◎2月17日(火)~ 2月19日(木)ご投稿分、評と感想です。 (青島江里)
2月17日(火)~ 2月19日(木)ご投稿分、評と感想です。
☆カスタネット aristotles200 さん
とてもユニークな作品ですね。どこか、童謡の「おもちゃのマーチ」を彷彿させるような作品の空気がありました。また、日常と非日常が曖昧になる深夜2時という設定、オーケストラからの招待という出来事を現実であるかのようなものに思わせてくるところも面白いです。
オーケストラの演奏者は通常、フォーマルな服装で演奏されるのですが、こちらの演奏者パジャマ姿ですね。ここから、読み手として思ったのは、日常からの解放でした。そして、楽器を演奏することで生まれてくる楽しさ、内面の変化を感じさせてくれる描写。それは、読み手に楽しい想像の世界と、新しい自分の受け入れという明るさを感じさせてくれました。また、オーケストラに加わって演奏するという誇らしさも感じさせられ、音楽からもたらされたポジティブな内面が伝わってきて、あたたかな気持ちになることができました。
個人的に気になるところは三点でした。一点目は「はい」の重複。最初の「はーい」は応答の「はい」ですが、二番目の「はい?」も流れのまま応答と読み流されてしまう可能性もあるので、困惑や疑問の別の言葉を考えてみるのもよいかと思いました。二点目は「扉を開ける/警察を呼びますよ!」の部分。こちらだけ、どこか脚本の筋書きのような感じになってしまっているので、扉をこじ開けて入ってきたという表現や、閉め忘れていた扉から入ってきたという表現等を持っていくと、自然な流れになっていくと思いました。三点目は、作品後半にある、夢オチの部分です。夢オチを用いた作品は多いと思います。なので、午前二時という現実と非現実の境界とされる時間のもとに起こった出来事であることに関連付けて、夢だったのか現実だったのかをぼやけさせると面白いかなと思いました。「夢か……」という部分を省略してみるのもよいと思いました。
聴覚を刺激する楽しい雰囲気に満たされた作品。疲れた自分を解放することや、新しい自分になること、なれると思うことで広がる可能性を感じさせてくれるメッセージを、作品の内側に感じさせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前を。
☆春夏秋冬 喜太郎 さん
日本には四季があります。最近では不安定な気温の変動などにより、二季化しているとの見方もありますが……。しかしながら、古くから続いてきた四つの季節の情緒に、日本人は寄り添いながら、自身の心情を重ねてきたのだと感じさえてくれることは、変わらず、引き継がれていると思います。こちらの作品は、春の希望、夏の情熱、秋の哀愁、冬の温もりと寂しさという季節の移ろいに、主人公の繊細な心の流れを重ねた、情緒豊かな表現が多く見受けられる作品になっていると思いました。自然の美しさ、そして君という大切な人を想うことから生まれてくる心の豊かさを、優しく、語りかけてくるようなリズムで表現してくれていますね。
気になったところは、二連目の「心が汗をかいている」でした。他の連の比喩とは、少しだけ違って、直接的な感じがしました。全体的に同じような比喩に揃えた方がよいかなと思いました。あとは、最終連の「もう時期」です。どこか口語的な感じがするので、「やがて」などに変えてみるのもよいかなと思いました。
作品の後半にある「君がいて 君がいた」という言葉は、とても印象深い表現でした。さらに追い打ちをかけて「下から見るか 上から眺めるか/交わる所はひとつだよ」と重ねられた表現は、「君」が自身にとってどれほど大切な存在であるか、また、どんな季節においても一番の中心にいるということを強く感じさせてくれました。とても印象深い表現でした。
言葉を通じて、日本ならではの情景と心情を表現された作品、今回は佳作半歩手前を。
☆絶望という名の曖昧 トキケッコウ さん
自らが進んで捨てたものを、後に自分の一部のように感じてしまう深い喪失感と取り返しのつかない気持ちを表す絶望。そして、そこから一筋の望みを見出すために一歩踏み出そうとする思いがありありと感じられました。
