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スレッドNo.7363

◎6月 9日(火)~ 6月11日(木)ご投稿分、評と感想です。  青島江里

大変お待たせいたしました

◎6月 9日(火)~ 6月11日(木)ご投稿分、評と感想です。  


☆口  aristotles200 さん

会議室に入ってのミーティング中の出来事。出てくるものが半端なく不気味。蜘蛛に、ヤモリ。古い建物であるからか?それともAさんの頭の中でのイメージの世界の出来事なのか?考えれば考えるほど、不気味さは増します。

登場するY課長についてのイメージ。会議中に蜘蛛やヤモリを追いはらうために、会議中だというのに机をたたく行為。このような描写から、Y課長の周辺のことを考えない、無神経さが伝わってきます。また、会議中、人の話を聞かないといけない時、ガムを嚙むという行為についても同じようなイメージが湧いてきました。と、思いきや、追い払うだけでなく、読み進めると、動かしている口にしっぽが見えた気がする?????・・・・・え?え?え?これはいったい?!

これはいったい、ホラーであるのか?いや、気がするって言っているのでただの気のせい?それともコメディー?でもなぁ、生臭いってことは???拝見すればするほど不気味さが増します。エンディングがさらに不気味です。Aさん自身もどこか空腹を覚えたって?????背筋に寒気が走りました。いったいここはどこなんだ!登場人物たちの正体は人間なのか?それとも???

蜘蛛から始まり、ヤモリ、そして、Y課長の口、そして、その口を見てのA氏自身の感覚。段階的に不気味さが膨らんでいくところのインパクトの大きさ!

インパクトについては絶大なものがありました。全体的にみて、口にしているものの気持ち悪さについての焦点があたっていることについてはわかるのですが、その行為が匂わせているものについての意味を、今回は私自身の力不足により、感じることができませんでした。いいえ、特にないというのでしたら、あと少しだけ踏み込んで、コメディーよりにして笑わせたりするのも面白いかもしれません。

Y課長の行為について「~した気がする」という言葉を用いているところ、この曖昧さがこの作品の特徴なのだと思いました。また、ホラーとコメディーの中間的な、なんて言っていいのかわからない気持ち悪さが印象深く。今まで接したことのないアプローチの方法。とてもユニークな作品でした。今回は佳作一歩手前で。



☆nuage d'orage  上原有栖 さん

ニュアージュ・ドラージュ。フランス語なんですね。響きが映画のタイトルのようです。今回の作品がこの言葉から膨らんできたものでしょうか。それとも映画を鑑賞された後に浮かんできた心を描写されたものでしょうか。いずれにせよ、嵐の前の情景と、にんげんの言葉を絡めながら表現された数々は美しく、そして力強いものがありました。また、生きてゆくことの辛さや不安を感じることもできました。

「道の端で立ち昇る蚊柱/一寸の虫にも五分の魂が宿っている」という表現は、この作品の中で一番胸に残りました。小さきものも、にんげんも、生きるということについては同じなのだという、命の重さを感じることができました。

最終連のあたりで「愛と奇跡」を唱えるところ、恐ろしい嵐の後を想像すると、この「愛と奇跡」という言葉が更に身に染みてくるように思えました。また、作中の嵐は風が強すぎて恐ろしさを呼び起こすものだけではなく、生きてゆくことについて巻き起こる、人間の怒りや叫びのようなものも重ねられていると感じさせてくれました。佳作を。



☆あと一回の、朝飯。 トキ・ケッコウ さん

作家の「あと何回かの晩飯」のタイトルを対比させ、「朝飯」に置き換えて考えたところが目を引きます。一日の終わりではなく、一日の始まりに着目することで、明日あるかないかもわからない生きる時間についての「一秒一秒を生きている今」を浮かび上がらせています。生きるということと、病についてのこと、そして、迫ってくる命の終わりの三点について、蛹になる前の幼虫の様子を重ねたところ、幼虫が次のステージに進むためにひたすら、むさぶるように食するイメージは、生きることについての、あるいは、次の世界に生まれ変わるための熱を感じさせてくれました。

