◎3月17日(火)~ 3月19日(木)ご投稿分 評と感想です (青島江里)
【お待たせいたしました】
※3月17日(火)~ 3月19日(木)ご投稿分 評と感想です。
☆おしゃぶり 月森うさこ さん
月森うさこさん。はじめましてさんですね。今回は感想のみで書かせていただきますね。
好きな人とずっと一緒にいたい。けれど時間が来れば部屋を去ってしまう。そこからの、なんとも言えない寂しさを伝えようとしてくれている作品だと思いました。赤ちゃんや小さい子供が寂しくなるとしてしまうおしゃぶり。誰もいないところで、いつのまにかそうしていたというほどの、強い寂しさが表現されているように思えました。
ただ、好きな人に会えないという、子供が示すような寂しさを「おしゃぶり」という行為で表現しようとするあまり、四連目から五連目では、寂しさを埋めるための行為ばかりが強調されているようになってしまい、心情の描写が影に隠れてしまっていることがもったいないと思いました。四連目から五連目の部分、もう少し心情の描写を意識した推敲をすることで、バランスのいい作品に仕上げることができると思いました。
行為として深堀りするというよりは「子供のように甘えたいという心」に視点をスライドさせることで、あまえんぼという可愛らしさも兼ねた作品にもなりそうな可能性がある作品だと感じました。
☆幸福論 上原有栖 さん
年賀状から始まり、近頃はメールなどの普及により、すっかりと「手書きの文字」を目にすることが少なくなりました。作品に登場するご夫婦は、おそらく、まだいくらか手書きのメモを手渡しする習慣がある頃から結婚生活があるということを感じさせてくれました。しかしながら、メールが普及する今もどうしてメールに移行せず、メッセージボードや付箋に手書きの文字を残し、伝え合おうとするのか。そこに、お互いのご夫婦の共通の思いを感じさせてくれました。
手書きの文字は、100%同じものはないのだということ。そこに、時計は同じように回れど、1から10まで全く同じ一日はないのだということも、めぐりめぐりに感じさせてくれました。小さな付箋に書かれる手書きの文字。ケーキの箱の側面に書かれる手書きの文字。そのひとつひとつに、相手を思いながら文字を書いている人の姿が浮かび上がってきました。
ところで、二連目の「朝顔を合わさないから」という部分ですが、サラリと読み流すと花の朝顔と間違えて読み止まりになってしまう可能性もあるので、できれば「朝は顔を」などにする方が無難だと感じました。
最終連では、なんとなく手で書くということを続けてきたのかもしれないけれど、それは相手を思って何かを伝えるという、小さな積み重ねであるという、メッセージのようなものを感じさせてくれました。そして、それは日常であり、幸せかたちづくるものであるということも感じさせてくれました。そして、最後の最後にそのような時の積み重ねを「幸福論」というこむずかしい言葉にくっつけてしまう発想が面白かったです。こうすることで、逆に、「幸福論」とは、難しく、手の届かない書物から得るようなものではなく、もっと身近なところで知ることができるのだと思えるところがよかったです。今回は佳作を。
☆黒の無い世界で 喜太郎 さん
「白」は穢れや汚れのないイメージカラーの代表ですね。そして、幾つかの意味はありますが、「黒」の幾つかの意味を成す部分、今回は「白」と対峙させることで汚れや穢れの部分を浮き上がらせるために用いられたのだということがわかりました。
今まで汚れない白の世界に生きていると信じていた「君」の裏切りや失望のようなものが何度も伝わってきました。
ご参考までにお伝えしたいのは「白い」や「白く」の並列されている部分についてです。「白いサラサラな髪」や「君の白くしなやかな髪にも」は、ただ単純に読み流してしまうと、高齢のご婦人を連想させてしまいそうです。「白く澄んだ瞳」も瞳の「白目」の部分を連想させてしまいそうですね。例えば「白く反射する」「真白な光に包まれる」のような表現に置き換えれば、誤読の可能性を確実に回避できそうですね。
連の最後の方の表現……
「できる事なら
あの白く長く細い指先で
僕の目を突き刺して欲しい
そこには白でも黒でもない
赤が流れるだろう」
