評、8/14~8/17、ご投稿分。 島 秀生
●光山登さん「同じ時間の中で」
主人公は囲いの外に出た豚(しかも文字が読める)で、元いた囲いの中の豚を見ながら、思っている図です。
主人公の「僕」には、満足した今があり、心も晴れやかに鎮まりかえっていると書かれているので、それで良いのではないかと思われるのですが、
どっこい、囲いの中に戻りたい衝動もあるようです。少々不条理ですね。
さらには、
不満足な昔と、満足した今。
どちらがよかったか、僕にはわからない。
という自問もあります。
うーーん、まあ、フツウの理屈でいうと、「知識は得たけど、幸せでない」「自由は得たけど、幸せでない → だから不自由であっても「囲いの中の方が良かったのではないか?」の疑問に至るわけですが、
この詩の場合、今に満足し、心も晴れやかだと書かれていて、「今が幸せだ」に極めてニアーな状態にあるので、だのになぜ「囲いの中に戻りたい」になるのか、理屈上ではわかりません。不明です。理屈ではない、不条理な感情があるとしか言えない。
そういう「感情の問題」みたいな、問題提起の仕方で良かったんだろうか?
まあ、どこまで満足しても「どちらがよかったか、わからない」の問いはつきまとうでしょうけど・・・。
あるいは、自分の昔と今ではなく、
今の自分は満足だが、囲いの外をそもそも知らない囲いの中の豚たちにも、囲いの中の豚たちなりの満足があるのではないか、という、別々の満足の両者の対峙の方が良かったんじゃないだろうか。
はたしてこの問題提起の仕方で良かったのか、ちょっと引っかかりは残りました。終連の終わり方はこれでいいと思うんですが。
まあ、囲いの中の豚と、囲いの外の豚(主人公)とした設定の思い切りはおもしろかったです。そこを評価して、おまけ秀作としておきます。
●トキ・ケッコウさん「つばめ」
そうですよねー
身体が小さいのに、長い距離を渡ってくる鳥を見ると、感心します。
いちおう途中、いくつかの島や陸地を辿って、途中休憩しながら来るんですが、にしてもトータルの距離を、あの小さい翼でよく来たもんだと、感心する鳥が多いです。
そのことを思うと、「太平洋のど真ん中に、つばめの墓場がある」という幻想は、とてもダイナミックで、良かったです。つばめにはつばめの死に場所が、あるやもしれませんね。
このあたりのところは、とても感心して読みました。
また、それがあることで2連の「後ろ姿を思う」も、つばめのそうした背景を思わせて、意味が深まります。
このへんの部分はおもしろかった。また出だしの4行もステキだと思う。秀作を。
ちょっと2点思ったのは、
海亀の「キキキ」が、本来、声を出さない海亀が、つばめを食べたことで声を出すという意味合いを含ませているのかどうか、単に海亀単独を想像で書いたものか、わからなかった。
2連、スピードを出す時の翼のたたみ方、ブレーキをかける時の翼の広げ方は、たしかにハヤブサと似ている。ただスピード+小回りという点では、断然、つばめが上回る(つばめは、翼の右左を別々の動きをさせるのが得意です)。そこはいいんだが、意味合いとして「後ろ姿を思う」の方が重い(初連の意味合いを含んでいるから)ので、そっちをラストにした方がいいような気がしました。飛んでる姿であっても、後ろ姿を思う、みたいな感じです。
●相野零次さん「下敷き」
出だしの5行がバツグンにおもしろいね。
僕は今日も「愛してる」
と下敷きに書いて出荷している
膨大な量の「愛してる」が
国語はもちろん
算数や社会のノートに挟まれる
この、現実にない、架空の職業で描いてみせたところから、おもしろい。こういう職業なら私も働いてみたいと素直に思った。夢のある職業ですね。
そして、みんな「愛してる」の意味を実はよく知らないという、真理にも近いところから、「愛してる」の言葉の歴史(架空)が2連で始まります。
戦争に対峙する言葉として「愛してる」があるというのは、私、ジョン・レノンの「LOVE & PEACE」の思想を想像させてもらった。彼も英雄ですね。この2連の話は、実に彼と重ねて読ませてもらいました。
