感想と評 3/10~12ご投稿分 水無川 渉
お待たせいたしました。3/10~12ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。そもそも詩の解釈に「正解」はありませんので、参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●aristotles201さん「姿」
aristotles201さん、こんにちは。この作品はいわゆる二元論的な思考・世界観について批判的考察を迫る内容になっていますね。「善/悪」「真/偽」「正/邪」「内/外」「敵/味方」といった、対になる概念の組を用いて世界を捉えようとする思考法は分かりやすく共感を呼びやすい反面、現実世界の複雑さを過度に単純化し、時には分断と対立を引き起こす危険性も秘めていますね。この詩ではそのような二元論的思考を乗り越えようとするメッセージが語られています。善と悪の対立を超えたところに人間の「姿」があるのだと。タイトルにもなっている「姿」とは、そうした人間の本質を指しているのかもしれません。
もし上のような私の理解が正しいとすると、私はここで作者が発信しておられる考えには心から同意します。あとは、詩作品としてそのメッセージをどのように効果的に伝えるかということになります。
「白/黒」は二元論のイメージとしては典型的なものだと思いますが、この作品ではこれに加えて「熱」というイメージも用いられています。そして「熱」は私には連続的に変化していくものと思われます。もちろん「熱い」「冷たい」という二分法は考えられますが、純粋な黒や白が(果たしてそういったものが現実的に存在するかは別として)割とイメージしやすいのに対して、純粋な「熱さ」「冷たさ」という両極は考えにくいです。けれども本作品では「熱」もまた「白/黒」同様に二元論的なカテゴリーに入るものとして扱われているように思えて、少し違和感を覚えました。むしろ「熱」は二元論を超える可能性を秘めたものとして取り入れると良かったのかもしれないと思います。
最終連の「炎に包まれた街の上を/烏が一羽/飛んでいく」という表現は素晴らしいです。燃える街は二元論的思考が人類の対立を生み出し、最終的に世界の滅亡を招くというディストピア的なビジョンを示しているのかもしれません。そしてその上を飛んで行く烏は、「黒=悪」という単純なステレオタイプを超えた思考法を表していて、作者はそこにかすかな希望を見出しているのかもしれないと思いました。
このように着地は申し分ありませんので、そこにうまく収斂していくように全体の構成(特に「火」や「熱」についてどう扱うか)を考えていただくと、より素晴らしい作品になるのではないかと思います。評価は佳作半歩前です。
●松本福広さん「ら・ラ・LA・SAKURA」
松本さん、こんにちは。この詩は合唱の演奏会を描いた作品と受け取りました。実際にそのような作品があるのかどうかは分からないのですが、言葉によらない「ラララ」というスキャットによって演奏される曲のようですね。
音楽を詩で表現するのはかなり難しいことだと思いますが、この作品からは春らしい喜びに満ちた軽やかな曲調であることが伺えます。それも単調な「ラ」の繰り返しではなく、細やかなニュアンスの変化を伴ったものであることが、「ラ」と「ら」の表記の使い分けによって伝わってきます。(ところでタイトルにはLAというローマ字表記も含まれていますが、本文中には使われていませんでした。個人的には本文でも使ったほうが良かったのではないかと思います。)第3連の行頭をずらしたレイアウトも動きを表していて良いですね。
ところで、作品中でも語られていますが、音楽におけるピッチ(音高)の国際的な基準はラ(A)音=440ヘルツですね(実際には多少異なった周波数で演奏することもあるようですが)。そうするとここで歌われる「ラ」の音はすべての基準、始まりを表していると考えられます。そして本作品ではこの「始まり」は春が来て桜が開花するいのちの始まりに重ねられています。演奏が進むにつれて聴衆は桜が一斉に咲き乱れ舞い散る様子を心に思い浮かべているのでしょう。
春らしい明るいイメージに満ちた作品を感謝します。評価は佳作です。
●喜太郎さん「春ですね~」
喜太郎さん、こんにちは。改めまして、免許皆伝おめでとうございます。私が評を担当させていただくのは今回が最後となりますが、今回は喜太郎さんお得意の恋愛詩ですね。
