MENU
1,994,126

スレッドNo.7175

4/28〜4/30 ご投稿分の感想と評です  荻座利守

4/28〜4/30 ご投稿分の感想と評です。宜しくお願い致します。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4/28 「改札」 aristotles200さん

とても面白いですね。どこか小松左京の小説を想わせるような感じの作品です。
目に見えて触れることはできても、現実の世界とは隔絶されいるという状況は、何となく現代の社会を生きる人の姿に似ているようにも思えました。
まず駅員が対応し、救急隊が呼ばれ、警察が呼ばれ、医師、大学の先生と、事態が徐々に大きくなってゆきながらも、最終的には何もできずにアクリル板で囲われて終わりという展開が、今の世の中を風刺しているかのようです。
さらに続く、核戦争や太陽系の終焉という展開も、人の営みの儚さ無常さを表していていいですね。
表現の面では、3連目の
「よっこいしょ
 …びくともしない」
「さあ、みんなで
 よっこいしょ
 …やはり、微動だにしない」
というところが、どこかユーモラスで巧みだと感じました。
また、後半の寿命を迎えた太陽が
「最後は白色矮星と化し
 何処かへ行ってしまった」
という表現も、時の経過の虚しさや寂しさをうまく表していて効果的だと思います。
ただ欲を言えば、これらのような効果的な表現がもう少し欲しいかなという感じもしました。
例えばユーモラスさについては、昇降機が壊れる直前の異音について、「腰の痛みに呻くような」とか「過剰な負担に不平をもらすような」みたいな、擬人化した表現を入れても面白いかもしれません。
また、宇宙空間に一人で浮かんでいるところは、「一人」を「独り」と表記したり、「無重力に塗りつぶされた孤独に包まれて」とか「無重力さえも感じられぬ孤独を纏って」みたいな比喩を入れても効果的かなとも思います。
でもこれらはあくまでも「欲を言えば」のことで、特に問題視するほどのことではありません。
そして、最後に現実に戻ってきて、
「だ、大丈夫です
 そのまま
 改札を出た」
という表現で最後を締めているところに、日常に追われる現代人の侘しさや哀しさが滲み出ているようにも感じられていいと思います。
評につきましては、佳作としたいと思います。


4/28 「永遠のカタチ」 三津山破依さん

永遠への憧憬を描いた作品ですね。永遠が欲しいのにそれが何なのか、どうすればいいのかわからない。
「そもそも永遠がどんなものかさえ分からないのに。
 「永遠」と名札に書いて、
 突っ立ってくれていたら良いのだけれど。」
という表現が仄かに微笑ましく暖かい感じがしました。またその後の、「黒い爪楊枝」や「金平糖」の比喩も穏やかな感じでいいと思います。
そして最終連では、永遠との接続と出逢いの大切さを描いていますね。
誰もがその寿命の限られた有限なる存在です。でもその有限なる時間は、「永遠」の一部でもあります。「誰もがポケットの中に永遠のカケラを隠し持って」いることは、そのことを表しているように感じました。
でも自分の時間は、無条件で永遠の一部なのではありません。そこには他者との出逢いが介在したければなりません。その出逢いにより、自分の生命の有限なる時間は永遠に接続されるのでしょう。
「なんかヘンテコなものでも、
 二人で作ったものなら
 それはそれで一つの永遠のカタチ。」
というところに、そのことが表されていると思います。そのようにして己の生命を永遠に接続させることこそが、「一つの幸せのカタチ」なのでしょう。
ただ、個人的には最後にもう一度、「永遠を探しに旅に出よう。」という決心に戻ってきてほしいなと、そんなふうにも思いました。
永遠がどのようなものかはわからない、でも共に永遠のカタチを作り出せる人なら探し出せるだろう、という希望を最後に示してほしいなと、そんなことを考えました。
でもこれはあくまでも個人的な感覚に過ぎず、全体としてうまくまとまっています。
評につきましては、佳作としたいと思います。


4/30 「白日の淵」 ゆづはさん

外側に見えるものを手がかりに、自分の内側へと深く沈降してゆく、そんな印象を受ける作品です。
「窓枠に収まっていた空が/年を追うごとに/狭くなってゆく」とは、周りに高い建物が建ってゆく様を顕したものでしょうか。
「かつての月光を 
 幾何学に切り取る」
という表現が、その冷たさや無情さを表していていいですね。
そして次の連でその描写は、客観的なものから主観的なものへと移ってゆき、ここが内面への入り口となっています。光を奪われたのではなく、自分の余白がこの形をしていただけ、といった表
現が内面への入り口にふさわしいと感じました。
その後の、
「使い古したブランケットを
 畳むように」
「無音の時間が
 足元から満ちてくる」
のような表現も、内面の静謐さを美しく表していますね。
ただ、あまりにも繊細であるが故に解釈が難しいところもあるように思えます。
「日々の手垢がついた記憶を/一枚ずつ 奥へ仕舞い込む」と、「過去という薄い皮膜を/爪先で そっと剥がせば」とは同じことを指しているのか、それともそうではないのか。この「手垢がついた記憶」とは日常の雑事についての記憶なのか、忘れられず心に日頃から心に絡みついている記憶なのか。でも絡みついているものならば「薄い皮膜」ではないはずではないかなどと、いろいろと考えてしまします。
でもむしろ、細々とした理屈による解釈などせずに、表現や雰囲気を味わえばいいのかもしれませんね。
透けて見える名づけようのない光。すべてを放してゆく白日の淵。窓枠の中の欠けた空が、そんな自己の内面の仄かな光が顕れるための触媒となっている。そのことを美しく描いた作品だと思いました。
評につきましては、佳作としたいと思います。


4/30 「夢味」 相野零次さん

ファンタジーのような、あるいは絵本のような感じのする作品ですね。タイトルから推測すると、夢に見た情景からインスピレーションを得て描いたのでしょうか。
まず冒頭の「僕はある日 夢色の接着剤を見つけた」という一文から非常に独特で目を引きます。その後の描写も、どこかシュールレアリスムを思わせるような内容です。そして
「もうこの世界に僕という世代は存在しない
 全てが混沌としたシチューのように煮込まれている」
というところは、どこかインド哲学の不二一元論を想わせる表現ですね。さらに
「果たして意味などどこにあるのだろう
 愛してるって誰かが言った
 僕もだよって笑いかけた」
というところは、ウィトゲンシュタインの言語ゲームの言う、「言葉の意味は、その使用にある」ということを思い浮かばせます。
こうして観ると何やら哲学的な内容にも思えますが、その後の展開はやはりファンタジーですね。
「赤黄緑の三色のグミでできたトランポリン」という発想に、何ものにもとらわれない自由さを感じました。そして
「夕焼けが僕らを焦がしにやってくる」
「優しく焦がして愛しく食べてね」
というところはやはり、シュールレアリスムを思わせます。
シュールレアリスムの提唱者である詩人アンドレ・ブルトンはオートマティスム(自動記述)による詩を多く書いたそうです。このオートマティスム(自動記述)とは、理性によるコントロールを止め、思い浮かんだ言葉や線をそのまま描き出す手法とのことです。
この作品は全くの自動記述ではないようですが、それに近いものが感じられます。とても興味深い作品ではあるのですが、抒情的な面がやや弱い感じもします。それでもやはり、鮮烈な印象を与える詩だと感じます。
評につきましては、佳作一歩手前としたいと思います。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top