放置された寿司桶 トキ・ケッコウ
なんとなく言葉にするかどうか、いやそもそも言わんとすることが何かすらわからないのでこういう言い方もなんだけれども。
いま我が家には去年の秋から置きっぱなしの「寿司桶」がある。出前に使うやつだ。こじんまりとした一人前のが2枚、かれこれ4ヶ月くらい玄関先に積んである。
ずっと気になっていたけれどこの頃では気にすらしなくなってしまっている。忘れっぱなしなのか、それともこれを見てまた寿司を注文して欲しいという暗示をかけているのか。それすらこの頃では気にならなくなってしまった。なんだろう一種のオブジェになっているというか前衛的な芸術の真似事になっているかのような気さえして来る。
でも小ぶりな寿司桶が二つ、重ねて玄関先にずっとあるというのも、これはこれで慣れてしまうということがこの頃の発見で、そう思うとじゃあいまのこの日本に実働している出前用の寿司桶は一体どれくらいの数になるのかしらん、などという空想も働く。仮に一万の寿司桶が(そんなにあるだろうか?)稼働しているとしてそのうちの2枚がいわばお蔵に入ってしまったわたしのうちのおかげで、だとして、そう無理矢理に言われのない罪悪感を引っ張り出してみれば。
もちろん「ふふふっ」という妙な笑いが腹の中から湧き出てくるだけなのだった。‥‥‥わたしは万事がこんな調子である。あまりにシリアスだということもないのだけれどもそれでも簡単には笑えないことがあると。
つい笑ってしまうという妙に不真面目な「癖」があるのだ。確かに深刻にはなるのだがしかしその深刻さの淵を覗き込んでいるうちについついふっと。
そこからふわふわと天に向かって散歩をしてしまうような、そんな妙な心地になってしまうのである。