◎9月 1日(火)~ 9月 3日(木)ご投稿分、評と感想です。 (青島江里)
9月 1日(火)~ 9月 3日(木)ご投稿分、評と感想です。
☆夏の終わり ゆづは さん
日常のオンオフと、夏から次の季節へと移行してゆく流れがうまく重ねられていると感じました。
三連目の「青白く光る画面」ですが、おそらくスマホの画面を差しているのだと思いますが、場合によってはTVの画面もしくは、」抽象的な表現としての心の一面をしてとらえてしまいそうになることも考えられそうです。「画面」を「てのひらの画面」など、画面の大きさを特定する単語を加えることで、より一層、今の状況を把握することができると感じました。「考えることをやめて」と「暗い階段のステップを」以降の系統ですが、どことなくスムーズに繋がっていないように感じました。個人的には、次の連で「昼間の顔は霞み」という同じ意味ともとれる表現があるので、「考えることをやめて」を省略した方がスムーズな流れになるようにも感じました。
二連目の「小花柄のブラウスが/鏡の前でくたびれている」という表現は、暑い夏の間、何度も着用して歩いた、生き生きとした姿を思い浮かべることができました。「くたびれた」を用いることで、まるでブラウスの小花が過去に生きていたかのような感覚になりました。と同時に、夏の終わりを感じることもできました。
四連目の「鍵をかけたドアの向こうで」からラストの「枕元に降り積もってゆく」の夏から違う季節への移行の表現。全く別の空間に見える、インナーで起こる季節の移行を、違うものではなく、室内も屋外も、違うように見えてすべて、同じ日常に流れる夏の終わりだと表現し、かつ、ラストに静かな余韻を残してゆくところは、眩しい夏から終わりに近づいてゆく静寂も感じさせてくれました。
騒がしい昼間からスマホを閉じてベッドに入る流れは、季節の移行とうまく重なり合い、読み手にも穏やかな眠りを誘ってくれそうな作品の構成でした。今回は、ふんわりあまめの佳作を。
☆うるてぃま 上原有栖 さん
世界の成り立ちを四方の神様を通じて解いてゆく筋道。北国の星は、なぜはっきりときれいに見えるのかという理由を、空気が澄んでいる以外に「凍りついて膝をついた神様の顔が、私たちの近くまで降りてきているから」と理由があると論じているところ、とても詩的で神話的でした。
またタイトルにも関連する「うるてぃま・とぅーれ(世界最北の地)」という言葉の響きも美しく、世界の最北にいる孤独な神様のイメージとうまく重なっていると思いました。
最北の神様メインで内容を進めていると捉えると、特にこのままでもよいと思うのですが、欲を言ってしまえば、四方の神様という言葉が出てきているところに注目すると、他の神様はいったいどのような状況に至ったのかという点にも触れて追記してみると、世界の危機感のようなものを浮かび上がらせることができるかもしれないと思いました。また、現在、なぜ、北の神様だけが忘れられずにいるのかという理由。みしるしが拝めるからということを、最終連の中に盛り込むと、詩の世界により一層の広がりを持たせることができるかもしれないと感じました。
題材のスケールは大きいのですが、詩の組み立ても的を外すことなく、うまくまとめられている作品になっていると感じました。佳作を。
☆一つ aristotles200 さん
※訂正のお知らせありがとうございました。確認済みですのでご安心くださいね。
何とも言えない奇妙な世界。エスカレーターに乗るという、日常のどこにでも見られる風景から、徐々に異常な世界に引っ張られていくようなホラーのような世界観が、かなり独特です。
一連、一連、短く区切っているためか、その都度その都度の内容が、パッパッと切り替わっているようなスピード感になっていて、まるで映画のフィルムが一枚一枚切り替わっていくような映像のイメージもありました。
