感想と評 7/28~30ご投稿分 水無川 渉
お待たせいたしました。7/28~30ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。そもそも詩の解釈に「正解」はありませんので、参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●ゆづはさん「星を食む鳥」
ゆづはさん、こんにちは。結論から言いますが、これは文句なしに佳作です。まずタイトルで興味を引かれ、そこから最終行まで続いていく美しいイメージの連鎖に酔いしれました。ファンタジー的な舞台設定ではありませんが、現実の世界を描いていても、ゆづはさんの持ち味であるやや暗めの幻想的な雰囲気は十分伝わってきました。
これは推測ですが、この詩は夜の庭に落ちている黒い傘を作者が目にしたことから着想したのではないかと思います。「黒い傘=鳥」のイメージはそれほど突飛なものではありませんが、その鳥が宇宙の果てにある星の最後の輝きを食べて墜ちてきたものだというイメージの飛躍は素晴らしいです。これは部屋の中に横たわる名付けられない登場人物の心情を表していると思いますが、鳥と星のイメージによって、その孤独感や哀しみが宇宙大の広がりを持つようになっています。
まさに珠玉の掌篇というにふさわしい作品だと思いました。ありがとうございました。
●aristotles200さん「点呼」
aristotles200さん、こんにちは。これは以前ご投稿いただいた「笛」に通じるような、全体主義的ディストピアをテーマとした作品と言えるでしょう。雑多な人々が満員電車に詰め込まれ、会話もなく同じところに運ばれていくという通勤ラッシュの状況はそれ自体ディストピア的と言えますが、この詩ではそこにさらにひねりが加えられています。
沈黙ではなく号令と点呼、かけ声があり、動いているはずの車内でさらに行進する、といった描写は通常の通勤電車の状況とは正反対です。ここで作者はラッシュの持つ非人間性をグロテスクに戯画化しているのだと思いました。そこにはブラックユーモアさえ感じられます。そんな中で、乗客たちが目に涙を浮かべて「ご一緒できて、光栄でした」と言う場面は、そんな抑圧的な状況にともに身を置いた者同士の絆のようなものを表しているようで、心に沁みるものがありました。
駅構内と電車内の情景は素晴らしかったのですが、最終連の終わり方にはやや物足りなさを感じました。ひととき電車の中でともに過ごした人々は、駅を出たとたんにそれぞれの服装に戻り、ばらばらに仕事に向かう、というところでこの詩は終わっています。しかし評者としては、これは決して全体主義から解放されたハッピーエンドなどではなく、それぞれの職場ではまた別の種類の非人間的なシステムが彼らを待ち受けているのではないか、と思ってしまうのです。つまり、この詩の終わり方は本体部分のディストピア感を薄めてしまうような書き方になっているのが少し残念に思いました。
あくまで参考意見として申し上げますが、駅を出た人々の行く手にも新たなディストピアが待ち受けているような不吉な予感を匂わせて終わる、あるいはそれに続いて、そんな中でも電車内で感じたあの「絆」は続いている、といった余韻を持たせた終わり方にした方が、より効果的な気がしました。ご一考ください。評価は佳作半歩前になります。
●三津山破依さん「捨てるもの」
三津山さん、こんにちは。この作品は前回の「夏の記憶」と同じく二部構成になっていますね。
第一部「わたしが捨てるもの」では、一人では食べきれない量の食事を作ってしまった「わたし」が、残り物を捨ててしまおうかと考えています。料理の手順なども写実的に描かれていて、一人暮らしの生活のリアリスティックな描写と言うことができるでしょう。
これに対して第二部「あなたが捨てるもの」では内容がぐっと抽象化します。「あなた」が誰なのか、「あなた」が捨てるものとは何なのか、一切説明されません。しかし、第一部の内容からして、かつて「わたし」が一緒に暮らしていた、親しい関係にあった相手ではないかと推測できます。第一部の「手料理」(これは誰か作ってあげる相手がいる場合に使うことばですね)や「どうぞ」という表現、一人では食べきれない量を作ってしまったという描写からも、かつて二人で暮らしていた頃に「わたし」が「あなた」によく料理を作って食べさせていたのだろうということが分かります。一人になった今も無意識のうちに二人分の料理を作ってしまうわびしさがよく描かれています。人生に大事な要素が欠けているという感覚が、「肉の入っていない、カレーライス」という表現に象徴されていると思いました。
