評ですね。7月31日から8月3日ご投稿分 雨音
「海岸線」上原有栖さん
上原さん、お待たせいたしました。こんばんは。
とても印象的な詩ですね。海岸線、夜明けのハイウェイ、車のハザードランプという現実的な風景の中に、「水掻きの記憶」「尾鰭」「鱗」「鰓」と、少しずつ魚の姿へ戻っていくイメージが自然に重なっていきます。その変化に説明がないからこそ、「自分の本来の場所へ帰っていく」という感覚が静かに伝わってきました。
特に、「昨日の新しいものは/今日は少し古くなってしまった」という時間の捉え方が、進化や回帰のイメージとも響き合っていました。そして最後の「ハザードランプ」がとてもいいですね。車だけが陸に残され、海へ向かった存在を見送っているのと同時に、誰かへのサインのようにも感じられ、余韻の残る結びになっています。
一点だけ。この作品はとても映像的で、光景が自然に浮かんできます。そして、書かれていない質感までも感じることができました。それがとても素晴らしいと思います。上原さんが書いていないことまでも伝わってくる、感じられるというのは、一枚の絵の中にいるような感覚さえも持ちます。
その一方で、ほんの一瞬でも色や音を伝える言葉を加えると、詩全体の幻想的な世界にさらに馴染むかもしれません。私だったら、魚への描写をほんの少し増やしてみます。例えば「鱗の光」などです。これは好みなので、参考にしてくださいね。それに合わせて、タイトルを少し調整してみてもいいかもしれません。
全体として、「還る」ということを、進化や記憶、時間の流れまで含めて魚の姿に託し、それが自然なこととして伝わってくる、伸びやかな作品だと感じました。佳作一歩手前です。
「忘却」相野零次さん
相野さん、こんばんは。お待たせいたしました。
とても静かで、切実な詩ですね。「魂だけのスピードに乗る」という冒頭がまずとてもよかったです。そして、身体の一つひとつを部品と呼び、忘れていくという設定にも引き込まれました。手足、胸、腹、頭と失われていくことで、「身体があること」「生きていること」の意味が逆に浮かび上がってくるようです。
特に、最後の「忘れっぽい僕だけど/その人のことはちゃんと覚えていますように……」が心に残りました。身体をもらったことへの感謝を、「記憶する」というとても人間らしい願いに結んでいるところがいいですね。全体に、死と生という大きなテーマを扱いながら、語り口が素朴なので、かえってまっすぐ伝わってきました。
細かいことを少しだけ。まず、手足については、足だけにするか、手についての描写を加えるか、どちらかがよいかなと思いました。それから、一人称の「僕」をどこか削ったほうが、すっきりするかもしれません。また、「僕はその人の身体を拝借することになった」から「頭をもらうとき」へ進むところは、物語が大きく動く場面なので、もう少しだけその瞬間の感覚や光景があると、読者も「僕」と一緒にその場に立てるかもしれません。ほんの一行、何か具体的なものが入るだけでも十分だと思います。もしくは連を分けてもいいかもしれませんね。この点を再考していただけたら本当に良い作品になると思います。応援の意味を込めて佳作を。
全体として、「生きる」ということを、身体と記憶、そして誰かから受け取ったものとして考えさせてくれる、やさしく、そしてとても深い作品だと感じました。
「堕天使」Mayさん
Mayさん、こんばんは。お待たせいたしました。
とても短い作品ですが、独特の妖しさと美しさがありますね。「ルシファー」という名前から「悪い子に育つでしょう」と始まることで、名前と生きものの姿が重なり、少し危うく、それでいて愛着のある関係が感じられました。
特に、「生命を吸われるのも悪くない」という一行が印象に残ります。普通なら避けたいはずのものを、艶やかな黒い身体への魅惑として受け入れてしまう。その倒錯した美しさが、この詩の魅力だと思います。
また、最後の「毎日挨拶に伺います/大きくなってください/漆黒の夜のように」で、恐ろしさよりもむしろ「育っていく姿を見守りたい」という愛情が浮かび上がるのも面白いですね。短い詩だからこそ、余白の中にいろいろな想像が広がります。
細かいことですが一点だけ。「悪い子に育つでしょう」ですが、「きっと」よりも「たぶん」のほうが、すんなりと受け止められるように思います。断定してしまうよりも少し曖昧さを残すことで、この短い作品の中に余白をさらに広げられそうです。
