感想と評 4/3~4/6 ご投稿分 三浦志郎
1 月森うさこさん 「恋衣」 4/4 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。
「こいごろも」という発音でいいでしょうか?だとすれば、語呂も柔らかく優美な詩情もあります。
説話・民話・伝承などの要素。和風ファンタジーの要素。これらが背景にあります。そんな環境の中でストーリーが優美に幻想的に品格ある詩行で語られます。この一詩に限って言うならば、こういった感覚の詩の作り手は、僕はあまり出会ったことがないです。
貴重な感覚の持ち主です。
生娘を背に負い船を出すのが主な情景です。人はその美しさを思い祝福します。やがて家に着き、娘の妖艶な佇まいが描かれます。
密やかなことがあったのでしょう。
その後は「生娘捧げて」―表現が「~捧げて」に替わっています。「初めてを捧げる」―これは媾うことを連想させますが、どうもそれだけではなさそうで、「最後の想い」「神の元」「神の使い」から読み取れるのは密かな心中とか人身御供(例 人柱?)のようなものを連想してしまいます。
ストーリーや場面の切り取り方もサイズから見て適切です。
この詩は美しいですが明るくはない。「美しい=哀しい」そんな感覚。もっと言うと、不吉な予感さえします。そういった感覚が、
あくまで美しい文体で書かれているのです。空恐ろしいことです。
ですが、それがこの詩の個性であり、一種の魔力です。しかし、この一作ではまだよくわかりません。ぜひ、また書いてみてください。
2 Emaさん 「メッセンジャー」 4/4
「非常階段」―とありますので、非常に具体的なある場所で、ふと感じた所感が詩として生まれた、そんな気がします。そう、雛人形とさくらが一致しないのはちょっと残念ですね。けれど、人形を片付けた頃から人はさくらを思い始め、さくら自身も“ひと雨ごとに”その準備を始める。日本では、“ひと雨ごとに暖かくなる”とか申します。まさに雨は、花の、季節のメッセンジャーであるでしょう。
そんな経緯が優しく穏やかな詩行で描かれます。それまでが前半。
2行空けての後半。やはり非常階段。場所は同じですが、時は動いて、花、咲きこぼれる。
「あの舞の中に~戻ってこられないかもしれない」ここの意味の取り方が多少、分かれるかもしれない。僕が感じたのは「この美しい光景に捉われ過ぎると、人は美に耽り虜になって前に進まなくなるだろう」そんなことを考えていました。物事は運ばれねばならない、その為の雨であり風であり、それらが季節へのメッセンジャーであり導き手なのでしょう。前回の雪の日選挙、今回のほぼリアルタイムの桜。身近なことを優しく語れる、今をそんな風に見ています。なかなか良いのですが、評価の初回は恒例で佳作二歩前からでお願いします。
3 埼玉のさっちゃんさん 「生きている」 4/5
常にシンプルで思いを素直に表現するその作風はすでに定評であり、僕も愛好するところです。
その日は、ちょっとついてなかったのかもしれない。だから、反作用で逆のことを思う。
そうですね、そうあるべきですね。「小さな幸せ~~~必ずいてくれる」。ちょうど詩の主要部分を成しています。ここは全て良いのですが―
「一生懸命なのを見てくれている人は必ずいてくれる」が最も好き。それを目指すか、目指さないか、で生き方の質はだいぶ違ってくるだろうと思います。たとえば、誰かが「ああ、あの人はとても〇〇だから」と言ったとします。その○○に入る言葉が前向きだったり、評価する形容詞だったら、さしあたっての努力は報われたことになるのではないでしょうか。
もうひとつ、この詩で考えていたことは「若さ」ということでした。この言葉は相対的で曖昧なものですが、僕にとって具体的に言うと「現役世代の若さ」、そんな感覚です。この詩はそんな感覚を感じます。若さにふさわしい思いですね。現役をとうに過ぎた僕はこういった感覚を殊更持ったりすることが少なくなりました。だから、こういう詩は書けないし、ちょっと羨ましいですね。甘め佳作を。
アフターアワーズ。
終わりは同じフレーズで、ちょっともったいないかな?バリエーションをつけてもいいでしょう。
いつも通り、素直なものでいいですよ。
評のおわりに。
「三浦大根」
3月30日付、皆伝者・源田晶子さんのコメント投稿に「“三浦大根”という題で書こうかなと思ったこともあります」というのがありました。ありがとうございます。面白かったですね(大笑)。
この白首系大根は過去に隆盛を極めましたが、今の出荷量はご当地三浦半島でも1%程度に激減して今は青首大根にその首座を譲っています。ただし地元の歴史的名産品なので完全消滅はさせないそうです(主に年末~正月用に出荷)。
そこで僕が思い出すのは、司馬遼太郎氏が三浦半島を取材で訪れた時、土地の人から三浦大根料理の振る舞いを受け、感慨を記していることです。それが大根のように味が染みた一文なので、少し長いですが、引用したいと思います。
「日本国語大辞典をひくと、ちゃんと出ていた。三浦半島中南部で多く栽培される品種で、根は円柱形をなし、尻まで肉付きがいい、という。甘味があり、主として煮て食べる。沢庵にもいい。みごとな大根料理だった。ナマスもあれば、つけものもある。さらにぶあつい水煮の大根をミソで食べ、あわせて醤油で煮たのも頂戴した。十分に三浦大根を賞味した」 (「街道をゆく・三浦半島記」朝日新聞社・1996年6月初版)
ただし、かく言う僕は大の大根嫌いです。かくして、この一文は大根の大きさ・太さのような矛盾をはらんでいるものなのです(苦笑)。 では、また。