二連目の「ひるがえって」ですが、全体的に見て、この部分だけ少し硬い評論調の言葉で浮いてしまっているように感じました。「では」等にする、省略して改行にしてみるのもよいかなと思いました。また、その先の「シリタイカ」ですが、来客について触れていることもあり、誰かに対してか自分に対してかが、少しわかりにくので、もう一歩踏み込んでみるのもいいかなと感じました。また、最終連の「あと一回の朝飯」についてですが、今日が本当の最後かもしれないという強い覚悟を表現するのであればこのままで伝わると思いますが、前の方の連で「あと何回かの朝飯」となっていて、それを受けての「あと何回かの内の一回」をさすのでしたら「あと何回か分からない朝飯の、その一回」等にすると、より伝わりやすくなると思いました。


五連目のカタカナの使用は、病による体への異物感を読み手に感じさせ、効果的だと感じました。また、作中で登場する「奮発した胡桃パン」も、閉鎖的な病室に、一瞬の外からの風を感じさせてくれるモチーフになっていて、新鮮でした。

幼虫がモサモサと食するイメージの落とし込みは、食を楽しむとは違う、日常を生きていくための本能的なものを感じさせ、とても印象深い表現でした。今回は佳作半歩手前を。


☆ペアダンス  月森うさこ さん

水色と黄色の金魚鉢に、金魚の色。とてもカラフルで、頭の中の世界に、視覚的にもよい刺激を与えてくれました。風呂上がりの半裸状態の生活感増し増しの日常の風景からの「虹の橋を越えて/ロミオとジュリエットが目指した/愛の果てに星空へと旅立った」という、ファンタジーな世界へのスライドは魅力的でした。

少し読み止まってしまったところは、五連目でした。「出目ちゃんを優しく抱いて/ブリちゃんの元へそっと落とす」とあります。先頭で金魚鉢が二種類ありますが、五連目付近だけを見ると、別々の鉢にいた2匹を一つの鉢にいれていたという状況が分かりにくくなっている感じがしました。「一緒のところにどうぞ」等の意味合いのある言葉を加えてもよいかなと思いました。

六連目の「ガブリ」はいわゆる、共食いのシーンを彷彿させますが、ホラーのような状況表現の後に出てくる「社交ダンス」という言葉で、共食いとは違う別のことを描いているのかなと、一瞬迷ってしまいました。このシーンが単なる捕食ではなく、番いになる愛の儀式であることが伝わるように、「ガブリ」を、「抱擁する」や「引き寄せる」などのやわらかめな言葉にしてみるのもよいかもしれません。

全体的に見てオノマトペが多めですが、日常の様子に使用する分はバランスよく使用していると思うのですが、ファンタジーなシーンでは、少し多めになっていて、せっかくの美しい世界が少しあどけない世界になってしまいそうです。こちらを美しい動詞や名詞にかえてみるのもいいかと思いました。
全体的に生き物に対する愛情と日常から湧き上がってくるどこか切ない世界観が凝縮された作品になっていると思いました。今回は佳作一歩手前を。



☆寂しさ  相野零次 さん

タイトルの「寂しさ」からうかがえるように、「寂しさ」について表現された作品なのですが、寂しさを唯一の理解者として擬人化している視点が、読み手をより一層、詩の世界に引き込んでくれる気がしました。

鏡の前に座るシーンを取り入れるシーンでは、鏡に映すという表現で、自分が自分ではなくなってしまうような、自分が一体誰だか分からなくなってしまいそうな心情を明確に描きあげていると感じました。また、その一刻、一刻にある緊張感のようなものも引き出せているように思いました。

また、ひげを剃るという行為を取り入れるというシーンでは、体の内面から伸びてくる阻害したいものを、すべて削ぎ取ってしまいたいという心情を映し出せているように思いました。ずっと同じことをしていて、見たくないものを削げなくなってしまったという行為を、新しく刃を変えて、削げなかったものをすべて削いでゆくという行為に掛けたところでは、より一層のリアルな生々しさを感じさせてくれました。

このままでもいいのですが、「チカチカ点滅する光」について、暖色なのか寒色なのか一言付け加えると、その光のイメージが広がり、更に読み手のイマジネーションを深めてくれるように思いました。自分の中の真実に対する模索と、孤独に対する依存的な心情のリアルを生々しく表現された作品。佳作を。


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梅雨シーズン到来。今年は早くも台風まで到来。なぜ一気に二つも・・・・・・。
みなさま、どうか、どうか、ご安全に。

今日も一日おつかれさまです。

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