全体として、構成がとてもよかったと思います。このバージョンはこのままで、この作品を元にして、少し長めのものも拝見したいです。
「感情のある色とは?」じじいじじいさん
じじいじじいさん、こんばんは。お待たせいたしました。
「夏の色を絵にしてきて下さい」という宿題をきっかけに、子どもの頃の自分と、今は教師となった自分が重なっていきます。自分がかつて悩んだ宿題を、今度は自分が子どもたちに出しているという構図、子どもたちからどんな「夏の色」が返ってくるのだろうと想像するところが印象的です。最後には、自分自身もかつては「単純な向日葵チームの一員だった」と明かすところがとてもいいですね。子どもたちに少し難しい宿題を出しておきながら、自分も同じだったというところに、温かいユーモアがあります。この一行があることで、作品全体がぐっと身近になりました。
一方で、以前にもお伝えしたことですが、この作品は説明する言葉が少し多いように感じました。「私はそんなありきたりの答えを望んでいない」「もっと踏み込んだ感情のこもった答えが欲しい」など、作者の思いを直接説明している部分があります。また、「大学出たての新米教師」や「早く二学期が始まらないかな?」というところも、事情や気持ちを説明している印象があります。題材がとても良いので、何だかとても勿体無いんです。
この作品の場合、「夏の色」という、とてもよい言葉がすでにあります。そこを中心にして、説明を少し減らし、具体的な光景に語ってもらうと、もっと詩らしい形になっていくのではないでしょうか。たとえば、子どもが描いた一枚の絵や、夏休み前の教室の様子などを一つ置くだけでも、「どんな答えが返ってくるのだろう」という作者の楽しみや期待は、説明しなくても伝わると思います。
じじいじじいさんは「何を書きたいのか、何を伝えたいのか」がとてもはっきりしている方だと思います。だからこそ、すべてを読者に伝えようとして、説明が多くなってしまうのかもしれません。一度思っていることを全部書いたあとに、説明している部分を少しずつ削り、残った具体的な光景を並べてみる――そんな推敲をしてみると、詩の形が見えてそして余白もできます。読む人に想像という自由を与えてみようという感じに。
全体として、「夏の色」を通して、教師になった今の自分と小学生だった頃の自分をつなぐ、温かみのある作品でした。特に最後の「私も向日葵チームだった」というところには、作者自身の人柄が感じられて、とてもよかったです。
「音の饗宴」虹乃衣里絵さん
虹乃さん、お待たせしました。こんばんは。
とても端正で、演奏会の空気をよく捉えた作品ですね。冒頭の「440Hzの反響」から始まり、マエストロの登場を待つ緊張感、最初の一音、音楽への没入、そしてフィナーレ、カーテンコールへと、読者も一つの演奏会を時間の流れに沿って追体験できます。
特に「レガートからトゥッティへ/寄せては返す波のように/マエストロは 自在に操る」が印象に残りました。音楽の強弱や広がりを「波」に重ねたことで、実際には目に見えない音の動きが視覚的に感じられて、それがとても素敵です。
そして最後の「その音色が消えて無くなるまで」から「まだ 拍手は止まず」への流れがとてもいいですね。全てが一体となった会場の臨場感が伝わります。
一点だけ挙げるなら、全体的に音楽用語や「緊張感」「美しい」「美しくも儚い」など、音楽を説明する言葉が少し多いようにも感じました。すでに「440Hz」「牧歌的な音」「レガート」「トゥッティ」「コーダ」「銅鑼」といった具体的な音楽の言葉が十分にありますので、そこをもう少し信頼して、説明的な言葉を少し削るかわりに、その中にいる自分自身の存在を少し感じさせるような部分を入れてみると良いかもしれません。それが、読者にとって美しさを感じさせるきっかけの一つになると思います。
全体として、音楽を聴く喜びと、演奏が終わってしまうことへの惜しさを、一つの演奏会の中にきれいに収めた作品だと感じました。最後に残る拍手が、音楽そのものへの讃歌のようにも思えて、余韻の美しい作品です。
::::終わりに
皆様、お疲れ様です。まだまだ暑いですね。どうぞお身体ご自愛くださいね。
旅にでていました。お土産代わりに写真を一枚、置いて行きます。
(アクセス事情により、雨音さんからのメールを代理で島が投稿)