まあ、千年前に「全国の小中学校」や「下敷き」は、実際のとこ、存在してないんですけどね。この詩は冒頭から大人の童話的なお話の展開なので、そこは事実と違っても、気にしないことにしました。
そして3連以降のように、本当にみんなが「愛してる」の言葉を、いい意味で連発・乱用するようになったら、世界は平和になるのかな、なんて希望を抱かせてもらいました。
話はとてもおもしろいです。名作を。
ちょっと一つ大きな問題があって、
出だしの5行を読むと、「僕」は、下敷きを出荷してる側の人間(メーカー側の人間)に読める。また2連においても下敷きを配った歴史があるのだから、それは職業として今も続いていると読める。
1~2連の経緯では、「出荷する」の意を、「愛してる、の言葉を発している意の比喩」とは受け取りにくいです。
対して4連の「僕」は、完全に小学生です。同じ「僕」ですが、キャラ設定がズレていってる気がします。小学生が下敷きを出荷してるとは、思いづらいものがある。このキャラのズレは解消しないといけない。
で、ノートが学校で使うノートだけではなく、仕事や家計簿ふくめ、日常的に誰しも持ってるノートと受け取れば、3連も、1連からの流れで矛盾しない。
なので問題はあくまで4連ということになります。
そこで、こんな策を提案しておきます。
下敷きが挨拶してくれるんだ(3連最後までそのまま)
もちろん子供たちも使っている
おはよ! 愛してる
(以下、4連全部一字下げ)
と、いう感じでの、4連を別キャラとして残す、切り替え案を提案しておきます。
もう一点は、2連7行目の
その時には「愛してる」という言葉すらも
闇を表現する言葉だった
の「その時には」ですが、「その時までは」とした方がいいでしょうね。
こんな感じ、
その時にあらわれた英雄がはじめたことだった
その時までは「愛してる」という言葉すらも
闇を表現する言葉だった
この方が時系列がはっきりしてわかりやすいと思います。
●Mayさん「いつか」
老猫になるまで飼ってあげてるんですね。
猫もなかなかに長生きするので、仔猫の時から最後まで飼ってあげてる人は、比率的にはそんなにはいないと思う。
カワイイ時ばっかりじゃない。手間がかかる時もある。手間がかかるようになっても、最後まで見てあげるのが、本当です。生きものなんですから、当然、両方ある。生きものを飼うとは、そういうことなんですけどね。
詩で描かれた老猫は、まさに家族同然で、ずっと大事にしてもらってて、良いですね。キッドという名からすると、男の子かな?
抱っこを嫌がるのは、独立心が強い動物に多い現象です。その子もきっとそうなんでしょう。時々、人から見えにくいところに行きたがる点とも符号するかもしれません。もちろん、死期を感じた猫が姿をくらます、という習癖もあるんですが、普段からそんな感じなら、独立心強い系かもしれません。
2点わからないことがあります。
「頭の上をパタパタ小さな足音が歩き廻ってる」は、これ、猫が2階にいるということなんでしょうか? いや、猫の重量の足音くらいで、2階から聞こえるとも思えない。これ、アタマの上に通路になる棚のようなものがあるんでしょうか? それともベッドではなくて、畳部屋で寝てる感じなんだろうか? それなら畳の端を通過していく様子が想像できますが。
そこのところの言葉が足りないので、家の中の様子を想像しにくいのです。読んでて、アタマの中に映像化がしにくいのです。
もう1点は仔猫が突然登場することです。ずっと老猫の話だったので、一匹のつもりで読み進んでましたから。この仔猫の登場が唐突でした。合計2匹飼ってるということなんだろうか? まだ他にも仔猫がいるんだろうか? 家族構成(?)がわからんです。想像ですが、この仔猫はキッドの子では、たぶんないんでしょうね。キッドがオスかメスかもわかってないんで、キッドの子という公算も残ってるんで、違うなら打ち消してほしいところです。違う種類の猫だったら、そう言ってもらったら、そのへんも明らかになります。
