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スレッドNo.7606

8/11〜8/13 ご投稿分の感想です。 紗野玲空

都合によりお先に失礼いたします。
8/11〜8/13にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩をありがとうございました。
一所懸命、拝読いたしました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。

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☆「神話(シン・ファ)」 上原有栖様

上原有栖様、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

素朴な太古の風景から始まり、異文明との衝突、文化の喪失、そして物語による記憶の継承という「人類史の悲劇と希望」が、見事に凝縮された作品です。

〈かつて世界はずっと狭かった〉という印象的な1行で始まる第1連では、太古の人々の世界観……厳しい自然の中で寄り添い生き抜いた人々の姿が鮮やかに描かれます。
第2連……〈見えない神様がそこかしこで踊っていた〉という表現が素敵ですね。
アニミズムが生み出す世界の輝きが想像されます。
第3連……〈黒い骨を纏い違う言葉を話す者たち〉は、高度な青銅器や鉄器といった未知のモノを携えてやってきた異文化を持つ人々を捉えた比喩でしょうか。
第4連の〈われわれは栄えるために選んだ/残りは捨てた〉という展開からは、生き残るために新文明の知恵を受け入れつつも、そのための何かを捨てざるを得なかった人々の悲痛な選択が伝わってきます。
残された欠片を「物語」にして語り継ぎ、失ったものの記憶や誇りを伝承していく……。
歴史の中で、選択と喪失を繰り返しながら、一人一人が、途切れさせずに紡いできたからこそ、それが今「神話」と呼ばれているのだと気づかされます。

​「神話」という題についてですが、ハングル(신화)の発音である(シン・ファ)とルビを振られていますね。
日本語の「しんわ」という枠組みにとどまらず、隣り合う他国の言葉や東アジアの地続きの歴史を詩の中に抱き込もうとされたのでしょうか。
国家や民族の境界線を越えた「共通の記憶・伝承」としての「神話」がどこにあるのか考えさせられました。

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。

※閑話ひとつ
昨今、自分が属する集団を守るために、異文化や異なるルーツを持つ人々を排除しようとする排外主義的な風潮が広がっています。
本作が、題の「神話」と結びの「神話」にハングルの音である「シンファ(신화)」を響かせたのは、単一の国家や民族の枠組み(「しんわ」)に閉じこもるのではなく、隣国の言葉、地続きの歴史を詩の中に抱き込む意思のあらわれでしょう。
「心の鎖国」を開き、他者の記憶や誇りを互いに許容しながら、現代における新たな神話を共に紡ぎ出していく必要性を深く感じさせられました。

16日はお誕生日だったそうですね。
おめでとうございます。
素敵な1年になりますように。

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☆「燻る」 ゆづは様

ゆづは様、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

真夏のお墓参りの情景を、繊細な身体感覚とともに情感豊かに描いた非常に美しい作品ですね。
最初に、佳作をお伝えさせていただきます。

​第1連から丁寧に情景が綴られます。
ゆづはさんらしい、繊細な描写です。
〈ぬるい水しぶきが/黒いスカートの裾を重くした〉……何やら不穏さを抱かせる静かな描写に続き、第2連で墓参りの光景であることが明かされます。
第3連……〈ジュワリと音を立てて〉という擬音は、柄杓の水が真夏の御影石に触れた瞬間の、あの独特な音を鮮やかに呼び覚まします。
御影石に張り付いていた熱気を「真夏の翳り」と呼び、水をかけることでそれが「溶けてゆく」と捉える感性には感服いたしました。

素直で丁寧な言葉選び、一行一行をとても大切に紡がれている姿勢が伝わってきます。
細部にまで神経が行き届いているため、魅力的ないい回しを挙げていこうとすれば全文を丸写しせねばならないほど、実によく書き込まれていますね。

​〈唇からこぼれ落ちる/透明な言葉は/土の底へと沈みゆく〉という展開も、強く胸に響きます。
声にならない声、あるいは届くことのない問いかけや報告が、死者の眠る土へと静かに吸い込まれていく様子が浮かび上がります。
第6連に続く、木々のざわめきや、葉擦れの向こうに聴こえる「いつかの笑い声」、そして「睫毛の先で揺れていた」光の描写には、手を合わせる時間に誰もが想う、懐かしさや寂しさといった感情が重なり、多くの方が深く共感することでしょう。