「最初に戻っている」の繰り返しは、半端ない絶望感を示すことができていて、前の人の服を触ったら自分もループしたことで「全員自分だ」と気づく流れは、一貫した表現になっていて、読み手に不思議な納得感を誘引してきました。また、「全員/自分が振り返っている」「全員が/前の人に話しかけている」という描写は、映像として考えても、不気味でインパクトの強い描写になっていると思いました。そして、エスカレーターに乗っている人たちの姿を、白ワイシャツとスラックスというサラリーマンの服装として量産した点は、個性が消された記号的な存在が大量発生する不気味さを巻き起こしていて、こちらも、非常に不気味な空気を生み出していると思いました。
少し気になったのは、ラストの「巨大化した私たちが立っている」という描写です。増殖しすぎた「私」が駅に収まらなくなって、お互いが組み立て体操のようなピラミッドのような一つになって巨大化しているのか、外に出た一つの「私」が別の一つの「私」に次々と吸収、融合されて巨大化したのか。どちらの一つであるのだろうかという点で迷ってしまいました。どのような延長線上での巨大化だったのかを、間に補強することで、恐怖感を増強することができると思いました。
日常の何気ない風景のどこからか裂けて、悪夢が広がっていくようなホラー感。とても独創的で、インパクトの強い作品でした。今回は佳作半歩手前を。
☆あしたはどっちだ? 三津山破依 さん
めだかでは、「西陽」「ポリバケツの水温」「うちわの風」「蚊取り線香の煙」など、日本の夏のノスタルジックな情景がよく伝わってきました。読後に見返すと、二連目の「もう夏だから」については、充分に夏だと伝わっているので、省略するか、別の具体例に入れ替えると、説明的にならず、リズムがよくなると思いました。
「ホテイアオイに卵を産みつけ、/孵化した稚魚に食らいつく。」の後に「青春だなあ」を続けた点については、自然の残酷な「生」を感じさせると同時に、人間の生活にある、心の渇きや切なさを感じさせてくれました。
流れる雲を数えにでは、明色から暗色への感情のグラデーションの表現がよかったです。
美術館やコンサート会場という華やかな場所から始まり、動物園、映画館という場所で溜息をつくようになるという、徐々に変化する心の陰りを描いています。最後には校庭という場所に辿り着きます。それは、強い拒絶と孤独に着地させることに成功していると思いました。動物園のところで「親子連れに溜息を」としている部分については、どうして溜息なのかということ、楽しそうな笑顔が眩しい系や、自分は一人で来ているという孤独感を表す系等の表現を加えると、映画館で目を瞑る意味がより深くなるように思いました。全体的に心の色の流れの描写がとてもよかったです。
二つでワンセットの作品。二つ合わせて意味を考えると、日常にある時間の流れと心の流れに有している、主人公の、前向きになれる居場所探しに戸惑う孤独感が伝わってきました。今回は佳作半歩手前を。
☆始業式 May さん
初めてさんですね。今回は、感想のみで書かせていただきますね。
お盆を過ぎると夏が古びていく
この一行、夏休みが終わるとせずに、古びてゆくとすることで、子供なりの、夏休みが終わってゆく、色褪せてゆくような憂鬱感を一瞬で伝えることができている印象深い一行でした。また「クラゲがうじゃうじゃ混み合って/子供の頃は面白がって網でつついた」という行も、強度の生々しさが、しっかりと子供の頃の記憶を呼び起こすことに繋がっていて、印象深い行でした。
時間の経過についてですが、①お盆過ぎ(八月の後半)②金木犀が香る③始業式(9月1日)と並べられていますが、金木犀が本格的に香るのは、始業式の後になるので、金木犀とは違う8月末から9月の初めを連想させるものをおくことをおすすめしたいです。私が思い浮かんだのはツクツクボウシという蝉の声です。最近はあまり耳にすることも少なくなりましたが、他の例えとしては、気温の変化や雲の形等を用いるのもよいかなと思いました。
