に完成度が高く、個人的にも強く印象に残る作品でした。

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。



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☆「眩しい」 荒木章太郎さま

荒木章太郎さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

強い光に包まれた現代の日常から詩は静かに始まります。
イルミネーションに満ちた夜は華やかである。そして、夜空にあった神話は更新されないまま消えてしまった…きれいだけれど、どこか空虚な世界の感触がここで示されています。
2連では、眠ろうとしても深く眠りに沈めない状態が描かれます。
明るさに慣らされた身体と心は、闇に身を委ねることができず、意識は浅いところで跳ね続けています。
ここには、休めない現代人の感覚が重なります。
3連……魂や存在が数値に変換され、比べられるものになる場面。
人の内面までもが軽く扱われてしまう不安が表れます。
4連……深く考えて心の奥へ沈もうとするけれど、途中で止められてしまう状態が描かれています。
本来なら無意識と呼べるほど暗い場所が、ここでは〈あまりに明るい〉。
つまり、安心で整理された内面のせいで、混沌や本音の深さに届かない、そのもどかしさが表されているように感じます。
5〜7連……巨大な企業や相互に評価し合う群れの描写からは、私たちが知らず知らずのうちに監視と是正の中で生きている現実が見えてきます。
〈安全で清潔で善意の光〉は、疑いなく正しいもののようで、だからこそ逃げ場がありません。

やがて詩は、糠床という意外な場所へと降りていきます。忘れられ、黄ばんだ記憶が発酵し続ける底の世界は、明るさから切り離された感覚の領域のように感じられます。
ここでは、言葉にならない匂いや味が、確かに生きています。
終盤……〈心は宇宙〉と語られ、数字や評価では捉えきれないものが、まだ確かに残っていると感じさせます。
すべてが明るく照らされ、管理されているように見えても、心の奥には光の届かない場所があり、そこでは誰にも触れられない思いや感覚が静かに生き続けています。
その見えない場所にこそ、かすかだけれど確かな希望が息づいている、と詩は語っているように思われました。

全体を通して、本詩は、明るさや便利さに満ちた世界の中で、置き去りにされそうになった「心の奥」を、静かに手探りしていく作品だと感じました。
強い光そのものを否定するのではなく、その光が届かない場所に残っているぬくもりや感覚を、まだ信じていたい……そんな控えめな願いが、詩全体を支えているように思います。
最後にかすかな希望が示されることで、読者もまた、自分の内側に残る小さな暗がりへと目を向けさせられ、静かな余韻が残ります。

都市、監視、数値化、糠床、宇宙……イメージが次々に現れ、意識が横に跳躍していきます。そのため、一本の筋を追おうとすると、読みづらさや散らばりを感じやすく、私にはとても難しかったです。
その「飛びやすさ」自体が、管理と情報に晒され続ける現代の意識状態を映しているとも読めましたが……。
意図としては理解できる一方で、読者によっては焦点が定まりにくく、伝わりにくさにつながる危うさも併せ持っているかと感じました。
中心となる比喩をもう少し絞ってみるとよいかもしれません。

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。



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☆「好かれてる?」 喜太郎さま

喜太郎さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

1連……〈初めての恋〉〈初めての彼〉と、重ねて語られる〈初めて〉が、この詩の基調をつくっていますね。
幸せなはずなのに、不安や切なさが消えない。
戸惑いを、〈束縛?嫉妬?〉という言葉で自分自身に向けてしまうところに、「初めて」故の私の真面目さや不器用さが伝わってきます。
〈心の中が見えたなら〉という問いは、「好かれてる?」に繋がる確証を求める切実な願いですね。
2連……場面は一気に具体へ移ります。
人混み、ためらいがちに差し出される言葉、手を繋ぐという行為。
ここで初めて、抽象だった不安が「身体の記憶」に置き換えられます。
大きさ、温かさ、震え、ぎこちなさ…相手もまた緊張していることが伝わってきます。
3連……〈あっ!〉という気づきの瞬間が、この詩の核なのかもしれません。
言葉では見えなかった相手の心が、手を繋ぐという行為によって、はっきりと「感じられるもの」になります。
ここで初めて、「好かれてる?」の問いは確信へと変わりますね。
4連……涙が流れ、嫉妬や不安が理屈ではなく感情として溶けていきます。
「好かれている」という実感が、頭ではなく心に落ちた瞬間が丁寧に描かれています。
5連(終連)……相手の戸惑いを包み込みながら、〈きっとあなたの心の中も/私が……〉と希望で結ばれる余白が、初恋らしい初々しい望みを残しますね。
断定しきらない終わり方が印象的です。

恋愛における不安が「言葉」では解消されず、「行為」によって初めて癒される瞬間が、素直な語りで描かれていると思いました。
女性の初恋の震えがまっすぐに伝わってくる、とても共感性の高い作品だと思います。
喜太郎さんの女性心理描写の巧みさには舌を巻きます。

一方で、「不安」「心」「好き」といった言葉がやや説明的に重なる部分が少し気になりました。
手を繋ぐ場面のように、感情を具体的な動作や感覚に委ねる箇所を少し増やすと、さらに余韻のある詩になると思います。
なお、日本の出版業界では、文章表現を統一するため、…(三点リーダー)は2つ重ねて2マス分使う「二倍リーダー」が一般的とされているようです。