〈一礼して 歩き出す〉……空気が変わります。
濡れていたスカートの裾は乾き、日常の時間の流れへと戻っていきます。
しかし、〈あの指先だけが/まだ/燻っている〉。
線香の火を点けようとし、灰を纏った指先。
そこに残るほのかな熱と匂い、そして消えきらない記憶や感情の残り火を「燻っている」という一言に凝縮させて締めくくる構成は、本当に見事でした。
繊細な観察眼で日常を豊かに紡がれるゆづはさんの作品は、見過ごしてしまいがちな日々の光景にいつも新鮮な発見をもたらしてくれます。
今回はお盆の墓参りの時期にふさわしい、心に残る作品でした。

ありがとうございました。

​※閑話ひとつ
墓参りとは、過去と現在、生者と死者がほんのわずかな時間だけ交差する儀式のようなものかもしれません。
効率やスピードが求められる現代社会においては、お墓に参り、手を合わせる時間すら、ともすれば日常の忙しさの中に忘れ去られがちです。
線香の煙のように消えゆく記憶を抱えながら、指先に残る微かな「燻り」を頼りに再び日常へと歩き出していく……私たちが日々の中で見落としてしまいがちな、立ち止まって故人を想う時間の愛おしさを、静かに思い出させてくれました。

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☆「帝釈天は象の上」 三津山破山様

​三津山破山様、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

お寺の境内の空気や仏像と向き合う豊かな時間が、瑞々しい言葉で描かれていますね。
親しみ深く魅力的な作品です。

​〈蓮の季節に門をくぐる〉という夏の一幕から始まります。
蝉の声や青々と茂る枝垂れ桜、五重塔といった視覚・聴覚がもたらす描写が重なります。
その中で〈ソフトクリームには目もくれず、/講堂へと。〉という一文。
お寺でソフトクリーム?と意外な言葉を挟むことで、厳粛なお寺のイメージに軽やかさをまとわせ、講堂へと参拝者をいざないます。

講堂に入ってからの描写も素敵です。
梵天と鵞鳥の組み合わせなど、仏像のユニークな形態が自然と伝わってきます。

〈大きな目をした大日如来は/たぶん私に微笑んでいる。〉という受け止め方には、仏像に向けるどこか親しげなまなざしが窺えます。
〈クーラーもないのに、空気は冷たい〉という一行も、お堂の静謐な空気感を巧みに表していますね。
おずおずと進みつつも、お不動さまの前で〈ゴメンナサイ。頭を垂れる。〉と素直に頭を下げる仕草には、思わずクスッとさせられます。

​題にもある帝釈天との対峙を描いた中盤から後半の描写が、本作の見どころです。
真っ直ぐ前を見据える帝釈天と、その下で〈でっぷりとして、それはそれで。〉と佇む「にやりと笑う象」の造形を捉える視点がとてもユニークです。
柱に遮られながらも〈あなたの角度をさがす。〉という一文からは、仏像の立ち姿や表情を最も美しく拝める場所を真剣に探す熱量を感じます。
阿修羅を倒したとされる凛々しい姿(腰に左手を当て、右手に武器を持つ姿)をじっと見つめる作者の眼差しが鮮やかに浮かんできます。

​結びで、冒頭で一度は通り過ぎたソフトクリームにもどり〈やっぱり/ソフトクリームを食べてから帰る。〉と締めくくられています。
仏像への思いと、参拝後のささやかな楽しみという人間味が心地よく同居しており、読後に温かい余韻が残りました。

全体を通して、大変丁寧に情景や心情が描かれていますが、「梵天は逞しく」「鵞鳥は可愛らしく」といった箇所など、一般的な形容詞に頼らず、三津山さんの独自の言葉で紡がれると、作品の魅力がより一層深まるのではないでしょうか。
また、題が「帝釈天は象の上」ですので、もう少し、帝釈天に焦点を絞って紡がれた方がよいのかもしれません。
​御作、佳作半歩手前とさせていただきます。
ありがとうございました。