一連目。自ら捨てたものの具体例が並べられていますが、五段目の豚は、後の狼に続けるために並べてくれたのかな。前連で犬猫という動物系を並べてくれていますが、誤認識を防ぐために「普段食べている」をつけて差別化いるところは細かい配慮だと思いました。フレーズ自体が少し長めになってしまっていると感じるので、「ふだん好んで食する」などと短めにすると、引き締まった感じになると思いました。二連目以降に繰り返される「私に」について。①「私が捨てたのは/私に捨てられたもの」や、②「私に/それを探す旅が/どれだけ長かったというのだろうか」どちらの「私に」もこの詩の中では意味が通るのですが、現状のままでも充分ですが、①「私が捨て去った者」②「私が/それを探す旅が」にすると、より自然に意味が伝わるように思いました。
全体的に見て、一つの単語の中に、深い意味が込められていると感じさせてくれる例えが絶妙でした。例えば……
⑴ 「牙」……作中で「絶望」の代名詞として登場させていますね。「牙」とすることで、何かに抗い、力尽きて絶望するまでの様子、「噛みつく」「歯が抜ける」「痛がる」「死んで残す」のなどの心の過程が、まるで体現するように伝わってきました。⑵ 「二月」……「曖昧」の代名詞として登場する「二月」。「二月」という、月の中盤までの厳冬と、中盤以降にほのかな春が共存することに着目し、絶望の深い底から一筋の希望を見出そうとする様子を表現した比喩は、とても独創的で印象深いものでした。とてもよい意味で「曖昧」という言葉が光ったと思います。⑶ 絶望という言葉は希望が空っぽになるという意味でもありますが、希望は絶望の後にやって来ることを思うと、作中で一筋の春を感じさせてもらう瞬間に、最終連の「肌色」という言葉に、体温を感じました。そして、「重ねる」ではなく「重ねてほしい」という歩み寄りの言葉を拝見した時、ほのかな希望を感じることができました。
絶望から一筋の希望を見出すために立ち上がる様子は、さもすれば伝えたい言葉が増えすぎて長くなりがちの作品になることが多いと思いますが、うまく、ほどよい長さにまとめられていると思いました。また、独自の発想と言葉のセレクトで、一語に多くの意味を凝縮されていると感じさせてくれるところもよかったです。佳作を。
☆「なりたい」 星影 流 さん
初めてさんですね。今回は感想のみを書かせていただきますね。
水の持つ色々な性質をしっかり見つめ、そしてその性質を自分自身の理想とすることの描写に、清流のような純粋な姿を思い浮かべさせくれました。
「偉そうでもないし」「居ても邪魔にもされず」「誰かのほんの少しに なりたいんだ」という言葉は、昨今よく時事ネタにでてくるような、お金や権力的な欲求とは、程遠く、ただ、少しでもいいから誰かの役に立ちたいんだという、とても清らかな気持ちで満ちていました。また、「無いと困る」存在であるという描写は、水が生命の源であり、あらゆる生き物にとって不可欠であることを改めて実感させてくれる言葉になっていると思います。ところで「水って無いと困るのに」が三連に渡ってリピートされていますが、そのうちの一連、「必要な時には無くて」の部分ですが、その状況を更にわかりやすくするために「水って無いと困るのに/渇水で必要な時には無くても/見つけた時には喜んでもらえる」というような感じで、実例を加えてみるのもよいと思いました。
誰かの貢献したい、支えになりたいという詩の一連の流れからの「僕はそういうので/いたいんだ」という、言葉のつながりから浮かんできたのは、宮沢賢治さんの詩、「雨ニモマケズ」の「そういうものに私はなりたい」という結びの言葉でした。星影さんの作品は、水という身近な存在を通して、賢治さんの作品のような、自分よりも人のためにという気持ちを理想とする風景が重なる作品に思えました。「誰かのほんの少しに なりたいんだ」という謙虚な気持ちも印象深い、真水のような作品でした。
☆芯の重さ 荒木章太郎 さん
ネット社会におけるコミュニケーション、言葉のやり取りや葛藤。そして、創作の課題について描かれた力強い作品だと思いました。
実際に作品を創作することから踏み込み、さらに個々の日常の見せ方に至るまで。ネット社会では、万人受けする世界を作り上げたいという一面も一部で見受けられ。そのような社会に対する作者さんのこみ上げてくる地鳴りのようなフレーズの数々は、ネット社会では自分の感情でさえも表現の道具のようになりうるという怖さを強く感じさせてくれました。こうでなくてはならないという暗黙のルール。少しでもはみ出せば、それは生身の真実であっても、その社会で受け入れられなければ、即座にその道具は、時には、人の命を終わらせてしまう、攻撃態勢に要する兵器にまで成り代わってしまうという、とてつもない恐怖に直面するということも感じさせてくれました。