では、「あなた」が捨てたものとは何か。これは「わたし」の人生そのものなのかと思いました。それは自分でも受け止めきれないほどの大きなものなのでしょう。そして、「わたし」は現在、生きているという実感を失ったまま、空虚な生活を送っているということなのかもしれません。第二部第二連の
あなたが捨てたものを
わたしが拾って誰かに贈ろう。
代わりに使ってくれないかしら。
は、他の誰かと一緒に生きていく可能性を語っているように思えますし、最終連の
あなたが捨てたものを
わたしは憶えている。
あなたが捨てたものを
わたしは 使えない。
の着地もいいですね。「あなた」と分かれた今、自分の人生をどう生きていったら良いのか分からずにいる語り手の心境がよく現れていると思います。特に最終行「わたしは 使えない。」の中央に置かれたスペースには万感の思いが込められていると感じました。
一点だけコメントさせていただきます。上記の解釈が正しければ、この詩全体の中心的主題は「あなた」が捨てた(過去形)もの(すなわち「わたし」の人生)ということになりますので、第二部のタイトルは「あなたが捨てたもの」、全体のタイトルも「捨てたもの」にした方が良いのではないかと思いました。ご一考ください。けれども全体としてはとても心に残る、細部まで丁寧に作り込まれた素敵な作品でした。評価は佳作です。
●飯干猟作さん《詩書き》
飯干さん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。
これは詩について書いた詩、いわゆる「メタ詩」ですね。特に詩を書く<人間>について書かれていますが、ここでは「詩書き」と「詩人」という二つの表現が区別されています。後者はより形式的で堅苦しい表現であり、語り手はむしろ「詩書き」の方を好んでいるようです。(これは評者も共感します)
詩とは、詩人とは何かという議論はよくなされますが、人によって詩への向き合い方が違う中ですれ違いが起こることも珍しくありません。評者はそうした議論はどれが正しいと言うよりは、各人の詩観や詩人観を明確化するために役立てば、それでいいのではないかと考えています。
ご投稿ありがとうございました。また「詩書き」としての飯干さんの作品を拝読するのを楽しみにしています。
●竹中ゆうすけさん「じゃがいも」
竹中さん、こんにちは。格調高い文体で書かれたじゃがいもの詩、とても興味深く拝読しました。畑に埋もれていたじゃがいもの視点から、それが人間によって掘り出され、調理され、食べられて人間の身体の一部になっていく様子が細やかに描かれていきます。その中で、じゃがいもが当初自らの生に介入してくる疎ましい存在と思っていた「手等」になっていく、という展開に、いのちの大いなる循環を感じました。
最終部の、畑に降り注ぐ春の日差しはすべてのいのちに対する慈しみを表しているのかもしれないと思いました。(細かい点ですが、最後の「春の立つ、この日に」だけ末尾に句点がありませんが、これは意図的なものでしょうか。もし特定の意図がなければ、つけた方が統一が取れると思います。)
前回の「放蕩」とは行分け詩と散文詩の違いはありますが、どちらも落ち着いた文体の中にスピリチュアルな深みを感じる作品で、読んでいて心に響いてくるものがありました。ありがとうございます。評価は佳作です。
●トキ・ケッコウさん「蝉と薔薇と彼の耳」
トキさん、こんにちは。蝉の声を描いた詩歌は特に日本では古来数多くあると思いますが、この作品ではそれに呼応して薔薇が歌うという、新鮮な視点が見られました。しかもそれは「生きとし生けるものの交流」などというロマンティックなものではなく、お互いに真の意味でわかり合うこともないままそれぞれ死に向かっていくという、抑制された叙情を感じることができました。ここはとても良かったです。
部屋の外でかしましく鳴く蝉と部屋の中で音もなく歌う薔薇。後半ではこれに「彼の耳」が加わります。ただ、この第三の視点を導入した効果がどこまであったのか、評者としては掴みきれないものがありました。おそらく部屋の中にいるであろう「彼」の耳には物理的にそれらの音は入ってくるけれども、その意味を理解することができない。そのような「理解しない聴き手」として「彼」は登場するわけですが、そのことがこの作品全体においてどのような役割を果たしているのか明確でないまま、ふたたび蝉と薔薇の描写に戻って終わっています。
個人的にはこの作品は蝉と薔薇だけでも十分成立しているように思いますが、そこに「彼の耳」を重ねる意義がもう少し分かるように補足していただくと、より作品にまとまりが出てくるように思いました。ご一考ください。評価は佳作一歩前です。
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以上6篇でした。猛暑が続きますが、熊本で被災された方々の苦しみが一日も早く軽減されますよう、願っています。