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。



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☆「まなび」 松本福広さま

松本福広さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

1連……「学び」が反復と再現性によって定義される世界が示されます。
読む、書く、見返す……〈地道な努力が嫌いな僕〉はそれに馴染めません。
〈再現性がなければ、それは学んだと言わない〉という厳しい声は、社会や教育の規範を象徴しているようです。
2連……一転して、学びが「色を作る行為」として描かれます。
朝日の色を絵の具で作るという比喩は、松本さんらしく、とても素敵ですね。
あの時は確かに満足できたのに、配合は正確に覚えていない。
それでも思い出しながら重ねていく姿、そして更には〈あの朝色を超えた先の色を夢見て。〉という一行が加わることで、学びは「正解の再現」ではなく、「まだ見ぬ色への希求」として描かれ、次の学びへと踏み出していることを感じさせます。
3連……成長が数値や勾配で語られます。
一般的な急上昇の成長曲線と違い、〈ゆっくりと横に広い〉曲線を描く自分。
少しでも上がってほしいという切実な願いが、焦りと祈りのように滲んでいます。
4連……感情そのものが色になります。
〈優しい赤色と悔しい赤色〉という表現が印象的で、前に進めない気持ちと、それでも続けている誠実さが同時に伝わってきます。
行ったり来たりする朝の反復は、停滞ではなく、模索の時間として描かれています。
終連……朝日色の海から「今」をなぞり、筆名を書く場面で締めくくられます。
小さな誇らしさが、新しい朝の兆しとして静かに示され、希望が控えめに置かれています。

本作は、学びの積み重ねを超えて、作者自身が「自分だけの色」を見つけ出す姿を描いた詩ですね。
過去の経験に立ち返ると同時に、まだ見ぬ先を夢見る姿勢は「朝日の色」に象徴されていると感じます。
繰り返される朝は、その都度新しく始まる朝であり、希望の朝でもあり、静かに前を向く力を読者にも伝えていると思います。
学びの形を朝日の色に準え、歩みを重ねる表現は、新年にもふさわしい希望を感じさせる作品だと感じました。
(宇多田ヒカルさんの「COLORS」が思われ、今、聴いております。自分の色を方々に探しにいきたくなりますね。)

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。



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☆「やまめの歌〜中原中也に捧ぐ」 小林大鬼さま

小林大鬼さま、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

藁葺き茶屋のお昼、輪切りにされたせごしのやまめが、ぴくぴくとまだ動く様子から詩は始まります。
小さな命の残り香を、作者は静かに見つめています。
食べられる運命にある切り身を淡々と描くことで、命の儚さや生の現実が、読者にも伝わってきます。
口をぱくぱく動かすやまめの描写は、日常の中の小さな生き物の動きとして、愛おしくもあり、切なくもあります。

紅葉が過ぎ、訪れる人も少ない冬の長門峡の風景は、静かで少し寂しい雰囲気を添え、季節と時間の流れが命の儚さに寄り添うようです。
尾頭だけ残るやまめの姿は、自然の循環や時間の重みを思わせ、遠い山里の静かな景色と重ねることで、命の一瞬をやさしく見つめる作者のまなざしが伝わります。

そして、「中原中也に捧ぐ」とある通り、小林さんの中原中也への敬意が強く感じられます。
中原中也が示した儚くも確かな存在感や、生の輪郭を追い求める意識が色濃く反映されていると感じられました。
やまめの細かな動き、命の儚さ、季節の静けさ……こうした繊細な観察眼は、中原中也の詩が持つ内面への鋭い感受性と響き合っているように思われます。

中原中也は山口県山口市の出身で、生家近くに記念館があります。
長門峡は山口市と萩市にまたがる渓谷であり、中也は少年時代から何度も長門峡を訪れていたそうです。
また、長門峡の遊歩道入口には中原中也の詩碑が建てられているそうです。(現代仮名遣い表記)

 「冬の長門峡 」  中原中也
 長門峡に、水は流れてありにけり。
 寒い寒い日なりき。
 われは料亭にありぬ。
 酒酌みてありぬ。
 われのほか別に、
 客とてもなかりけり。
 水は、あたかも魂あるものの如く、
 流れ流れてありにけり。
 やがて蜜柑の如き夕陽、
 欄干にこぼれたり。
 あゝ!――そのような時もありき、
 寒い寒い日なりき。

おそらく、小林さんも長門峡を訪ね、中也の詩に思いを馳せ、本詩を紡がれたのでしょう。
1月7日に「中也の墓」と題された作品を投稿していらっしゃいますね。
中原中也の足跡を辿られたのでしょうか……。
中原中也との精神的なつながりを意識されていることが詩からも窺えました。
余談ですが、私もMY DEAR投稿時代、中原中也のお墓にお参りしたことを詩に紡ぎました。
「中也の墓」とあわせ、懐かしさ、中原中也への憧憬も新たに拝読させていただきました。

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。



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今年最初の評になります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年も早いもので昨日は鏡開きでした。
皆様が無病息災で過ごせますように……。

末筆ではありますが、昨年末、MY DEARの大先輩、Kazu.様がご逝去されました。
ここに謹んで哀悼の意を表し、Kazu.様の詩への深い敬意を胸に、新たな気持ちで詩と向き合い続けていきたいと思います。            紗野玲空
 

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