感想と評 10/7~10/10 ご投稿分 三浦志郎 10/14
ちょっと予定が詰まってきたので、お先に失礼致します。
1 理蝶さん 「俺と星に」 10/7 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。まずタイトルに感応します。一文としては危うく不完全なものですが、全篇読んで循環的に思う事は―おそらく(なろうぜ)を省略している、意図的に。そこにまず詩的センスのようなものが感じられます。さて、本文です。常に「君」とのアフェアーの中に心はある。それがどういう物かは判然とはしませんが、ムードとして剣呑とまでは言わないけれど、斜に構えたような、少し開き直ったようなトーンなのですが、ひょっとすると、これが「俺」の求愛であり、変則ながらの愛情表現なのかもしれない。「好き過ぎて、どうしていいかわからない」そんな叫びあげたい感情かもしれない。詩行は現代詩的な比喩の飛ばせ方が印象に残って、いいと思います。「~なる」の多い中で「~なるんだ」など「~んだ」の使い分けで読み的にも意味的にも強弱をつけています。荒いようでいて、けっこう考え抜いています。詩行は1行ずつ空けずに詰めて、塊感を出しましょう。その方がスタイルも解釈もよりタイトになります。この詩はある意味、ハードな面もあるので、なおさら。これだと、せっかくのものがちょっとふやけた感じです。詩は塊で読ませるもの。ここぞ、と思った時は1行でも2行でも空けましょう。(ちなみに、ここは1行空けの空間が広めのようです)なかなか興味深いかた、また書いてみてください。
2 秋冬さん 「誕生日の夜」 10/8
タイトルから「間に合わなかった」まで、事情の全てを理解します。この詩、シンプルな中に、けっこう各種の事情をさりげなく伝えて、そこがいいです。そこが秋冬さんの身辺日常の上手さです。
(ひとり?)(遅くまで仕事?) そして父母との幻のやり取りが、やっぱり印象深いのです。「既に二人を超えて~」のくだりは遠い目をしたくなるほどです。ちょっぴり切ないけど、暖かみがあっていいなあ~、これ。ハイボールですか、いいですねえ(バーボンで?)今宵は酔いつぶれちゃってください(明日、休みなら……ネ!) 佳作です。誕生日、おめでとうございます。
アフターアワーズ。
この詩の主旨に即しての当家誕生日事情。それなりに祝いますが、必ず以下のひと言がつきます。
「今宵、とってもスーパースター、されど一夜明ければ、ただの人!」
3 エイジさん 「夢想花」 10/8
この詩とは直接関係はないですが、ピカソの話、大変おもしろかったです。「ナンパ」ですかあ。
本来、詩言葉としては不釣り合いなものですが、こういう流れにブレンドさせると違和感ないのが不思議なくらいですなあ。ここで注目しておきたいのは夢本論で出て来る「虹色の花」で、センスというか、想像力というか (考えましたなあ)といった感じです。僕が好きな所をフレーズで拾うと……、
夢の中でしか
咲かない花があるという
ここですね。何気なく、そしてシンプルではあるけれども、ここに含まれている幻想性のようなものを充分掬い取っておきたいと思うのです。最後に全体を俯瞰してみると、前半のピカソ部分と後半の花部分が全く別物として相乗りしている状態を、どう評価するか?なんです。ただ、エイジさんの試みとしては珍しい傾向だし、チャレンジ的にも思えてくる。難しいところなんですが、ひとまず佳作半歩前で。
4 成城すそさん 「あなたが来てから」 10/9 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。 さて、多少分析的になりますが、冒頭……
「あいしてるの」―「の」が付く場合、ほぼ100%、女性発話なんです。この詩を通読してみて得られることは、相手の描写を含めて、全てにおいて……
女性→男性
と推測できるのです。そうした場合、唯一引っ掛かってくるのは「ポニーテール」です。ここに捉われてしまうと、読み手は上記の構図が揺らいでしまうのです。何か特殊な解釈が必要なのか?そんな不安も出てきて、読んでいてストレスを感じるようになります。電車のホームのシーンの書き方は好きですね。情感が見えてくるし、これでいいと思います。あと「どうしかなっちゃいそう」は「どうにかなっちゃいそう」の誤植でしょう。「雪かのような」―「ような」を名詞に付ける場合は「雪のような」でいいです。「かのような」は副詞的・形容詞的「句」に付ける場合が殆どでしょう。もう一歩推敲されることをお勧めしましょう。また書いてみてください。
5 荻座利守さん 「コスモスの花びら一枚」 10/9
冒頭上席佳作です。この詩は花の名と同時に「COSMOS」=「秩序ある体系、調和ある総体」という意味の方からも発想された可能性が高い。両者を上手くブレンドさせながら詩が展開されていきます。その状況は初連に端的に表されているでしょう。とても含蓄があり巧みな表現です。6連までがそのイメージのメカニズムになります。本論はやや遅く始まり「なぜなら~」以降でしょう。それは前半も重要だからです。前半は「花びらが一枚落ちる」という悲劇を取り上げて、後半を”逆証明“していることになるからです。この構成は、ちょっと唸らざるを得ません。後半はコスモスの花がもたらす、人と世界の再生への示唆であるでしょう。論理は堅牢にして整然。ロマンも勇気づけもある。
この主旨が「です、ます」調に乗せたのも大正解。隙なし、指摘なし。以前散見された迷走なし。
思考花開く。これ、コスモスを育てるように大事に持っていてください。
アフターアワーズ。