デートの計画を立てているカップルが主人公ですが、「彼」の携帯電話を見た時に、一緒にいない時にも「私」のことをいつも考えてくれていたことが分かり、愛しさが溢れて思わず抱きついてしまったという、日常的な、でもほのぼのとしたストーリーです。
この作品の中心は、「好き」と「愛しさ」の違いではないかと思いました。表面的に相手に魅力を感じて惹かれる「好き」という感情を超えて、相手のことを心底大切にしたいという思いが「愛しさ」という言葉で表現されているように思います。「私」にそのような感情が溢れてきたのは、自分を大切にしてくれている「彼」の思いを知ったから、ということなのでしょう。
最後に喜太郎さんらしい心温まる作品を読ませていただき感謝でした。評価は佳作となります。
●TICOさん「現地」
TICOさん、こんにちは。評不要とのことですが、3月11日に投稿されたこの作品は、東日本大震災についての詩と受け止めました。
震災から15年が経った今もその傷痕は日本の国に深く刻まれていることを思います。そしてその傷にどう関わるのか、向き合うのかは、「現地」でその悲惨を体験した人々と、評者のようにその場にいなかった人々によってまったく異なっているのかもしれません。この作品中で言葉を失う現地リポーターのように、私たちはこれについて語るべき言葉をいまだ持ち合わせていないのかもしれません。けれども「語れない」ということを語る責任もまた、あるのかもしれないとも思わされる作品でした。ご投稿ありがとうございます。
●晶子さん「青」
晶子さん、こんにちは。改めまして、免許皆伝おめでとうございます。掲示板ではたびたびお見かけしているので、以前評を担当させていただいたことがあるかと思い、記録を調べてみましたが、意外なことに初めてのようですので、感想を書かせていただきます。
さて作品ですが、一読して心に静かに染み渡ってくるような感動を受けました。広大な宇宙に浮かぶ青い地球。この奇跡のように美しい星に住む私たち人類の歴史は、なぜこんなにも苦しみに満ちているのか――。この問いには簡単な答えはありませんが、最後の三行
どんなに小さくてもどんなに弱くても
間違いなくこの美しい青は
宇宙で光る僕たちの青だ
には、人類への信頼と希望が込められているような気がしました。
落ち着いた文体も素晴らしいと思います。新作紹介でまた作品を拝見できるのを楽しみにしています。
●トキ・ケッコウさん「まパパああ」
トキ・ケッコウさん、こんにちは。今回の作品もトキさんらしい軽妙な語り口で、人生の深みに届こうとするような詩だと思います。
ここに描かれている「あなた」は人生の目的を見失った人なのでしょう。そんな「あなた」を「僕」は励まそうとしますが、ありきたりの説教臭い人生論ではなく、一見ふざけたような内容になっているのが面白いです。
タイトルにもなっており、本文中でも繰り返される「まパパああ」とは何か。「呪文」とか「予言」と言った重々しい言葉で表現されてはいますが、結局何の意味があるのか、評者には分かりませんでした。おそらく作者にとっても意味のないフレーズなのではないかと思います。人生に意味などなくてもいい、ただ生きているだけ、それでいい、と語られているようです。
いくつか形式的なことをコメントさせていただきます。まず、2行目の「尋ねてきて」は「訪ねてきて」の間違いかと思いましたが、これでいいのでしょうか。次に、 行中のスペースは半角ではなく全角で打った方が見栄えが良いと思います。
一番気になったのは、行の長さがアンバランスなところです。特に2行目「それでいいよね~でも僕は」までが非常に長くて不自然に見えました。もう一つ、「自分のことでもあるんだけれど~」の行も長いです。意図的に改行されていないのかとも考えてみましたが、あまりそれらしき理由は思いつきませんでした。
内容的にはとても面白く読めましたので、もう少し推敲して形を整えていただくと、より読みやすくなるかと思います。ご一考ください。評価は佳作一歩前です。
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以上、6篇でした。今回は春にちなんだ詩があり、震災詩もありと、いろいろな意味でタイムリーな作品が多かったと思います。ご投稿ありがとうございました。