感想と評 1/9~1/12 ご投稿分 三浦志郎
1 詩詠犬さん 「どうしようもなく 夕焼ける HIROSHIMA」 1/9
この詩が示唆する夕焼けの持つ美の性質に注目する必要があります。そういった意味で、2連後半2行は示唆的な導入部であると同時に、この詩の夕焼け美の本質を代表するかのようです。
良く練られた表現ですね。ありていに言えば、夕焼けが美し過ぎると感じたのでしょうが、作者はそれを(ただごとではない)のような心理で見ている。そこにある美に異常性を感じたか、「狂気」とまで表現するのが凄いです。闇がいつかやって来て、この夕焼けの“過美”を自然に消してゆくものですが、その闇の役割のようなものの表現もユニークで読み応えあり。雰囲気が“意志的に立って”います。すなわち4連です。ただ夕焼けの美しさを平板に書くのとは一線を画していることがわかります。添付写真も含め、その風景に、ある種の「濃さ」を感じますね。佳作を。
アフターアワーズ。
タイトルに「HIROSHIMA」とあるので、何か、ご当地的記述があっても可でしょうね。
2 荒木章太郎さん 「落ちる」 1/11
まず何連あるかを数えました。全15連。「落ちる」という行為を仕事という現実として、あるいは生き方の抽象的記号として、各種場面、状況に対応しながら綴ったものと思われます。それ以上の突っ込んだ解釈は僕には難しいです。ただ1点だけ、余人は知らず、
僕の場合のみ感じたことがあります。これは意外とわかりやすく書けます。以下の如くです。
「この詩はなにか勘違いをしているのではないか?」
冒頭、連の数を書きました。それによると、8連とそれ以降(ちょうど真ん中付近)
「右足を折って病院に運ばれた僕」
「右腕の骨を折り同じ病院に運ばれたオレンジ少女」
~~から、何か別の詩が始まる気が、僕はどうしてもしてしまうのです。つまり二つの詩の共存、相乗りのように思えたことでした。仮に前半、A。後半、B、とします。僕自身はBの方が、エピソードもあって断然面白いと思うのですが、それにしても、少し別方向、あれこれ盛り込み過ぎで煩雑感が伴うのです。おそらく荒木さんはAを骨子、Bを事例的エピソードにして、AがBを回収するアプローチを考えたろうと、僕は推測していますが、第三者的に読むと、どうも回収しきれておらず、並立感(別の詩?みたいな)が拭いきれないのです。その原因はBの、上記“煩雑感”にあるような気がします。荒木さんは現代詩表現に非常に巧緻な、すぐれたかたです。もちろん、この詩もそういった能力内にあります。ただ今回は構成といった点で、少し考えさせられる面を感じました。大作なんですが、微妙です。佳作一歩前で。
3 静間安夫さん 「群衆」 1/12
物事の隙間に漂う、この言葉を狙って来ただけで、すでに軽く甘め佳作は取れるほど。それほど価値高い―と当該評者は思っております。
2連まで。全く、全くその通りです。この概念を担当する学問は社会学及び心理学ですが―僕の印象のみで言うと―怠惰にして社会科学的に全く定義づけされていない。この詩はそれを充分捉えて、連を増す毎に彼らを解析していきます。ほぼ状況や属性が網羅されていると思います。外的刺激あるいはその操作によって、いかようにも対応できる”恐るべき応用力“があるということでしょう。ファシズムにも革命にもなり得る。暴徒化もすれば沈静化もする。民主主義にも衆愚政治にもなる。どうにでもなれる恐さですね。どんな時代にも起こり得る。僕たち市民一人一人の集積だからです。
ところで、ひとつ指摘です。セリフの部分、甘いです。かえって品下がります。いっそ上から目線、高飛車、傲慢な方が、この詩の扱うモチーフ、現場性を体現できそう? 曰く……、
「しかれども、我ら、能う限りの策、尽くせり。他にいかなる方途ありや?而して、我ら信ずるところを邁進す、よろしく我らに続かれよ!!」みたいな。鼓吹やアジテーションでいいんです。ちょっと極端だけど……。要は成りきりが必要かな?(笑)。ここはテンションなので、ぜひそのように活かしてください。このままだと、普通佳作ですが、セリフ部分再考で、ぜひ代表作入りを!
アフターアワーズ。
この詩を初めて読んだ時、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件と関東大震災朝鮮人殺傷事件を思い出し調べました。どちらも群衆が極端に暴徒化したケースで、時の政府も深刻に認識したようです。歴史をささやかに曲げたような事件です。「群衆」はこれからも考えたいテーマです。
4 多年音さん 「折りたたみ傘」 1/12
そうですね。僕も鞄の脇ポケットに入れて、うっかり忘れることがありますね。
日常、ふいに訪れる小さな不幸。この種のことはとてもありがちなことですね。「お守り気分のまま」というのが言い得て妙です。
ちょっと面白い事を発見しました。各連の末尾だけ拾い読みすると、
「いつのまにやら壊れていた~僕は歩いていたんだね~綺麗な顔を見せてはくれない~雨の音はまた強くなる」―うまく「原因~経過~結論」に嵌っていきます。(こんなことがありました。みなさん、軽く、ご用心、ご用心……)まあ、そんな風にも読めるのです。
ただ重い警鐘ではないです。
そういえば、この詩は日常のふとしたことを書き留めた、といったニュアンスで、比較的短めでライトに書かれた雰囲気です。
その分、少しキメ手に欠ける気はしたのです。別に文脈に破綻があるわけでもなく、ワンテーマ絞り込みの理にもかなっています。
少し気弱な感覚で損をしたかな?といった感じです。あくまで印象のことです。佳作半歩手前で。
5 晶子さん 「蝋梅」 1/12
こちらも日常の中でのふとした感慨や気づきが詩化されています。そう、幸せはひとりよりふたり。ここでは具体例や特定のパートナーとかを想起するというよりは、漠然とした曖昧さの中に詩を浮かばせているのがいいですね。そのほうがすてきです。お菓子や洋服なども女性の趣味性が感じられ、微笑ましいです。どの連もサラリとした感触がこの詩には似合うようです。最後がこの詩の主役。ここの庭でもひとりで、幸せを分かち合える人はいないけれど、蝋梅と一緒だから嬉しい。蝋梅と共に、春を予感できて嬉しい。そんな感覚でしょうか。家の近所で、実際に見たのかもしれない。そう思う方がこの詩の日常性には似合う気がします。甘め佳作を。
「愛すべき小品」といったところ。これは批判でも皮肉でもありません。微笑ましいキャラクターのことです。この詩の性格は日常のすぐ隣にあります。
評のおわりに。
蝋梅とは違いますが、いわゆる梅の花(白梅?)が職場の庭に咲きました。不粋な僕は同僚に言われるまで気づきませんでした。
そういえば、ニュースで神奈川・曽我梅林で咲き始めたとか言ってました。この寒さの中での早さ、健気さ。人知れず春は準備されているか? では、また。