もしかしてアタマの上を歩き回ってたのも仔猫の方なら、仔猫とか、別の名とか、書いてもらった方がいいです。混同して読まれないように、もう一匹いる感を先に出しといてもらった方がいいです。それかいっそ、この詩に関しては、仔猫の方は登場させないか、です。
この詩、単独で読むには、2点が不明で、そこはアタマの中で映像化しにくかったんで、一考下さい。1作でカバーできなかったら、シリーズ化して何作か続けることで、解消する手もあります。
でも、後半の老猫の様子自体はよく書けているし、キッチンの感慨も良かったんで、おまけの秀作にしておきます。
●aristotles200さん「泉」
不老不死のものを探す旅ではなく、あっさりと不死になってしまった者が、不死を解いて、しねるにようにしてくれる泉を探すという、まさに逆の旅です。冒頭からたいへんおもしろく読みました。
で、延々と旅を続けるかと思いきや、あっさりやめちゃうところがまた、逆発想でおもしろいです。
不死を良いことに巨万の富を築き、金でもって、世界の泉の水を集めさせるという暴挙に出ます。なるほどその方がずっと効率的で、目的達成のためには得策です(冨があるならば)。この話の設定が現代の話であるので、この現代感覚の対応がリアル感を増してていいですね。
で、巨万の富を得ても、この身体が得られないもの、不死と同時に失ったものとして、睡眠と味覚がないという体感の話が出てきます。この肉体感覚の不備のようなもの、デメリットが、「不死」の身体をよりリアルなものにしています。感覚を無くすということは、ある意味、人としては死んでるのはないか、という主人公の自問もあります。
後ろから2つ目のパートでは、いよいよ神的な存在になり、人々を導き、アルマゲドンから回避、核兵器を廃絶し、恒久平和と共生社会を実現するという快挙に出ます。これは架空の話であっても、やってみたい、すばらしいことですね。
ただ主人公の孤独、不死解除の願いは叶えられないままで、最後は地球をまるごと宇宙船にして、人々を連れて、宇宙へ「解除の泉」を探しに旅立とうとします。思いもしない次の次元へ向かう結末で、エンディングもおもしろいですね。
これは単にストーリーがおもしろいというだけでなく、aristotles200さんが得意とする哲学的な思考が、この主人公によって実践され、映像化、実体化したような裏打ちがありますね。主人公の自問やモノローグには、その場に置かれたら、人間はどう動くかという深い考察がある。だからおもしろいのだと思う。単なるストーリーの妙だけではない。
名作&代表作入りを。すばらしい出来だと思います。これまでのaristotles200さんの、1位、2位を争う作でしょう。まさに読むに値する作でありました。
こまかーいとこ、一点だけ。
後ろから2つめパートのアタマ。
今、ここは
いや、きっと未来
が、ちょっと意味が取りにくかった。
「今、ここは」は、今、ここで終末戦争が起こっても、の意で、2行目でもって、「いや、未来に」と、言い換えてる感じなんだろうか?
例文でいえば、
今、ここで
いや、きっと未来に
終末戦争が起きて
世界が滅んでも
たった独り
私は荒野を彷徨い続ける
こんな感じの理解であってるだろうか? そこだけ意味が取りにくかったので。
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千葉豪雨を見た時に、あの降り方だったら、日本国中どこであっても、あふれると思いました。
日本の排水は1時間に50mmくらいまでの想定でできているところが多いので、100mm以上が続くと絶対ダメです。どこでもあふれます。本当に自分ごととして、そうした時の対応を心づもりしておかないといけない時代になりました。特に車に乗る人は。
千葉といい、そのあとの能登南部といい、異常気象は次のステージに上がったと言える気がします。
豪雨災害を受けられた方に、心よりお見舞いを申し上げます。