こちらの表現は大変衝撃的でした。恐怖を感じると同時に、「僕」の深い失望。「君」が汚れてしまったのならば「僕」自身もいっそのこと、何も見えなくなるまで壊れてしまいたいというほどの、心の崖っぷち感が伝わってきました。
同じ姿をしていても、人は悪く変わってしまえば、全く別人で、その場で今すぐに、あの頃の姿に会いたいと思っても、もう二度と会えないのだというやりきれなさが伝わってくる作品でした。免許皆伝おめでとうございます。<これからもこのまま、描きたい心の世界を伸び伸びと広げていけますように>との思いを込めて、お祝い佳作を。
☆堤防に座って 三津山破依 さん
三津山破依さん。はじめましてさんですね。今回は感想のみで書かせていただきますね。
堤防の風景描写が心地よい自然の様子を伝えてくれました。特に「夕陽がきらきらと跳ねている。」という部分では、キラキラと光っているとせず、「跳ねている」とすることで、心が和みそうなものを感じさせてくれたところがよかったです。
そんなおだやかな景色の中にところどころ混じってくる、闇のような不安な空気。「輝きの隙間には、/汚れて浮かぶものもある。/視線が定まらない。」という表現。詩の登場人物は、ただ景色の美しさを眺めに来たのではなく、日常で、心の中にできてしまったぬめりのようなものをどうにかしたいのだと思わせてくれました。
光のような眩しい景色と汚れて浮かぶものという、明暗の世界を対峙させることで、登場人物の暮らしの中で生じてしまう、どうしようもない人に言えない、積もってゆく小さな痛みのようなものをクローズアップすることができていると思いました。
二連目は、「陽射しは暖かい。」と「たなびく雲の隙間には、」の間で改行すると読みやすくなると思いました。また、「たなびく雲の隙間には、/暗闇が隠れている。」が、仮に徐々に曇り出したということを表したいと思うのでしたら、「傘を持たず」というよりは、「傘を持っていなかった」とする方が、持っていないと我に返り、不安だから家に帰ろうというような流れになって、自然と最終連につなげることができそうですね。
最終連は三行ですが、この中には、暗くなってきたから家に帰らなきゃという意味だけではなく、「冷めた飯」からわかるように、帰りたいけど帰りたくないという、深い孤独を感じさせてくれました。とても丁寧に正直に心の様子を綴られている作品だと思いました。そして、遠くからでも寄り添ってあげたいと思わせてくれる作品になっていると感じました。
☆ふたりの音色 ゆづは さん
一連目。「老後の趣味だよ」から始まることで、どのような方なのだという視界がさっと開けました。「子供たちが去った後の応接間のピアノ」、「自己流で鍵盤を探るその背中」など、もしかしたら子供さんの習っていたピアノがそのままで、もったいないから練習してみようかと思いたったご主人の姿を思い起こさせるフレーズの選択が、とても上手だなと思いました。
四連目から六連目までの不器用に、だけど、一生懸命に鍵盤をたどるご主人の姿に人生を重ねた部分は、読み進めていくうちに、いつのまにか読んでいる背景にBGMが流れているように感じさせてくれました。人生、山あり谷ありの、良い時もそうでない時も常に一緒だったという、ご夫婦の姿がくっきりと浮かんできました。
性格がデコボコでまったく合わないように思えることも多かったけれど、なぜ、どうにかやってこられたのかという答えを、不器用ながら演奏しているご主人の曲で気付かされるということ、心根の部分が同じであったからという答えを、詩の終盤に持ってきたことは感動的でした。
最終連。このままで充分で、推敲する必要もないと思いますが、タイトルが「ふたりのメロディー」ではなく「ふたりの音色」になっているので、どちらかに合わせるのも選択のひとつになるかと思います。タイトルを「ふたりの音色」にしたいけど、締めがどこかしっくりこないと思う場合は、「途切れそうな音を/ひとつずつ/繋ぎ合わせてゆく/ふたりの音色/不器用なアンサンブル」など、言葉を追加してもよいかと感じました。佳作を。
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あちらこちらで桜だよりを耳にするようになりました。早いものでもう三月も終わりです。
気温の寒暖差がまだまだあるこの頃ですが、どうかおからだ、たいせつに。
みなさま、今日も一日おつかれさまです。