泰時 三浦志郎 水無川 渉氏評担当記念 10/18
「このドラマって、誰も幸せになってない気がする」
私の先輩がそう言った。大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」についてである。
全く同感であり、正に至言である。ただ、それではあまりに虚し過ぎる。
何処かに幸せに類するようなものはなかったのか? 探そうとした。
かろうじて、それらしいものは 「あった」。たとえば、こんな風に―。
* * *
鎌倉幕府三代執権 北条泰時
父・義時は
悪名の全てを
引き受け まみれ
自己一代で時代と権力に決着をつけ
子にまで引きずる意志は全くなかった
しかし 彼・泰時も
時代の不幸 その匂いを
少しでも嗅いでいるのは
継承者としての作法だろう
重大事件をその眼で学び体で覚え
承久の変を父と共に乗り越える
幕府の確立と共にやって来た
平穏
もちろん泰時の力だろうが
武家として 為政者として
幸せだった
ただ 彼の家庭は幸せ薄く
最初の妻との離縁
(破局でないことは確かだが その他理由全く不明 他家に再嫁)
娘は出産後に死去
次男(時実)は家臣に殺され
長男(時氏)は若くして病死
老境に入ってもなお
残された孫たちを執権にするべく導いた
私人としての泰時が幸せだったのではなく
彼の開いた時代が幸せだったのだろう
その治世に生き死んだ人々は
(悪くない世)と思ったかもしれない
それは ひと世代前に
幸せとは無縁のうちに死んだ
夥しい数の積み重ね
幸せに見放され逝った人々の
願いが集ったのかもしれない
もちろん呼び寄せたのは泰時である
平穏が続いたが それは
歴史の中での束の間
鎌倉という病の小康
和と乱を繰り返しつつ
幕府は繁栄と滅亡の
軌跡を刻んでいく
* * *
北条泰時。 歴史の教科書では常に太字で登場し常に「御成敗式目」と
セットで語られる。日本史屈指の名宰相とされる。彼の墓が現存して
いる。しかも私の家から自転車で五分の距離。その墓のことを知ったの
はいつだったか、行ったのはいつだったかは、もう忘れてしまった……。
その栄光とは違い、ひっそりとして素朴な墓なのだけは憶えている。
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ご無沙汰を致しました。ヘンな詩ですみません。
軽くコメント頂ければ、幸いに存じます。