三連目の「挟まって収まっていた」はどこかつながりがうまくいっていないような気がします。「狭まって」を「窮屈に」や「無理矢理」のような言葉に変えてみてはどうでしょうか。七連目の「思い重い」ですが、こちらは意図的なのかな。どこか誤入力に勘違いされてしまいそうな気がしました。通常の「思い思いの言葉」でも伝わると感じました。
「夜に脅されていた優しさが朝の水平線にひれ伏していた」という表現は、暗闇の中で抱いていたものが、朝の光によって見出される、あるいは新たな形で向き合わされる情景が読み手の目前に広がり、とてもドラマチックでした。そして、課題解決に対する一筋の光、または「信念を持てる」という希望をも感じさせてくれました。それは、「直接ぶつけることをやめた/語れない場所で/思い重いの言葉を/削って削って芯を残せば/剥き出しの言葉より強度が上がり/それはもう振り下ろす/必要がなかった」のフレーズで、読み手の私も確信できました。
最終連では「言葉が重いのではない/俺が軽かっただけだ」だと誰を責めることもなく、静かに内省しています。真の言葉を紡ぐということは、安易な自己表現に寄りかかることでもなく、表面的な反応による評価や数値に左右されるものでもないのだ。そのようなことに振り回されず、言葉の本質を見極めることなのだという、強固な信念のようなものもたくさん伝わってきました。ネット社会における言葉の在り方について深く考えさせてくれる作品でした。今回は、ふんわりあまめの佳作を。
☆一粒の嘘 ゆづは さん
段ボール箱を片付けるという作業を通じて、過去の自分との決別や心の整理をするという内面を感じさせてくれました。
二連目。段ボールを整理して積み重ねる様子を、アコーディオンに例えるところは、とてもうまいなぁと感じました。楽器=演奏というイメージから、緊迫の糸が剥がれるような、解放された空気を感じることができました。「部屋が呼吸を取り戻す」に繋がるなぁと感じました。三連目では「剥がれきれなかった糊の跡」や「ぶつけて潰れた角の記憶」から、何らかの誰かとの過去の暮らしの様子が感じられました。「きつく縛りあげる」ということから、胸が締め付けられそうな切ない出来事であったかもしれないと思わせてくれました。四連目では、身の回りにあるものを処分することで、楽になれるという強がりや慰めにも似たものも含む、複雑な心境を感じさせてくれました。
五連目の「カッターの刃を収める」というフレーズは、内面にある深いものを感じさせてもらえました。段ボールの整理を完結させるときのカッターの刃。紐のいらない部分を切る=縁を切るを彷彿させます。静寂の中で広がるキリリと鳴るカッターの音は、聴覚を通じて過去との終結を印象付けてくれました。六連目も印象深いです。雨にふやけて~名もない繊維に還れという表現は、雨に濡れてどうにでもなれという気持ちと、できる限り自然に忘れてしまいたいという、相反する気持ちを感じさせてくれました。まだどこかまとまりのつかない過去に対する複雑な心情が伝わってきました。
気になるところは最終連でした。六連目の「雨にふやけて~」で、読み手の私の頭の中には、整理が終わって束ねられた段ボール箱の、外での様子が浮かんでいました。そこから突然出てきたのは「毛布」という言葉でした。どういう「毛布」であるのかがわからないので、結果的に物語の全体像がぼやけてしまっているような気がしました。「クローゼットにしまわれたままの毛布」「新しい毛布」等々、どういう毛布であるかというだけで情景も変わってくると思います。また、物語の全体像の枠をあと少しはっきりさせることで、どういう物語であるかという、読み手の想像性をアップさせることができるかもしれないとも感じました。繊細な心情の描写が印象深い作品でした。今回は佳作一歩手前を。
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早いものでもう三月。窓から差し込んでくる光がやわらかく感じられるこの頃です。
人のこころも、できる限りやわらかくがいいですね。穏やかな春を迎えることができますように。
みなさま、今日も一日おつかれさまです。