感想と評 6/30~7/2ご投稿分 水無川 渉
お待たせいたしました。6/30~7/2ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。そもそも詩の解釈に「正解」はありませんので、参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●aristotles200さん「ありがとう」
aristotles200さん、こんにちは。今回の詩も大変楽しませていただきました。駅に置かれた一冊の呪いの本。何気なく手に取った人がその本の中に囚われてしまい、それまで本に囚われていた人物と入れ替わってしまう、というストーリー展開が興味深く、しかも不気味ですね。
タイトルの「ありがとう」で明るい話なのかと読者に思わせておいて、詩の中でその意味が分かると背筋が寒くなる、という仕掛けも素晴らしいです。このタイトルの付け方はとてもうまいと思いました。
「66年6ヶ月」という数字は、聖書の黙示録に出てくる「獣の数字」666を意識しているのでしょう。これも本作品の不吉な雰囲気作りに一役買っていますが、あまりにも分かりやすくて、逆に安易な印象を与えてしまうかもしれないとも思いました。
第18連の「何処も/身体から痛みを感じない」は少し分かりにくかったです。これは語り手の言葉なのか、それとも本の中から出てきた人物の声なのか。語り手の声だとすると、本の中に入ってしまうとそれまで抱えていた痛みが消えてしまうということなのでしょうか。
以上のように気になった点もありましたが、特に重大な欠陥というわけではありません。最後の終わり方も不吉な余韻を残していて良かったです。評価は佳作です。
●三津山破依さん「夏の記憶」
三津山さん、こんにちは。この作品は二部に分かれています。パート1「花火」は夜の詩、パート2の「かき氷」は昼の詩と言えるでしょう。この二つのパートは主題的につながっているように思いました。
まず後半の「かき氷」から見ていきますと、何と言っても太陽を氷に見立ててそれをかき氷にして食べるという奇想天外なアイデアが秀逸です。暑い夏の日中に太陽を食べるのは苦行そのものですが、最終連の「流れるのは汗なのか。瞼を閉じる。」は哀愁を感じさせる終わり方ですね。おそらく流れたのは涙なのでしょう。
そして、その謎を解く鍵は前半の「花火」にあるように思います。ここではパート最終連で、「僕」と「彼女」のすれ違いが描かれています。何らかの親しい関係にあった二人だと推測できますが、両者の関係がうまくいっていないことを示して終わります。この失恋(?)の悲しみが後半の「かき氷」で描かれているのではないかと思います。つまり後半は前半で花火があった夜の翌日の昼の出来事を描いているのではないでしょうか。
この「花火」のパートは、全体として屋外で行われた花火大会を描いているだろうということは分かるのですが、細かい話の流れは追いにくかったです。特に初行の「誰かと二人、顔を上げた」のが誰のことなのかがはっきりしません。私の解釈では、「彼女」が「僕」とは別の誰かと一緒に花火を見ているのを「僕」が目撃したということかと思うのですが、だとすると時系列がおかしくなります。次の第2連で「僕」は駅から花火大会の会場に向かって歩いているからです。あるいは見てはならない光景を見て、帰途につく描写なのかもしれませんが、それなら「最寄りの駅から歩くしかない。」ではなく、「最寄りの駅<まで>歩くしかない。」となるのではないかと思います。評者の理解不足かもしれませんが、ここが分かりにくかったです。
このような難解さはありますが、全体の構成はとてもうまくなされていると思います。夜と昼、暗と明が対照的に描き分けられていますし、どちらのパートにも「汗」が登場して、両者をつなぐ役割を果たしています。夏のほろ苦い「記憶」を描いた、この季節にぴったりの作品だと思います。評価は佳作半歩前とさせていただきます。
●星影 流さん「瞳は語る」
星影さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
「目は口ほどに物を言う」という表現がありますが、まさにそのことを詩にした作品ですね。詩の中に登場する「私」と「あなた」は恋人同士なのでしょうか、いずれにしても親しい関係にある二人だと思います。口下手な「あなた」の感情をその瞳から読み取り、想像力を飛翔させて二人の関係を深めていこうとする「私」の深い愛情が伝わってくるような作品でした。
