◎2026年 4月14日~4月16日ご投稿分、評と感想です (青島江里)
【2026年 4月14日~4月16日ご投稿分、評と感想です】
☆白い名札 松本福広 さん
コロナ禍の時代を彷彿させる空気感と自身の存在を確かめ、胸に刻もうとする心象風景を、白という色と布に重ねながら一つの世界を完成していこうとされている作品だと感じました。全体的には静かなイメージのする作品ですが、その中にもしっかりとした芯を感じられる作品だと思いました。
コロナ禍→マスク、隔離、消毒とイメージさせることで、白、始まり、リセットの意味が自然と結びつきました。そこからまた奥に踏み込んで、「白」については、時間の流れに応じて潔白、狂騒と、幾層にも意味を変えて変容させています。その変容の成り立つ様子、後になればなるほど、じわじわとしみてくるようなものを感じさせてくれました。
少し気になったところは、時間軸についてです。五連目の「以前と呼ばれた頃、以後と呼ばれた場所/その中間。」の表現は、個人的には、少し迷ってしまったので、迷いにくそうな言葉がみつかればよいなと思いました。それから、その後に続いている「鉄にも似たような圧の声」なのですが、無言なのか、それとも世間なのか、何らかの組織なのか……等々、はっきりではなくてもいいので、主語を表すような言葉を示せば、より伝わりやすさが高まると思いました。
コロナ禍という大きな悲劇を直接語らずに、白というカラーや布、消毒などのモチーフだけを使って静かに表現したところや、その表現の中に、時代の息苦しさを感じながらも、どうにか生きていきたいという心の表現を投入した組み立て方は上手だなぁと思いました、ある時はマスク、またある時は消毒液を含ませた白い布が、最後には一枚の名札になって、この時代に生きていた証になる名札に変わる表現も、強い意志を感じました。まるで白い布が生きているかのような変容の表現でした。そして独創的でとても印象深い表現でした。少し気になる部分があったというものの、これらの詩の構成やモチーフの取り入れ方、言葉のイメージの一体感や、言葉織りなすイメージの変容の方法等が、圧倒的に気になる部分をカバー、覆いつくしてくれているように感じました。今回はふんわりあまめの佳作を。
☆雨を歩く aristotles200 さん
雨の中を歩くという行為自体が、日頃の沁みついてくる闇雲を洗い流すかのような「浄化」を感じさせてくれる作品だと感じました。
三連目の「雨に散る花びら」は哀愁をイメージさせるものでしたが、続く「薄緑の桜並木」からは「新緑」という新たな芽吹きやその周辺に広がる初夏の光を感じさせてくれ、心象の部分では「ほのかな希望」が浮かび上がってきました。
自然の時の流れを思わせてくれた連から続く「森の匂い」に関しては、吸い込むだけにとどまらず「ゆっくりと元に戻す」とした表現したところがとてもよかったです。たとえば、雨が降って空に戻ることや、二酸化炭素が酸素に変わるなど、自然の循環をイメージさせてくれた印象深い連でした。人間も自然の一部であるということや、雨もやがて晴れに変わるなど、未来に関する光も間接的に感じられました。
少しだけ気になったところは五連目です。「人間の喧騒と穢れ/嫌悪」ですが、この部分をもう少し具体的に表現すると作品の全体像がくっきりとすると感じました。
最終連の「雨と私が/ここにいる」……ここに在るだけという存在の意識がクローズアップされているところがよかったです。このままでもよいのですが、個人的には雨と私の一体感を更に印象付けるという意味で「ビニール傘を下ろす~」の連の「見つめる」を過去形にして(いつの間にか感を出すため)最終連の手前に置くと、雨の音が深まり、雨と私が見つめ合っているというような「雨と私だけ」を更にクローズアップすることができるような気がしました。一例として、少し手を加えたものを置いておきますね。何かのお役に立てればうれしいです。
人間が
人間にする
愚かさと哀しさを
洗い流している
ビニール傘を下ろし
一つ一つの雨粒を
顔に感じながら
空を見つめていた
雨と私が
ここにいる
雨の情景と心象の部分の重ね合わせがとても繊細で、静けさや余韻の感じられる作品でした。今回は佳作半歩手前を。
☆Agneau Pascal ―春を告げる仔羊― ゆづは さん
目に見えるものや、香ってくるもの、触れるものを一つの空間で一体化。ここは、あたたかな日差しのある静かなキッチンだと、自然と感じることができました。また、二連目では、復活祭という特別な日であることを示しており、今日のテーブルのメニューは、特別な日のものだということを察することができました。一連目の最後では「香ばしい焼き色の/仔羊が目を覚ます」というところが、何かを比喩しているものなのか、それともテーブルにある食べ物かということで読みどまりになりそうですが、詩の終わりの注記があるため、「アニョー・パスカル」という言葉の意味と同時に、すぐに状態を理解することができました。通常の読み手の立場を考えた推敲の丁寧さを感じました。
二箇所にある対比の表現にも注目。①(二連目)復活祭を告げる鐘の音/テーブルに ひそやかに佇み……外界の音と室内の静けさの対比は、空間の高さや奥行きを感じさせてくれて、とても立体的な風景を感じさせてくれました。
②(三連目)ナイフを入れる その痛みさえ/ひとくちごとに/喜びに変わる……ナイフを入れるという痛みを伴うイメージと反する「ひとぐちごとに喜びに変わる」という言葉。凍てつく冬の痛みから解放されるイメージを感じさせてくれると同時に、あまくやさしい春の到来のイメージをふくらませてくれました。
そして終盤では「分厚い毛布を 折りたたみ/窓を明け放てば/こぼれる花の香り」という、日常にある所作を用いて季節の訪れを表現しているところも、自然と景色が浮かんできて心地よかったです。そして、外の世界につながる光や風を感じることができるところも丁寧な気持ちを感じました。
焼き菓子のことと季節の移ろいに焦点をあて、その世界観が最初から最後までブレていないところも好感を抱くことができました。ずっと同じリズムが続いていて、このままでも充分ですが、作中に抽象的な比喩を混ぜ込んで印象付ける余白もありそうですね。とてもなめらかで、おだやかなイメージのつながりを感じられる作品。佳作を。
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いつもできること、長くから身近にあるものが、どれだけありがたいものか、心強いものなのかを、
いつも以上に感じるこのごろでした。今日をありがとう。
寒暖差の続くこの頃。どうぞご自愛くださいね。
みなさま、今日も一日お疲れ様です。