​※閑話ひとつ
講堂に並ぶ「帝釈天と象」「梵天と鵞鳥」「大日如来」「不動明王」、そして境内の「五重塔」や「枝垂れ桜」……本作の舞台は、京都の東寺(教王護国寺)でしょうか。
東寺講堂の立体曼荼羅という威厳ある空間の中に身を置きながら、肩肘を張らず、仏像たちと心通わす様子を拝読し、私も豊かな時間をいただくことができました。
帝釈天は、一面一臂で人間と同じような姿ですが、額にもう一つ目があり、「三目」になっています。元は戦いの神なので武人の姿をしており、手には金剛杵を持ち、象の背に片足は上げてもう片足は下ろす「半跏踏下坐」で乗っておられます。
像が作られたのは平安初期(839年・前年に最後の遣唐使が帰国し、日本は密教などの最新文化
を吸収し終え、独自の「国風文化」へと向かう過渡期にあった)ですが、お顔は鎌倉時代に後補されたもので、他の同時代の像とは雰囲気が異なっているようです。
白象に乗り、端正で美しい顔立ちと気品ある姿……たしかに「仏像界のイケメン」ですね。

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☆「睡眠時知的活動論(応用)」 石川ぼうず様

​石川ぼうず様、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

不眠の夜の重苦しさをユーモアへと鮮やかに転換し、人間の思考の愛おしい滑稽さを描いた、非常におもしろく味わい深い作品ですね。

​題の「睡眠時知的活動論(応用)」という少し大げさで学術的な響きと、実際に展開される「シマウマの尻尾の柄」という些細な疑問とのギャップが効いており、冒頭から引き込まれます。

​第1連では、〈強い睡眠薬を僕は常用している〉〈一晩中、暗い部屋でエアコンの灯を見つめながら朝まで考える〉という、本来であれば切実で重たい不眠の背景が提示されます。
しかし第2連以降、その暗闇の中で繰り広げられる思考の脱線ぶりが実に見事です。
​「アフリカにはシマウマがうようよいる」という風聞から、「日本でいう野良猫のように野良シマウマがいるのか」「ご近所トラブルになるのか」と、思考が明後日の方向へと転がっていく様には思わず吹き出してしまいます。
さらにパンダとの比較を経て〈いや、シッポの話だ〉と自らツッコミを入れて本題に引き戻す構成のリズム感も抜群です。
​終盤の〈家族は「ネットで検索すれば?」と言う/しかし、長年の疑問をそんな形で終わらせたくはない〉という一節……検索即答が当たり前になった現代において、あえて「検索せずに悩み続けること」そのものを愛でる姿勢、〈その研究は/今夜も進展しない〉という結びには、一見無駄に見える夜の思考時間に対する妙な誇りと愛着が感じられ、おかしさと悲哀が入りまじった
ような不思議な共感が残りました。

​御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。

​※閑話ひとつ
強いお薬を必要とされるほどの不眠、その夜の長さやお辛さは察するに余りあります。
どうかご無理なさらず、夜の時間が少しでも穏やかなものとなりますように。
検索すればすぐわかる答えをあえて探さず、夜な夜なシマウマの尻尾に思いを馳せる……そんなささやかな思考の時間が、眠れぬ夜を過ごす石川さんにとって少しでも救いとなっていればと願ってやみません。

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☆「雲の凱旋」 人と庸様

人と庸様​、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

嵐が過ぎ去った後の空の表情を「英雄たちの凱旋」になぞらえ、自然のダイナミズムと人間の心のありようを重ね合わせた、壮大でドラマチックな美しさに満ちた作品ですね。

​第1連では、雨を流し切り、風に切り裂かれた雲が、差し込む日の光によって〈明暗あわせ持つ深い表情〉を刻む様が鮮やかに描写されます。「涙を流す」などの擬人化も手伝い、単なる気象現象にとどまらない、重厚なドラマの幕開けを感じさせます。

​第2連の〈たたかいの空は広かった/その奥行きを確かめるように/彼らはゆっくりと行進する〉という展開も見事です。
激しい嵐(たたかい)を終えた雲たちが、堂々と空を渡っていく様子が「凱旋」という言葉につながり、一気に輝きを増して読者の視界をどこまでも広い空へと連れ出してくれます。

第3連から結びにかけての視点の広がりと抒情も実に豊かです。
東へ去りゆく雲(英雄たち)が〈自分たちの不在により/西の空をいっそう輝かせるために〉と描かれ、雲の去り際を、空の輝きを際立たせるための演出として捉える視線に惹きつけられます。

