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スレッドNo.737

評、9/16~9/19、ご投稿分、その1。  島 秀生

残り8作は、明日の夜に。


●エイジさん「星物語」

うーーん、3つあります。
・「第一人者」と「第一発見者」は違う。
・「ある地球の偉い人が」と現在形で言ってしまうと、少女が第一発見者にならない。「昔」とか「星になる前に」とか、今の姿でない過去に言われたことという条件を、そこはつけて書かないといけない。
・このラストは、終わってる感じがしない。示唆が見えない。示唆を出さないのだったら、いっそ、

 彼女は「ふーーん」と言って、また星物語を読み始めた

と、肩すかしする方が、少女らしい無邪気さが出る。
現状はちょっと半端なものに思う。
1~2連の設定は悪くなかったけど、もうちょっとお話自体を練りましょう。
おまけ秀作で。


●荻座利守さん「心の脱分化」  

初連がちょっと唐突なので、初連の前に、こんな感じの2連を入れてはどうですか?

 知っているだろうか
 イモリは特別な再生能力を持っている
 最初の発見はかれこれ二五〇年前のこと
 よく「トカゲのしっぽ切り」というが
 これはしっぽに限った話ではない
 手足や脳や網膜、心臓の一部まで
 体のさまざまな部分を失っても
 イモリは完璧に再生することができるのだ

 これは組織を構成していた骨や肉や神経が
 必要な時その役目から脱分化し
 元の未成熟な未分化細胞に戻り
 そこから欠けているものへと変化し
 生成し直す特殊能力なのだ

私ならここから始めるけどね。
文体が違うから、これを叩き台にして、
自分の詩に合うようにアレンジして下さい。
初連の前につける2連という位置づけです。
また、

 人間はイモリのように
 体は再生できないけれど
 心は再生できないのだろうか

要するに、「イモリ→人間」「体→心」に話は移動するので、こういう一文をプロセスに挟んでもいいと思います。
これらを含めて、もちょっと壮大な話の構成にしてもいいと思います。
一個注意は、現状はいきなり自分(私の心)が出てきますが、もしこれと繋ぐとすると、まず人間全体の話をしてから→自分の話へと、落とし込む必要があります。話の順番として。

ちょっとそういう構想で作り直されてみては、どうでしょうかね。現状の詩は、私にはなんとなく詩の中盤~後半だけがある(前の方がない)って感じに読めるんです。そのポジションにおいては、思考深く書かれていて良いです。また、心の再生については個人的・感情的に、強く思うところもあるようです。
今回ちょっと、秀作にとどめておきます。


●秋冬さん「抱きしめる」  

いい詩だねえーー 

出だしからすばらしいね。
この言葉の繰り返し、小さな子は言う言うと思った。場面がものすごく浮かんだ。
子供を描くに、このひとことをチョイスしたのがすばらしいと思った。
そして、

 上手く
 説明することは
 大事だけど
 上手く
 説明できないことは
 恥ずかしいことではない

は、名言ですね。
今の小学生は総じて、説明をきちんとできる子が多いので驚く。テレビカメラの前でも堂々としてるし。私が小学生の頃って、人から誤解を受けても、いやそうじゃないんだと、説明することがほとんでできなかった気がする。勇気とかいう以前に、説明下手で、すぐに言葉が出て来なかった気がする。でもそれって、損はするけど、人間的に恥ずかしいとかいう話ではない気がする。どっちかというと、生きていく要領の悪さみたいな類いのものだったかもしれません。
この詩行は端的な書き方だけど、的を射てますし、作者の強いポリシーを感じる言葉でもあります。

 泣いた理由なんて
 なに一つ覚えていないのに
 母に抱きしめられたことは
 今でも覚えている

この連も泣かせますなあー
泣きじゃっくりしてるところも、幼子らしい様子が浮かぶ。
名作を。

1点だけあります。
終連終行の
 だけなのかもしれない

ですが、詩の途中であれば、こういう詩行の置き方(その前の行まで全く気配を見せずにしておいて、逆転する繋ぎ方)でOKなんですが、ラストは、これでは締まらない気がする。ラストに置く間合いのものじゃないというか。