ラストの三行も印象深い行でした。「友達と会えた」嬉しさよりも、「自由が奪われた感覚が勝つ」という着地の仕方、子供の本音がとても現実的に表現されていると思いました。大人には直接ぶつけられないような、子供の憂鬱感が、ストレートに表現されている作品になっていると思いました。
☆当たり前だった夏 石川ぼうず さん
初めてさんですね。今回は、感想のみでいかせていただきますね。
とてもユーモアのある作品。まさかまさかのラストの展開。してやられたり~!の気分になりました。全然作り話ではなく、本当にありそうな題材なので、それがまた、より多くの笑いを誘いました。
「過酷な労働環境及び待遇に抗議します」
冒頭の一行を拝読すると、社会に対する理不尽さを訴える作品なのかと思ってしまいましたが、なんと、扇風機の訴えだったとは?!想像もつきませんでした。
その後の「僕」の扇風機に対する思いや、回想が日常アルアルで、読み手の私にもよく似た経験があり、作品の中に自然に入り込んでいけました。小さい頃のほのぼのとして思い出から一転して、コンセントが抜けていたのに気づかなかっただけの、コントで言えば「オチ」のような展開への落とし込み方が綺麗だなと思いました。
ちょっと気になったのが、ラストの「蹴っ飛ばした」という表現でした。直前まで「足でスイッチを押したこと」を反省していた主人公の行動としては少し暴力的で、読み手によっては、「僕」に冷たい印象を抱いてしまうおそれがありそうです。「この野郎、コンセントだったのか!」の後に続く言葉に対して、読後感をやわらかくするための工夫があれば、更にユニークさを極めることができるようにも思いました。「コンセントを入れた瞬間/扇風機は気まずそうに回った」や、「そう言って奴に/ヘッドロックをかましてやった」と、ふざけて扇風機に抱き着くようなしぐさを見せてみるのも、面白そうですね。
扇風機を擬人化からの冒頭からラストのうっかりアルアルの落とし込み方が面白かったです。短めの作品の中に、きちんとしたストーリー性があるのもよかったです。
☆雨・遠景 河辺いすみ さん
初めてさんですね。今回は感想のみでいかせていただきますね。
とりまく情景と、「きみ」の心理描写がとても繊細ですね。雨の冷たい温度と暗さを起点として、ラストの光の温度と明るさへと展開してゆく流れはとても美しいです。
「髪は小川になる」では、雨の質感や重みが伝わってきました。また「きみ」の細い腕や瘦せた肩という言葉からは、「きみ」の心細さや孤独感が伝わってきました。
流れるような色彩のグラデーション。曇天の灰色から雨上がりの琥珀色の時間の流れの描写は、視覚的にも触覚的にも訴えてくるものを持っているように思いました。
四連目の「水を被った 白く高い屋上で」についてですが、バケツの水を被るような突発的な雨と捉えられてしまう可能性があるので、単純に「雨に濡れた」でも充分だと思いました。
全体的に見て「雨」「雨粒」「雨垂れ」と、似たような言葉が重複しているように思える箇所があるので、一部を「水滴」など、代用の言葉を探してみるのもよいかなと思いました。
ラストの「砕け散る光 ひとつひとつに/過去と未来に 目を合わせている」の表現は、孤独や不安を和らげてくれるような温かさがあり、雨上がりの、安心という幸福感を感じさせてくれる作品に仕上げてくれていると感じました。
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秋雨前線の長雨のせいか、日照時間が少ないこの頃ですね。こんな時、朝に久しぶりの太陽を見つけることができると、嬉しさでいっぱいになりました。天候は安定せず、束の間のお天気でしたが。「束の間」という言葉が、こんなにも幸運を感じる言葉に思えたのは、初めてかもしれません。この「束の間」をしっかり覚えておいて、気持ちが駄々下がり気味の時に思い出せたらいいなと思うこの頃です。
みなさま、今日も一日お疲れ様でした。