そして最終連、〈捨てられないものがあるから涙を流す者たちへの/明日は晴れるという/約束だ〉という結び。
涙を流す人々に寄り添う温かいメッセージへと鮮やかに収束し、深く澄み渡るような読後感を残してくれます。
人と庸さんの意図に反していたら、恐縮ですが、こちらの行分けを
〈捨てられないものがあるから/涙を流す者たちへ/明日は晴れるという/約束だ〉(「への」を「へ」としてあります)
として、1行を短くした方が、余韻が残るかもしれません。

​全体を通してスケールが大きく、情景が目に浮かぶ素晴らしい作品だからこそ、冒頭の〈嵐のあとの雲は勇壮だ〉という一行だけが、やや解説的な印象を与えてしまい、少しもったいなく感じられます。
勇壮さは、このあと十分に紡がれていますから、あえて記す必要はないかも知れません。
ご自身の描写力を信じて、言葉の削ぎ落としを意識されると、人と庸さんの描く詩の世界観がより一層際立つのではないでしょうか。

​御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。

※閑話ひとつ
知人のパイロットに雲について尋ねてみたことがあります。
雲は飛行機にとって大敵で、上空には霧や水蒸気だけでなく、雨粒や氷塊、乱気流があり、地上に達しない大小の雷電も潜んでいるのだそうです。
危険な雲は十分な距離をとって避け、どうしても突入せざるを得ないときは、情報と経験を頼りに進むそうです。
経験上、雲(嵐)は必ず過ぎ去るものだから、30分でもそれ以上でも、無数の安全な航路を描きながら待つのだと話していました。

​近年多発する激しい豪雨や気象災害の爪痕を思えば、空を覆う雲は人々の生活や命を脅かす恐ろしい存在でもあります。
しかしその一方で、雨を待ち焦がれる農家の方々にとっては大切な恵みのもとでもあります。

夏の勇壮な雲は、人々にさまざまな感情を抱かせ、流れていきます。
明暗や形を変えながら流れてゆくその勇姿を、評を書き終えたあと、ただ静かに仰いでいます。

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☆「永遠の時間」 小林大鬼様

小林大鬼様、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

家族を静かに愛し、実直に生きた一人の男性の生と死、その面影を端正な眼差しで掬い上げた、深く心に染み入る作品ですね。

ある家庭の日常と、そこに在る「あなた」という存在の確かな重みが、手際よく描き出され、詩は始まります。
​続く連で語られる〈さん付けで妻から/呼ばれていたあなたは〉「潔癖で頑固で実直」といった言葉によって、「あなた」の人物像が具体的に、かつ敬意をもって立ち上がってきます。
節分の夜の〈言われるままに鬼になり/豆まきして遊んだ後〉という家族との温かな交わりから、一転して、〈あなたは鹿島神宮駅まで/車で私を送ってくれた〉と、夜のドライブへと場面は変わり、作者とのあいだに流れる静寂な時間が伝えられます。

​車内で交わされる「クラシックピアノ」や「八木重吉」をめぐる会話は、作品全体の静謐なトーンを決定づける美しい場面です。

続く〈生前誰一人として/詩人と知られることなく〉という連ですが、「誰一人として」という主語に対する述語の呼応が崩れており、文法的な誤りが生じていると思います。
「生前誰一人として(詩人であることを)知らなかった」とするか、あるいは「生前誰にも詩人と知られることなく」と改めることで構文が正しく整い、本来の意図がスムーズに伝わるように思います。

重吉への思いと、作者が対峙している「あなた」の影が徐々に重なり合い、物語は不穏な予感(訃報、粉薬の記憶)へと傾斜していきます。

〈神と聖書を愛した八木重吉は/早く天に召されたいと望んでいたが〉とありますが、これは史実の解釈として必ずしも正確とは言い切れないと存じます。
重吉の手記には、信仰のなかで神のもとへ行くことを願う言葉がたしかに見られます。
しかし一方で、29歳で結核に倒れた彼の病床の日記には、妻の登美子や幼い二人の子どもを残して逝かねばならない悲痛な思いと、生への切実な願いが繰り返し記されているようです。
そのため、神の御もとを願う信仰上の言葉を、そのまま「早く天に召されたいと望んでいた」と捉えることには、慎重な検討が必要かと存じます。