 わたしも娘も
 母に
 ただ抱きしめて欲しかった
 だけなのかもしれない

 わたしも娘も
 ただ母に
 抱きしめて欲しかった
 それだけなのかもしれない

 わたしも娘も
 母に抱きしめて欲しかった
 それで充分な
 ものだったのかもしれない

このいずれかでどうですかね??? いずれも前フリが入って、おさめてるものです。


●さくたともみさん「夜の窓辺」  

うむ、良いと思います。
まず、初連がステキな表現で、惹かれます。

2連の、
 孤独な車が遠くを走り去った

も、深夜らしい臨場感を掻き立てますね。
続いて、虫、星、月明かり、雲のラインナップがあり、3連、

 密やかに運ばれてくる友人たちは
 みんな寂しがりやのおせっかい

それらを「友人」と呼ぶ、作者の孤独なハートがステキです。
そして終連では、孤独なもの同士、互いに交流を深めているようです。
さくたともみさんは、私は初めてなので、今回は感想のみですが、この詩はマルだと思いますよ。

細かいとこ、少しだけいうと、
「星ら」 → 「星たち」に
「深い寂しさが見えない根っこで繋がっている」は、
「深い寂しさが」のあとに読点「、」を入れた方がいいですね。切れ目を間違えて読まれると訳分からなくなる1行ですので、そこで区切っておきましょう。


●秋庭燈火さん「中秋葬歌」  

なにより良いのは、月を見上げるワンシーンに集中して、これを書き上げてる点です。このワンシーンに、実にいろいろな想いを交錯させていて、おもしろいです。

 おろしたての靴の中でそっと指を折る

の繊細描写は、なんだろうと思ったけど、靴擦れしてたんですね。
また、

 揺れるその手を握ろうか迷う
 手を伸ばして、やっぱりやめた
 宙ぶらりんになった手で月を指さした

という、複雑にごまかした所作や、

 来年も、とあなたは言わない
 だから私も言わないの

というビミョーな駆け引きしてるのも、おもしろいです。
ワンシーンに集中してるから、こういう掘り下げたものも、出てくるんだと思う。
うむ、良いね。秋庭燈火さんは私は初めてなので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルだと思います。

1点いうと、

 息絶えた蝉がどこかで墜落した

この行の「墜落した」はやめたほうがいいですね。
というのも、当然ながら蝉は通常夜に鳴かないし、この蝉が夜鳴いているのは、鳴き方から想像するに、おそらく寿命が尽きる断末魔だからで、すでに地面の上をくるくる回っていそうだ。まあ例外はゼロではないけれど、そう考えた方が自然な場面なので、そのイメージに沿って、すでに地面にいると考え、この段階で木から落とさないほうがいいですね。


●暗沢さん「丘の上で風が吹いた」 

初見ではちょっと読み取りにくいものがあるのだけど、二度三度と読み込むと味が出てきます。全体が暗喩に満ちていて、おもしろいと思う。
「宮殿」と喩えたものが、はたして何だったのか、具体的に特定はされてないけれど、例えば、青年期に大言壮語した友の、大志と挫折が描かれているのだと思えば、この詩は見事に当てはまってくる。そういえば、私の知人にも起業したものの、うまくいかなかったようで、負債から逃れるためなのか、行方不明になってる知人がいる。そういうイメージで読むと、ピッタリなのかもしれない。
また、その行方不明の状態を、

 ところできみはかくれんぼが実に上手かった!

と喩えたのも、ウイットがきいていて、良いと思う。
一見、雑に見えるのだけど、読み込むとちゃんと味がある、いい詩です。
秀作を。


●cofumiさん「濡れたサドル」
  
まず、部分の表現として、

 見えない時間は
 墨汁で一杯の海

この表現はおもしろいですね。全体との脈絡では私はちょっと浮いてる気がするけど、断片の表現としては評価します。

うーーん、私には、私が懸念していたことが、cofumiさんに起こってる気がするけどな。元となる文章が崩れてるんだけど、短くちぎって書いてるから、自分でその間違いに気付いていない。
個々の形容や比喩には妙味があっていいんですけど、それらは全て、土台となる数行のセンテンスの上に乗っているものなんです。
この詩は土台がおかしい。
2連、3連は挿入部なので、これを除外して、

