メビウスの名前 松本福広
たった一人の親なんだから。
終わりが見えない介護の弱音を漏らした時
他の人から放られた言葉。
たった一人の子どもなんだから。
一般論や、他の子との比較に苦しむ時に
親に言われた言葉。
立場のねじれが1という
貴重な数字として還元される厳しさは
まだ1回も折っていない紙のように硬い。
神様は老いてゆく母に
残りの人生を歩いてほしいらしい。
欠けてゆく恐怖への処方箋に
忘却だけを包んで寄越した。
情報提供書は白紙のまま
メモにするか、子どもの折り紙になるしかない。
帯状に切った紙の端を180度ひねり
端と端を貼り合わせて
表も裏もないという不思議な輪。
母が見せてくれた
不思議な輪の名前を思い出せない。
紙が切られる。
自分で切った訳ではない……はず。
大切にしていたことすら
手から落ちて
切れ目の中にこぼれていく。
切った断面を眺めることしかできない中で
失われないものは名前。
親から子どもに与えられ
生涯に寄り添う名前。
誰かから裏切られたり
後ろ指をさされる明日でも
残るもの。
神様よりも近くにいて
神様を教わるより先に
与えられたもの。
それを与えてくれた人とは
紙の端と端にいるようだ。
近くにいるはずなのに触れ合えない。
一枚の紙のように広がるなだらかな関係が
細い帯のように頼りない関係に変わる様は
裏返しただけで説明がつかない。
言い争うことも増えた。
そういうものだとは知ったつもりだ。
知っているつもりでも
我慢できなくなる時がある。
ねじれてしまった、たった1つの……。
切っても
切られても
ねじれても
端と端が繋がったまま
歪なままでも
表も裏もなくいられる形の名前。
ねぇ。
ふと朧げに浮かんだ
安心する『名前』を呼んだ。
名前とは不思議なものだ。
神様が本当にいるかはわからないけれど
それだけは、ずっと私のそばにあった。
振り返れない身体でも
きっかけがなければ思い出せない
おぼつかない今でも
懐かしい響きとして耳に入る。
私も誰かに
そんな名前を与えられただろうか。
今、読んだ名前は
そうなるように
誰かに
望みを託した『名前』だ。
たった1つの。