歴詩奇譚 鎌倉篇 二 「守時」
*鎌倉幕府最後の執権 北条(赤橋)守時
幕府滅亡にあたり
数奇な運命を伝えて
時代の記憶から去っていった
彼が執権になったのは
自らの資質でも努力でもない
*ある政争の果てに
指名されたに過ぎない
彼が
凡人だったか
賢人だったか
それすらわからない
彼の執権在任中
幕府は存亡の危機に瀕していた
そんな異常時
彼の本当の意志は何処にあったろうか?
京都では 後醍醐天皇の倒幕運動が激化
それを討伐する軍勢が鎌倉を出発する
その中に有力御家人・足利高氏(後の尊氏・足利幕府初代将軍)がいた
高氏は倒幕側に寝返るのではないか?
当時そんな危惧があった
ここに深刻な事情がある
足利高氏の妻女は赤橋守時の妹・登子
つまり守時は高氏の義兄
果たして高氏は幕府に反旗を翻した
ここで守時の立場は悪くなる
「赤橋 足利に同心して裏切りか?」
執権ながらその心事を幕府から疑われた
幕府は高氏出陣にあたり妻子を人質に取っていた
当然な処置である
だが高氏の妻子は人目を盗んで脱出
ここで守時が問題なのは
その逃げる姿を
見逃してやった可能性が高い
おそらく事実だろう
おそらく妹と甥を思ってのことだろう
しかし これは明らかに利敵行為である
執権・守時は幕府により幽閉させられた
ただし
彼には幕府を裏切る心は全くない
確かな事実である
肉親と
自分が拠って立つ幕府とは
全く次元が違う
新田義貞の倒幕軍が迫っている
ともかく鎌倉の危機である
総帥・北条高時は執権・赤橋守時を召した
出陣を促す
「父祖伝来のこの地を守るがよい!」
高時としては守時の去就を試すつもりだったろう
あるいは こうも言える
守時の本心を察し
高時は守時に死に場所を与えてやった
むしろ 好意だった と
赤橋守時 執権ながら
自ら最前線に身をさらす
自らの潔白を示す為
鎌倉七口のひとつ 巨福呂(こぶくろ)坂から
洲崎にかけての戦場(いくさば)
この地で一日に六十五回の戦いを敢行し
意地でも生きて帰れない
自害した
もはや彼にとって
勝ち負けではなかった
繁栄でも滅亡でもなかった
ただ 裏切ることなく
赤心をもって幕府に従う
自らの死によって
潔白を明かすのみ
歴史に刻むのみ
利害でもなく
打算でもなく
名前でもなく
地位でもなく
与えられた
自己の“時を守る”ため
*鎌倉幕府最後の執権……よく北条高時を”最後の執権“と勘違いする向きがあるが、そうではない。最後の執権は、
通称・赤橋守時こと北条守時である。彼の生まれは赤橋流北条家で家格は本家に次いで第二位。得宗(本家総帥)の
北条高時が実務者としての執権を分家筆頭の守時に委嘱したもの。
*ある政争……次期執権を誰にするかで政争あり。北条(金沢)貞顕がなったが、反対勢力の巻き返しに遭い貞顕が恐れをなし、
十日で執権を辞任した代わりに赤橋守時が指名された。
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付記。
〇赤橋守時が最後に守った巨福呂(こぶくろ)坂や洲崎は私の家から近い。とりわけ洲崎は激戦地であり、彼の自刃の地。
現在、「洲崎古戦場」の碑が立っている。近くの小さな森には、その戦死者の為の供養塔が立っている。
俗に「泣き塔」と呼ばれ、昔はその塔から、むせび泣きの声が聴こえたという。この塔は今も同じ場所に現存するが、
鎌倉市再開発の対象になっている。赤橋守時の墓はその菩提寺の鎌倉市扇ガ谷・浄光明寺にある。
〇大河ドラマ「太平記」では、赤橋守時を俳優・勝野 洋が演じておりました。その意志の強さ、かっこよかったです!
洲崎古戦場碑