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スレッドNo.6745

1/6〜1/8 ご投稿分の感想と評です  荻座利守

1/6〜1/8 ご投稿分の感想と評です。宜しくお願い致します。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。

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1/6 「頬に灯る形見」 ゆずはさん

胸に暖かさが染み入るような詩ですね。
亡くなられたおばあさんの面影を、鏡に映った自分の顔に見出して息を呑む様子が、とても印象的でした。私も祖母に似ていると言われたことがありますので、亡くなった祖母のことを思い出しました。
遺伝学には隔世遺伝という言葉があるそうです。これは、染色体上の遺伝子の組み合わせが変わることによって、親の世代では隠されていた、その前の世代の形質(特徴)が、子の世代になって再び現れる現状を指すものだそうです。
この現象は映画や小説、漫画などで、主人公が祖父や祖母から特殊な能力や才能を受け継ぐ、といった設定によく用いられているようです。
この作品では、それが特殊な能力や才能ではなく「えくぼ」であるところが、文字通り微笑ましくていいと思います。
そして、忘れられていた問いの、
「何年も 何十年も経ってから
 ようやく見つけた 私の中の答え」
また、
「受け継いだのは 形見だけじゃない
 笑うたびに灯る この小さなくぼみ」
というところが、途絶えることない命のつながりを感じさせます。特にえくぼを「灯る」と表現したところに、受け継がれる命の灯といったイメージを感じます。
さらに冒頭の、「あと三日で百歳だった祖母」というところが、末尾の
「三日届かなかった百年の続きが
 私の頬で そっと生きはじめる」
へと繋がってゆく、その構成と表現が巧みですね。
なんでもない日常の中で見つけた、大切な気づきを美しく描いた作品だと思います。
評については、佳作としたいと思います。


1/6 「俺を咎めよ」 佐々木礫さん

全体的に、クリスチャンの偽善への不信と、己の内深くにある、どうにもならない罪の告白、といった印象を受けました。(ズレていたらすみません。)
まず印象的なのは、冒頭の「神は、俺の独白を成り立たせるための、壮大な舞台装置である。」というところです。神のこのような捉え方は、独創的で面白いと思います。
その次に「俺は裁かれるものを愛する。」とあります。ここで「裁かれるものに」自分自身を投影して共感するのかと思いきや、「俺の最後の自己欺瞞なのだ。」と結論づける。ここはどこか、自分自身が決して救われない存在だと、自分の罪は決して償われないものだと、そのように認識しているようにも捉えられます。
この後に続く、自分を愛する人(愛し損ねた人)への不信や侮蔑は、この自分自身の救われなさから来ているのかもしれないと、そんなふうにも思えました。
そして最終連は「正義に身を置く者」への呼びかけとなっています。その者たちに、自分の偽装・偽善をさらけだすことにより、その者たちが「無知な凡人」であることを暴き出しています。まるで贋作者が、己の作品を高く評価する鑑定人に向かって真実をさらけ出して、その鑑定人の無能さを暴き出しているかのようです。
そこには自分を含めた全ての人の「善」への不信感が横たわっているような印象を受けました。
非常に現代的で重みのある作品ですね。
ただ、ひとつの文章が長すぎてやや読み取りづらいところが数カ所あります。このような部分があると、詩を読む流れがそこで滞ってしまい、作品のメッセージが上手く読み手に伝わらない可能性もあると思います。
また、「社会善を弁えた者だと偽装」する自分の内面をもう少し掘り下げたほうが、作品により深みが出るのではないか、という気もします。
でも、末尾の「晴れて尊き看守となるのだ。」というところに、世間やメディアで流される言説の皮相さが鋭く表されていると感じました。
評については、佳作一歩前としたいと思います。


1/6 「五分間」 aristotles200さん

どこかSFや幻想小説を思わせる詩ですね。
冒頭の
「目の前が揺らぎ始める
 まただ、過去に戻る」
というところから、何らかのフラッシュバックかと思いきや、「自分以外の、赤の他人の過去を見る」と続くところが、意外で面白いと思いました。
過去の様々な時代との同一化から、一転して未来への不安。ここにはら分断と対立が深まってきている現代の世界情勢が反映されているようにも感じました。私たちは過去の歴史から本当に学ぶことができるのかと、そう問いかけているようにも思えます。そして、そんな不安や問いかけの中でも「通勤電車は何ごともなく走っている」というところがシニカルでいいですね。ここはいいアクセントになっています。
そして、防ぎきれなかった核戦争と核の冬の到来。そこからまたすぐに平穏な日常の通勤電車に戻ってきますが、到着した駅の名が「十三駅」。この駅の名は十三階段、即ち絞首台から来ているのでしょうか。何でもない日常の中にも危機が潜んでいるということのメタファーにも読み取れます。
揺らぎが収まり、そのすぐ後にまた、「目前に、無数の骨が散らばっている」とあります。もし、何でもない日常の中にも危機が潜んでいるということのメタファーという解釈でよいならば、この無数の骨が散らばるこうけあは、もう少しぼやかして表現したほうがいいと思います。
でも、戻ってきたのが今での日常とは異なる次元の世界ならば、これでいいのだとも思います。
それは末尾の、
「いや、今そのものが既に
 記憶の一部…」
というところの解釈によるのでしょう。
不穏な空気の漂う現代に生きる人々の心の中に潜む不安が上手く描かれている作品だと感じました。
評につきましては、佳作としたいと思います。


