評、9/16~9/19、ご投稿分、その1。 島 秀生
残り8作は、明日の夜に。
●エイジさん「星物語」
うーーん、3つあります。
・「第一人者」と「第一発見者」は違う。
・「ある地球の偉い人が」と現在形で言ってしまうと、少女が第一発見者にならない。「昔」とか「星になる前に」とか、今の姿でない過去に言われたことという条件を、そこはつけて書かないといけない。
・このラストは、終わってる感じがしない。示唆が見えない。示唆を出さないのだったら、いっそ、
彼女は「ふーーん」と言って、また星物語を読み始めた
と、肩すかしする方が、少女らしい無邪気さが出る。
現状はちょっと半端なものに思う。
1~2連の設定は悪くなかったけど、もうちょっとお話自体を練りましょう。
おまけ秀作で。
●荻座利守さん「心の脱分化」
初連がちょっと唐突なので、初連の前に、こんな感じの2連を入れてはどうですか?
知っているだろうか
イモリは特別な再生能力を持っている
最初の発見はかれこれ二五〇年前のこと
よく「トカゲのしっぽ切り」というが
これはしっぽに限った話ではない
手足や脳や網膜、心臓の一部まで
体のさまざまな部分を失っても
イモリは完璧に再生することができるのだ
これは組織を構成していた骨や肉や神経が
必要な時その役目から脱分化し
元の未成熟な未分化細胞に戻り
そこから欠けているものへと変化し
生成し直す特殊能力なのだ
私ならここから始めるけどね。
文体が違うから、これを叩き台にして、
自分の詩に合うようにアレンジして下さい。
初連の前につける2連という位置づけです。
また、
人間はイモリのように
体は再生できないけれど
心は再生できないのだろうか
要するに、「イモリ→人間」「体→心」に話は移動するので、こういう一文をプロセスに挟んでもいいと思います。
これらを含めて、もちょっと壮大な話の構成にしてもいいと思います。
一個注意は、現状はいきなり自分(私の心)が出てきますが、もしこれと繋ぐとすると、まず人間全体の話をしてから→自分の話へと、落とし込む必要があります。話の順番として。
ちょっとそういう構想で作り直されてみては、どうでしょうかね。現状の詩は、私にはなんとなく詩の中盤~後半だけがある(前の方がない)って感じに読めるんです。そのポジションにおいては、思考深く書かれていて良いです。また、心の再生については個人的・感情的に、強く思うところもあるようです。
今回ちょっと、秀作にとどめておきます。
●秋冬さん「抱きしめる」
いい詩だねえーー
出だしからすばらしいね。
この言葉の繰り返し、小さな子は言う言うと思った。場面がものすごく浮かんだ。
子供を描くに、このひとことをチョイスしたのがすばらしいと思った。
そして、
上手く
説明することは
大事だけど
上手く
説明できないことは
恥ずかしいことではない
は、名言ですね。
今の小学生は総じて、説明をきちんとできる子が多いので驚く。テレビカメラの前でも堂々としてるし。私が小学生の頃って、人から誤解を受けても、いやそうじゃないんだと、説明することがほとんでできなかった気がする。勇気とかいう以前に、説明下手で、すぐに言葉が出て来なかった気がする。でもそれって、損はするけど、人間的に恥ずかしいとかいう話ではない気がする。どっちかというと、生きていく要領の悪さみたいな類いのものだったかもしれません。
この詩行は端的な書き方だけど、的を射てますし、作者の強いポリシーを感じる言葉でもあります。
泣いた理由なんて
なに一つ覚えていないのに
母に抱きしめられたことは
今でも覚えている
この連も泣かせますなあー
泣きじゃっくりしてるところも、幼子らしい様子が浮かぶ。