今、コスモスを育てています。ちょっと前の台風でなぎ倒され壊滅寸前だったのですが、やられた部分はカットして様子見たら、以前より縮小傾向ながら蘇ってきました。コスモスも僕も再び世界と結びつくのです。
6 じじいじじいさん 「あわてんぼのあき」 10/9
はい、これいいです。佳作です。そのまま、立派に絵本のタイトルになりそうです。
出だしのくしゃみも意表を衝き、予感を伝えてグッドです。カラスやスズメの様子も可愛い。
幼い女の子がホントに思いそうなリアルさもありますね。そのあたりもわかっておられる。
「きゅうにさむく」「そんなにいそいで」を「あわてんぼ」という語感に込め、可愛らしさは二重丸◎。
「ゆっくりゆっくりおねがいね」のまとめもよかったです。前回の秋の詩の不具合を盛り返して、おつりも来ました。
7 ロンタローさん 「秋についてのエトセトラ」 10/9
「エトセトラ」って言葉、久しぶりに聞いて、それだけにかえって新鮮に思えました。そのせいか、タイトルのリズムもキマッてます。詩にそういう分野があるかどうかわかりませんが、名付けるならば「エッセイ詩」といったところでしょうか? この詩の2~3連に大きく共感したいと思います。
2連……寒暖インパクトとしての夏冬ふたつが頂点で、春と秋はそれらにひっそりと寄り添う従者のようなイメージがあって、春よりも秋のほうがひっそりとしたイメージです。ちなみに1行目の同主旨のことをニュースで分析してましたね。
3連……これは自分(僕)の境遇にも引き寄せて考えることができます。確かに何かが下っていく感覚はあります。おそらく年齢のせいかと思われます。
エトセトラの中にキンモクセイが上手く溶け込み、この詩にひとつのトーンをもたらしています。
しっとりと落ち着いた味わいがあります。技術論的には特に見るべきものはありませんが(失礼!)、そういう種類の詩でないことは、ロンタローさんがなによりご存じのはずです。佳作一歩前で。
8 ゆきさん 「終わりに」 10/9
タイトルは「終わりに」ですが、確かに終わりは近いけど、まだどこかに余地がありそうな気がする。
僕はそう読みました。
返そうとした部屋の鍵を
持っていていいよ と
受け取らなかったのはどうして
この連を特記したのは、僕が最も印象深く思ったと同時に、この事態はこの恋愛の事情を語り、この詩のひとつの顔になっているように思えたからです。場面も心情も見えて来る。何より、このフレーズが示す微妙さに、冒頭書いた「余地」が認められそうです。ちなみに「どうして」の末尾に「?」を入れた方が、連としての濃度も高まり、心情はより伝わりそうな気がしてます。6連は僕の中では解釈が少し行方不明になりそうです。7連以降は悲しみのトーンとして、これでいいと思います。特に8連は印象的です。改訂された終句ですが、冒頭抜き書きした連が示す事態を深く考えていくと道は見つかりそうな気もするんですがねえ。また別の詩が生まれそうな予感もしてます。甘め佳作を。
9 cofumiさん 「別れの朝」 10/10
「8 ゆきさん」と並んでこちらも、終わりを迎えそうな恋愛詩です。こちらもまだ余地あり、という気はしますが。前半では「砂時計」と「髪の先まで反応してしまう」は要注目でしょう。「砂時計」って詩によく似あいますよねえ。その分、使われ過ぎに注意なんですが。「髪の先~」はなかなか練られた表現でした。「最後の~」以降の後半が読みどころだけに遇し方も難しくなります。
最後に肩を抱くのは
ただの 罪
こういう詩でこういうフレーズが出て来ると、もう、えも言えない気持ちになりますなあ。罪か?はたまた救いか? 投げかけとしての優れたフレーズでしょう。ここと上の連を含めて、これ、相手からのモーションですよね? それを受けての最終の自身の想い。再び火は熾ってくるのかもしれない。甘め佳作を。
「8」「9」へのアフターアワーズ。
どちらも恋愛終末の淵に立たされての、しかし、まだ微妙さは残している風情が殊に詩的でありました。どちらも、フレーズにおいて抜き書きに耐える良さがありました。
10 朝霧綾めさん 「二〇二二年スポーツの日」 10/10
「7 ロンタローさん」の稿で「エッセイ詩」と書きましたが、詩にそういう分野があるかどうかわかりませんが、名付けるならば「日記詩」といったところでしょうか?
はい、これは難しいこと抜きに、評価もあまり意識せず、もう楽しく読ませて頂きました。10月10日のことですよね?事実なんでしょうね。この詩の神髄は“あっけらかんとした真面目さが、かえってユーモアを呼び込む”といったところでしょうか。「おもしろまじめ」は僕が最も好み、そうありたいと思うところのものです。この詩はそのツボに大ハマリにはまってますね。愛すべき詩のキャラクターです。「ふて寝」「ちゃちゃっと」「つまんないなあ」では、大変好意的に笑えるのです。そんな中にあっても終連のひとつ前。どんな日であっても、希望や喜びを見出せるのは「ちょっと嬉しく」なることでしょう。日常達人。これは、“せっかくなんで”、評は割愛して、純粋に詩を楽しみましょう。
アフターアワーズ。
どうでもいいことなんですけど、「八時前に」寝たけれど、投稿時間が22:01。これまたいいです。いや、失礼。
評のおわりに。
秋冬さんとロンタローさんの作品エッセンスをミックスして考えたことがあって、ちょっと仮説を書いてみます。「人は自分の誕生月から、それが属する季節のことを考えることが多いのではないか?」―これをさらに無茶に自分勝手に推し進めると「人は自分の誕生月の季節は嫌いではないのではないか?」 ―戯言を書いて失礼しました。 では、また。