1/6 「私春記」 上原有栖さん

美しい形にまとめられた詩ですね。
全行13文字にそろえて、「はぁ。」「そぅ。」「へぇ。」「けれど」「きっと」といった短い言葉を真ん中に置いているところが見事です。また、節目節目をアスタリスクで区切ってあるのも、読みやすい効果を出しています。
その端正な形式とは裏腹に、書かれている内容は、不安定で不定形な心のありよう、という対比がいいですね。
何気ない会話のひと言から、過去の暗い思い出がよみがえるということは、誰にでもしばしばあることのように思います。そんなとき心は今を離れて、「その時」に戻ってしまうかのようです。
その暗い記憶を「左の胸に嵌った小瓶」に喩えた1連目の表現は秀逸ですね。特に「無色透明に見えたなら幸せ者」というところが、胸の苦しさを際立たせています。
そして、
「昨日までの私と何が違うの?
 私は何も変わっていないのに
 どこも変わってないわよね?」
というところに、何が原因なのか、あるいはきっかけなのかわからない、そのわからないということが、さらに苦しみを増幅させている様子が、如実に描かれていると感じました。これは経験した人でなければわからないのでしょう。
その苦しい記憶は生きている限り決して消え去ることはない、ということを表している、
「この身体が灰煙になった後も
 心が空に高く昇っていくまで
 ぜったいに忘れないでしょう」
という表現は切実ながらも、どこか氷のような美しさを感じさせます。
この詩は形式の見事さと同時に、表現の美しさも見事な作品だと思います。
評については、佳作としたいと思います。


1/7 「中也の墓」 小林大鬼さん

初めての方なので、今回は感想のみとさせていただきます。
中原中也へのオマージュの作品ですね。中也への敬意が行間からにじみ出ているかのようです。また、「ダダに生きた殉教者」という表現にも、作者の中也への想いが込められているように感じました。
墓に「両脇に花々が添えられ」「彼が好んだビールの缶が並んでいる」のは、彼の詩が今でも多くの人々に愛されているからなのですね。
それは彼独特の哀しみや孤独のためでしょうか、それとも所謂「既成概念への反抗」のためでしょうか。
この詩の表現の面では、中盤にある
「ただ骨だけが
 この故郷に戻って来た」
というところに彼の孤独が表されていて、「ダダに生きた殉教者」という表現を際立たせています。そのことがその次の
「雪降るたびに
 悲しみだけが降り積もる」
という2行に読み手への感情を移入させる効果をもたらしているように思います。
その後の「メルヘンを浮かべたような吉敷川」というのも、雪と悲しみと対照的な表現でいいですね。
そして「足を滑らせ尻餅を打つ」ところも、悲しみの中にどこかユーモラスな面を加えていて、いいアクセントになっていると感じました。
その後の
「あまりの痛みに叫んだ声は
 師走の澄んだ空遠く
 夢のように流れていった」
という表現も巧みで、とても美しいです。
総じて、作者の中也への想いが繊細に表された、秀逸な作品だと思いました。


1/7 「今日 昨日 明日」 喜太郎さん

親しい友人に語りかけるような文体が、読みやすくていいですね。
ここに書かれているように、今日という日、今という時は決して戻りません。人生で一回限りのものです。そのことが3連目の問いかけに表されていると感じました。
そしてまた、その問いかけに胸を張って答えられなくても、嘆くことはないとも語っていますね。
それは、いつまでも過去にとらわれることの不毛さと、ただ生きていることそのものの大切さを伝えようとしているかのようです。
さらにその後、
「そしてこの詩を読んでいる
 何かを感じたかな?」
と、読者に直接的語りかけています。ここに、自らの生き方について思い悩む人への共感と優しさを感じます。
ただ、この詩ではストレートな語りかけが多く、比喩や対比などといった詩の技巧の観点から観ればやや物足りない感じがします。
しかし、
「時間は君を気になんかしていない
 何もかも全て ありとあらゆるモノ全てを気にせず
 時を刻むだけ」
というところが、時間は人の生き方について評価したり価値判断をしたりはしない、ということを伝えているならば、この言葉に救いを見出す人は少なくないかもしれません。
詩歌療法の専門家によれば、人の心をどれだけ癒せるかは、その詩の完成度とはあまり関係がない、という話を聞いたことがあります。この詩はそのような文脈で語られ評されるべき作品であるようにも思います。
とりあえず評としては、佳作一歩前としますが、それはこの作品に本来適用されるものとは異なる評価軸によるものであることをお断りしておきます。


1/8 「渇望」 Emaさん

学校でのテストの様子を描いた作品ですね。中間試験か期末試験の様子でしょうか。成績の悪かった私は、この詩を拝読して昔のことを思い出し、このざら紙のように心がざらついてしまいました(笑)。
1連目と2連目で、試験中の教室の緊張感がありありと伝わってきます。そして3連目の「迷いのない音たち」がその後の「埋まらない空欄」を上手く引き立てていますね。そして、4連目に時計の長針の音のみを置くことで、作者の焦燥感があぶり出されています。
さらに、「空白は / 悪かのよう」というところは、学校教育の中に鎮座する抗えない価値観を表し、「ざら紙は渇望する」というところは、その価値観を後ろ盾にした威圧感を表しているように感じました。
その後には、その威圧感のもと、なんとか回答を絞り出そうとする格闘の様子が巧みに描かれています。特に「脳が歯軋りをする」という表現が独特で、もどかしさとも、ふがいなさとも言えない、言葉にならない悔しさが見事に表されています。また、記憶の中に回答を探す様子を「何度も浚ったはずの文字に / 手を伸ばそうと / 足掻く」と表現しているところも絶妙です。
全体的に表現の見事な、秀逸な作品だと思いました。ただ、最後の3連で、それまでの主観的な観点から客観的な観点へと視点が転換しています。欲を言えば、そこで移るためのつなぎとして、試験の緊張感から解放されて、教室の様子を客観的に観る余裕のできた、その心情を描いてもよかったかな、とも思いました。
でも、今のままでも十分、心理的な迫力のある作品です。
評については、佳作としたいと思います。

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