名作を。
1点だけあります。
終連終行の
だけなのかもしれない
ですが、詩の途中であれば、こういう詩行の置き方(その前の行まで全く気配を見せずにしておいて、逆転する繋ぎ方)でOKなんですが、ラストは、これでは締まらない気がする。ラストに置く間合いのものじゃないというか。
わたしも娘も
母に
ただ抱きしめて欲しかった
だけなのかもしれない
わたしも娘も
ただ母に
抱きしめて欲しかった
それだけなのかもしれない
わたしも娘も
母に抱きしめて欲しかった
それで充分な
ものだったのかもしれない
このいずれかでどうですかね??? いずれも前フリが入って、おさめてるものです。
●さくたともみさん「夜の窓辺」
うむ、良いと思います。
まず、初連がステキな表現で、惹かれます。
2連の、
孤独な車が遠くを走り去った
も、深夜らしい臨場感を掻き立てますね。
続いて、虫、星、月明かり、雲のラインナップがあり、3連、
密やかに運ばれてくる友人たちは
みんな寂しがりやのおせっかい
それらを「友人」と呼ぶ、作者の孤独なハートがステキです。
そして終連では、孤独なもの同士、互いに交流を深めているようです。
さくたともみさんは、私は初めてなので、今回は感想のみですが、この詩はマルだと思いますよ。
細かいとこ、少しだけいうと、
「星ら」 → 「星たち」に
「深い寂しさが見えない根っこで繋がっている」は、
「深い寂しさが」のあとに読点「、」を入れた方がいいですね。切れ目を間違えて読まれると訳分からなくなる1行ですので、そこで区切っておきましょう。
●秋庭燈火さん「中秋葬歌」
なにより良いのは、月を見上げるワンシーンに集中して、これを書き上げてる点です。このワンシーンに、実にいろいろな想いを交錯させていて、おもしろいです。
おろしたての靴の中でそっと指を折る
の繊細描写は、なんだろうと思ったけど、靴擦れしてたんですね。
また、
揺れるその手を握ろうか迷う
手を伸ばして、やっぱりやめた
宙ぶらりんになった手で月を指さした
という、複雑にごまかした所作や、
来年も、とあなたは言わない
だから私も言わないの
というビミョーな駆け引きしてるのも、おもしろいです。
ワンシーンに集中してるから、こういう掘り下げたものも、出てくるんだと思う。
うむ、良いね。秋庭燈火さんは私は初めてなので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルだと思います。
1点いうと、
息絶えた蝉がどこかで墜落した
この行の「墜落した」はやめたほうがいいですね。
というのも、当然ながら蝉は通常夜に鳴かないし、この蝉が夜鳴いているのは、鳴き方から想像するに、おそらく寿命が尽きる断末魔だからで、すでに地面の上をくるくる回っていそうだ。まあ例外はゼロではないけれど、そう考えた方が自然な場面なので、そのイメージに沿って、すでに地面にいると考え、この段階で木から落とさないほうがいいですね。
●暗沢さん「丘の上で風が吹いた」
初見ではちょっと読み取りにくいものがあるのだけど、二度三度と読み込むと味が出てきます。全体が暗喩に満ちていて、おもしろいと思う。
「宮殿」と喩えたものが、はたして何だったのか、具体的に特定はされてないけれど、例えば、青年期に大言壮語した友の、大志と挫折が描かれているのだと思えば、この詩は見事に当てはまってくる。そういえば、私の知人にも起業したものの、うまくいかなかったようで、負債から逃れるためなのか、行方不明になってる知人がいる。そういうイメージで読むと、ピッタリなのかもしれない。
また、その行方不明の状態を、
ところできみはかくれんぼが実に上手かった!