 「濡れたサドル」

 君がお気に入りの傘は
 私の腕の中で
 二時間待ち続けている

 君がお気に入りの傘は
 君の姿を確認できるまで
 待ち続けるだろう

 君が 違う貝殻を 見つけて
 雨宿り していても


この詩はこれが土台なんですけど、作者がこれに違和感を感じていないところが問題なんです。私はこれが成立しているような気がしないんです。
以下、このタイトルとこの3連において述べますが、

まず初連。「待つ」って意味合いは広義に捉えれば、まあいろいろなケースがあるだろうといえばあるんですが、通常は、じっとしている方が「待つ」で、動いてる方に「待つ」は使わない。この初連の主語・述語、「傘は/待ち続けている」おいても同様で、詩的イメージとしては、その場でじっとしている方が「待っている」イメージのものなんですよ。そもそも動いてる側に「待つ」を使うのは、かなり特殊なケースです。
したがって、これは動いてる人間側(作者)が持ってるのではなく、自転車置き場の自転車が持ってるのかな、ということになるんです。よく傘を自転車に差してる人いますよね。そのイメージで読むことになります。
もしそうでないなら、作者が伝えるべき表現をどこかで間違えてるということです。

敢えて「待つ」を逆の方に使うことは不可能ではありませんが、その場合は、自分が敢えて逆に使ってるんだという意識をまず持つことです。それで、その代わり他のもので、逆がわかるようにカバーしとこうというフォローの考えを持つことです。すなわち、この場合においては、周りの言葉は略してはいけない。周りの言葉がフォローになるからです。「逆を行く」+「フォローもしない」では、読み手に伝わるわけがないという感じです。
あのーー、省略技法を早くから使うと、ホントは土台が乱れてるのに、それを曖昧にしてしまう。自分で土台の乱れに気付かない。私の危惧がまさに出てると思いますよ。
要するに、元の文章をちゃんと書いて、そこから略していったとしたら、絶対こういう略し方にはならないということです。断片しか書かないから、元の文の乱れに自分で気付けてないんですよ。

比喩のセンスがいいのは認めますが、この状態だと部分で光る比喩にしかならない。全体に機能して、全体を光らせるような比喩にならないです。
ベースになる文を、まずきちんと作ることを心がけて欲しいです。
一歩前です。


●埼玉のさっちゃんさん「自身とは」

まず、言いたいことは伝わるという点で、基本線はOKなんだけど、1つ知っててほしいのは、思考のみで詩にするのは、なかなか難しいことだということ。
それなりの年齢で、知識と経験を重ねた人の含蓄。あるいは日頃から深い思考を重ねてる博識な人など、思考だけで詩を書こうとすると、それなりの資質を持ってる人でないと、なかなか書けんものなのです。正直言って、私も思考だけの詩は書けません。それだけでは持ちません。

埼玉のさっちゃんさんの思考にも、

小さな悩みでも
考え出したらきりがない
自分ががんじがらめになってしまうから

この3行など、優れたところがあるのですが、どっこい、これだけでは持ちません。じゃ、どうするかってことなんですけど、内的思考だけで詩を終わらせないことです。そこもあっていいんですけど、それだけで詩を終わりにしないことです。
例えば、この詩おいても、最初と最後で「風」を書いてるんですけど、ものすごくおざなりです。ついで、です。真剣に「風」を書いていない。そこがダメなんです。周辺となる部分もしっかり書かないと。「風」と「自分」とが、どういう状態にあるのか、短い物語になるぐらいに書いてご覧なさい。私も含め、資質のない人間はそこが大事なんです。そういうとこも含め、全体バランスで読ませるようにしないと。

違う観点からいうと、結論だけ書いちゃダメってことですね。「迷い」を書く時は、迷う様を描くことこそが大事です。また、内的つぶやきを、外的行動で表現するのもアリです。

というところで考え直してみて下さい。
それと、自分の詩を磨くためにも、ほかの人の詩やMY DEARのHPなども読んでみて下さい。ほかの人の詩を読んだら、自分の詩がなくなってしまう、なんてことは絶対ありませんので。むしろ反発する形で、自分の詩がくっきり浮かび上がってくるというさえ、ままありますから。
半歩前です。

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