〈最初で最後の他愛ない会話/あなたの断片が私に降る〉から終連まで、あなたへの深い悼みと慈愛は温かく、胸に響きました。

なお、作中の三点リーダー(…)につきましては、出版の慣例上「……」と二つ続けて記すのが基本となります。
形式面の整えもお勧めいたします。

​また、「あなた」という人称の頻出が少し気になりました。文脈上、誰の行動かが明白な部分はあえて人称を省くことで、より余白が生まれ、抒情が際立つのではないかと存じます。
ご一考いただけたら幸いです。

​​御作、佳作一歩手前とさせていただきます。
ありがとうございました。

​※閑話ひとつ
​八木重吉は私も好きな詩人です。
教科書に掲載されていた「素朴な琴」という詩がきっかけでした。

「素朴な琴」
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう

小林さんの作品に登場する「あなた」も、この「素朴な琴」の「美しい秋の世界に共鳴する、作者自身の純粋で敏感な心」の象徴に通じているように感じます。
​胸の奥で、弦がかすかに震えているような、澄んだ余韻が残ります。
なお、東京都町田市相原町に八木重吉記念館があり、無料開放されているようです(予約制)。

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☆「ふうりん」 じじいじじい様

じじいじじい様、こんにちは。
御投稿ありがとうございます。

ベランダの片隅に揺れる小さな風鈴の音色……無垢な疑問を描いた味わい深い一篇ですね。

​冒頭、〈チリーン チリーン ふうりんのおと/ベランダにつるした ちいさいふうりん〉という素朴なオノマトペとひらがな表記によって、純粋な幼い眼差しが開かれます。
続く連の〈かぜがふくと おとがなる/あついひは すずしくかんじる/きもちがいいおと〉に至るまで、五感に素直な描写が重ねられていきます。

​作品の骨格が鮮やかに切り替わるのは中盤の〈たいようにあたってあつくなっているのに/どうしてすずしくかんじるのかな?〉という問いかけです。
太陽光線によって風鈴自体は熱を帯びているという客観的事実に着目しながら、なぜその音が身体には「涼しさ」として感じられるのかという素朴な疑問を提示しています。
大人の経験知があるからこそ掬い取れる「物理的な事実」と「感覚の不整合」を、子供の言葉で表現した見事な着眼だと思います。

​さらに後半、思考は詩的な飛躍を見せます。
〈でもふしぎなんだ/ふゆにふうりんのおときいても/さむいだけでかわらない/どうして あったかくならないのかな?/ふゆはあったかくなればいいのに〉
​夏に「涼しさ」をもたらすのであるならば、冬には「温かさ」に転じてくれてもよいのではないか…この飛躍は、理屈を超えた純粋な願いとして、心に残ります。
「冬も温かくなって寄り添ってほしい」という願いが、ひらがなの柔らかい文体に包まれて胸に残ります。

構成の問題ですが、前半のゆったりとした2行、3行、2行の構成に比べると、終連の情報が5行とやや過密です。
例えば〈さむいだけで かわらない〉で区切り、連を二つに分けた方が、より詩行をいかせるのではないかと感じました。
ご一考いただければ幸いです。

子供の眼差しを借りてこそ描くことのできる、身体感覚の不思議と季節への素朴な哀感が同居する、愛らしい作品だと感じました。

御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。

​※閑話ひとつ

風鈴の音を聞いて「涼しい」と感じるのは、高音域の音色(4000ヘルツ前後)が「風=涼しい」という過去の体験と結びつく、脳の条件反射によるものだそうです。
実際、こうした体験に馴染みのない外国人に風鈴の音を聞かせても、体温は下がらないというデータもあります。
音を聞いて体が涼しくなるのは、音そのものの物理的な効果ではなく、脳が風鈴の音を「涼しさ」とセットで記憶し、体が自動的に反応しているというわけです。
音と記憶のメカニズム……面白いですね。

******* 
​以上、7作品をご投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、心を打つ素晴らしい作品でした。
拙い読みの中で、十分に汲み取れていない部分も多かったかと存じます。
もし読み違いなどがございましたら、お知らせいただけましたら幸いです。
​熊本の地震、千葉の水害……相次ぐ災害を思うと深く胸が痛みます。
ポツダム宣言受諾が公表された8月15日、お盆も過ぎ、過ぎ去った月日や平和の尊さに静かに思いを馳せております。
まだまだ残暑の厳しい日が続きます。
皆さま、どうぞお体を大切に、健やかにお過ごしくださいませ。

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