と喩えたのも、ウイットがきいていて、良いと思う。
一見、雑に見えるのだけど、読み込むとちゃんと味がある、いい詩です。
秀作を。
●cofumiさん「濡れたサドル」
まず、部分の表現として、
見えない時間は
墨汁で一杯の海
この表現はおもしろいですね。全体との脈絡では私はちょっと浮いてる気がするけど、断片の表現としては評価します。
うーーん、私には、私が懸念していたことが、cofumiさんに起こってる気がするけどな。元となる文章が崩れてるんだけど、短くちぎって書いてるから、自分でその間違いに気付いていない。
個々の形容や比喩には妙味があっていいんですけど、それらは全て、土台となる数行のセンテンスの上に乗っているものなんです。
この詩は土台がおかしい。
2連、3連は挿入部なので、これを除外して、
「濡れたサドル」
君がお気に入りの傘は
私の腕の中で
二時間待ち続けている
君がお気に入りの傘は
君の姿を確認できるまで
待ち続けるだろう
君が 違う貝殻を 見つけて
雨宿り していても
この詩はこれが土台なんですけど、作者がこれに違和感を感じていないところが問題なんです。私はこれが成立しているような気がしないんです。
以下、このタイトルとこの3連において述べますが、
まず初連。「待つ」って意味合いは広義に捉えれば、まあいろいろなケースがあるだろうといえばあるんですが、通常は、じっとしている方が「待つ」で、動いてる方に「待つ」は使わない。この初連の主語・述語、「傘は/待ち続けている」おいても同様で、詩的イメージとしては、その場でじっとしている方が「待っている」イメージのものなんですよ。そもそも動いてる側に「待つ」を使うのは、かなり特殊なケースです。
したがって、これは動いてる人間側(作者)が持ってるのではなく、自転車置き場の自転車が持ってるのかな、ということになるんです。よく傘を自転車に差してる人いますよね。そのイメージで読むことになります。
もしそうでないなら、作者が伝えるべき表現をどこかで間違えてるということです。
敢えて「待つ」を逆の方に使うことは不可能ではありませんが、その場合は、自分が敢えて逆に使ってるんだという意識をまず持つことです。それで、その代わり他のもので、逆がわかるようにカバーしとこうというフォローの考えを持つことです。すなわち、この場合においては、周りの言葉は略してはいけない。周りの言葉がフォローになるからです。「逆を行く」+「フォローもしない」では、読み手に伝わるわけがないという感じです。
あのーー、省略技法を早くから使うと、ホントは土台が乱れてるのに、それを曖昧にしてしまう。自分で土台の乱れに気付かない。私の危惧がまさに出てると思いますよ。
要するに、元の文章をちゃんと書いて、そこから略していったとしたら、絶対こういう略し方にはならないということです。断片しか書かないから、元の文の乱れに自分で気付けてないんですよ。
比喩のセンスがいいのは認めますが、この状態だと部分で光る比喩にしかならない。全体に機能して、全体を光らせるような比喩にならないです。
ベースになる文を、まずきちんと作ることを心がけて欲しいです。
一歩前です。
●埼玉のさっちゃんさん「自身とは」
まず、言いたいことは伝わるという点で、基本線はOKなんだけど、1つ知っててほしいのは、思考のみで詩にするのは、なかなか難しいことだということ。
それなりの年齢で、知識と経験を重ねた人の含蓄。あるいは日頃から深い思考を重ねてる博識な人など、思考だけで詩を書こうとすると、それなりの資質を持ってる人でないと、なかなか書けんものなのです。正直言って、私も思考だけの詩は書けません。それだけでは持ちません。
埼玉のさっちゃんさんの思考にも、
小さな悩みでも
考え出したらきりがない
自分ががんじがらめになってしまうから
この3行など、優れたところがあるのですが、どっこい、これだけでは持ちません。じゃ、どうするかってことなんですけど、内的思考だけで詩を終わらせないことです。そこもあっていいんですけど、それだけで詩を終わりにしないことです。
例えば、この詩おいても、最初と最後で「風」を書いてるんですけど、ものすごくおざなりです。ついで、です。真剣に「風」を書いていない。そこがダメなんです。周辺となる部分もしっかり書かないと。「風」と「自分」とが、どういう状態にあるのか、短い物語になるぐらいに書いてご覧なさい。私も含め、資質のない人間はそこが大事なんです。そういうとこも含め、全体バランスで読ませるようにしないと。
違う観点からいうと、結論だけ書いちゃダメってことですね。「迷い」を書く時は、迷う様を描くことこそが大事です。また、内的つぶやきを、外的行動で表現するのもアリです。
というところで考え直してみて下さい。
それと、自分の詩を磨くためにも、ほかの人の詩やMY DEARのHPなども読んでみて下さい。ほかの人の詩を読んだら、自分の詩がなくなってしまう、なんてことは絶対ありませんので。むしろ反発する形で、自分の詩がくっきり浮かび上がってくるというさえ、ままありますから。
半歩前です。