全体の構成もとてもきれいにまとめられています。2~5連は人間の「喜怒哀楽」に合わせて、この順番で配列されていますし、各連はすべて4行構成、連の中での展開のパターンも同じです。きっと時間をかけて推敲されたのではないかと思います。
私は特に第4連で、悲しい時の「あなた」の瞳を深い海に喩え、「私はその海に舟を出す」という表現が深く心に残りました。
そして最終連の「あなたの瞳とその口は、/まるで あなたと私みたい」という終わり方もいいですね。互いの違いを補い合う充実した関係性を感じることができました。
素敵な作品をありがとうございました。またのご投稿をお待ちしています。
●トキ・ケッコウさん「全力で君を愛するということ」
トキさん、こんにちは。世の中には愛をうたった詩は星の数ほどもありますが、この作品は一筋縄ではいかない「愛の詩」ですね。
「全力で君を愛する」という表現はこれ以上ないほどにストレートな愛の表現とも取れますが、一方でありきたりで陳腐な表現にも堕してしまう。そもそも「愛」という言葉自体が西洋キリスト教的な概念と結びついていて、日本人にはどこかしっくりこない。それを語り手は重々承知の上で、でも「全力で愛する」としか言えない感情が溢れてきてしまう、そういった複雑な思いが表現されているのだと思いました。
繰り返しの多い饒舌な語り口は人によって評価が分かれるかもしれませんが、本作に関して言えば、語り手の胸中をぐるぐる着地点もないまま回っている思いをよく表現していると思いました。
全力で君を愛するということ
それは愛するなんて蓮っ葉な
ことばでさえ愛するということ
だからこんなに難しいことや
悲しいことは
他にそうあるはずはない
という部分は特に心に残りました。評価は佳作です。
●竹中ゆうすけさん「放蕩」
竹中さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
この作品はおそらく、聖書に出てくる「放蕩息子」の話を下敷きにしているのだと思います。父の元を離れて遠くへ行った息子が放蕩三昧の日々を送る。彼は飢饉によって困窮した末に戻って来る。父は受け入れてくれないだろうから召使いにでもしてもらおうと思っていた息子の思いとは裏腹に、父は無条件で息子を赦し、家に迎え入れてくれた、という話です。
この詩はこの物語の骨組みを利用しつつ、作者独自の言葉でそれを再話していると言えると思います。聖書とはことなり、語り手が船で帰って来るという設定はホメロスの「オデュッセイア」、あるいはそれを下敷きにしたカヴァフィスの「イタケー」を思い起こさせます。
最終連の安らぎに満ちた終わり方もとても良かったです。素敵な絵(作者の自作でしょうか)と共に、心が温まりました。またのご投稿をお待ちしています。
●相野零次さん「天空マラソン」
相野さん、こんにちは。人間が地上の世界を離れて天に昇っていくというモチーフはいろいろな文学作品に見ることができますが、この作品では一風変わったSF風の味わいになっていますね。
「大気を固体に変えるシューズ」が登場したり、テレビ中継のヘリコプターがいたり、途中で宇宙服に着替えたり、宇宙空間に作られた道を歩いて月を目指したりと、面白いアイデアが次々と登場します。そしてゴールである月に到達する。月までの平均距離が約38万4,400キロメートルとして、この距離を秒速10キロで進むと約10時間41分かかる計算になりますので、「秒速約10キロ 10時間の道のりだった」という行は科学的にも正確な表現といえます(もちろん、詩は科学的でなくてもいいのですが)。
2点コメントさせていただきます。まず、タイトルが「天空マラソン」となっています。たしかに観客やTV中継があったりしてマラソン的道具立てが登場しますが、肝心のゴールまで「走る」描写がなく、実際には「歩く」描写になっているのに違和感を覚えました。つまり、内容とタイトルの間にギャップが感じられます。
もう一つ、私にとってより大きな問題と思えたのは、この詩のプロットが非常に直線的で紆余曲折がなく、読者としては驚きや困惑、挑戦といった良い意味での「ひっかかり」が感じられなかったことです。「僕」は科学技術の助けを借りて、特に大きな困難に直面することなく、月までの「マラソン」を完走して、ハッピーエンドに至ります。全体として、宇宙を徒歩で旅するというアイデアによりかかりすぎていて、いつもの相野作品の深みがあまり感じられなかったのが残念です。評価は佳作一歩前とさせていただきます。
*
以上、6篇でした。暑い夏がやってきましたが、みなさまご自愛ください。