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スレッドNo.896

感想と評 10/21~10/24 ご投稿分 三浦志郎  10/28

都合により、お先に失礼致します。


1 cofumiさん 「鏡」 10/21

鏡というのも詩になりますよねー。鏡を見ることは自分を見ることなので、ひとつのバロメーターになるでしょう。いい発想です。これは鏡の独白という形を取った、(詩の上での)今の自己周辺です。擬人化という点では、ありがちな範疇ですが、これ、おもしろいと思います。他の読み手さん用に書くと「君=自分」 「僕=鏡」。ここまで書いて来て思い出したんだけど、自分のことを「私」と書かず、全て「あなた」で押し通した小説がありました。感覚としてはそれに近い。プラス、ここでは鏡が介在しているのが、その小説より興味深いのです。この人は今意気消沈しているようですが、鏡はいい時も知っている。だからこそ「不幸じゃなくて幸せを味わっている」「幸せの味は甘さも酸っぱさも辛さもある」という主旨の励ましと言えるのでしょう。いい鏡をお持ちです。この詩は終連が一番良いです。「歯が好き」「歯を見せてくれ」は、すなわち「笑顔を見せてくれ」の励ましでしょう。もしかするとこの詩は終連のためにあるのかもしれない。(ガンバレ、俺)みたいな詩でしょう。
読んでいて、どんな鏡かが割と気になりました。ずっと昔からあるようだし、洗面所にあるようなものか、行動も見ているようなので、姿見のような大きな物か?などです。もうひとつ印象深いのは、”鏡と一生付き合う”女性でなく、この詩は男性である点、けっこう肝かもしれない。佳作を。

アフターアワーズ。
この詩で歯が出て来るのはおもしろいです。大昔「芸能人は歯がいのち!」ってCMがあったけど、なるほど、顔のパーツで眼の次に大事なのは案外、歯かもしれない。僕自身は、鏡は、とんと見ませんねえ。


2 妻咲邦香さん 「ダメージジーンズ」 10/21

わかる部分から書きます。「好きだと言うよ」以降です。ここは明らかに相手のいることですね。ここは額面通りに読んで行っていいでしょう。終連は、ここだけは反語的心情があるように思われます。
逆の心理が隠されているような。
日本語「いかした=憎い、特に仲の良い友人=悪友」  英語「凄くいい=BAD」 みたいな―。
問題はその前なんです。 まず「ダメージジーンズ」をイメージしてみます。
「長年はき古してくたびれたもの、擦り切れたり傷ついたり穴が空いたり」
でも手放せない。逆にそれが愛着になったり、自分の履歴になったり、積極的にお洒落の要素になる場合がジーンズにはあって、けっこう若者はそういうのを楽しんでる。それを自分の持つ何かとダブルイメージしているのではないか?わずかにそんな推測は成り立ちそうですが、よくはわかりません。以前だと何がしかの手掛かりがあるんですが、今回は見つからない。心地よいわからなさとも違う気がします。従って評価はパスさせてください。


3 麻月更紗さん 「秋の嵐」 10/22

少女趣味的なことを書いてしまうと、夜を込めて降った雨があがった早朝、その匂いのようなものが僕は好きなんです(昔、資生堂のCMにそんな雰囲気のものがあって、それ以来かもしれない)。この初連によって、僕の好みは満たされたような気がしています。「物干し竿に水滴」―このデティールが、またいいじゃありませんか。嵐が過ぎ去ったのを境にめっきり秋めいた、というのはけっこう世間でも感知されるのですが、この詩は文によって、それを感じさせてくれます。この詩を少し深読みするならば、台風が置き去って行ったもの、連れ去っていったもの、といったところでしょうか。
きれいで静かな詩なんですが、僕自身はちょっと物足りなさも感じたわけです。前述「物干し~」云々のようなアイテムが後半にもうひとつくらいあってもいい気がするし、終連の気分も軽く掘り下げてもいいかも。そんなわけで、佳作僅かに半歩前で。


4 エイジさん 「ガットギターの孤独」 10/22

佳作です。小サイズながら、その中で二人は大変良いものを共有している。それが詩文に乗って
味わい深く表現されました。いつもより一歩深いです。ぜひこのフィーリングをキープテンポしてください。端的に言うと、孤独のありようで、それはそれぞれの孤独であるわけですが、生ギターの音色で埋め合わせていく。それは癒しにも近づきそうです。ここにあるのは「弾くことによって埋める」と「聴くことによって埋める」のふたつの心の作用です。音楽の究極と言えます。それが収束としての終連でしょう。どういった音色かも、おのずと想像がつくような雰囲気です。「包むがいい(~~するがいい のパターン)―この表現、ニュアンス、いいですね。「ガットギター」という名称は久しぶりに聞いて新鮮でした。この詩の場面・表情は、ノンフィクションに近いのかもしれない。
「君」は製作者であり演奏者。

アフターアワーズ。
調べたことを書きます。ガット(GUT)はもともと羊や豚の腸から作った糸だそうです。現在は概ねナイロン弦が主流のようです。スチール絃より暖かみのある音がしますよね。この詩を読んで思い出したのはTVドキュメンタリーで小さな生ギター工房を取材したものでした。そこの主人も制作者兼演奏者でした。場所は失念。長野県だったか?あの辺りは空気澄んでるから木工楽器にはいいのかもしれない。個人趣味で言うと、ガットギターでシンプルなボサノヴァでも聴きたいですね(小野リサあたりか?)。


5 荻座利守さん 「張りぼての牛」 10/23

「取りつく島がない」とはよく使う慣用句ですが、この詩には「張りぼての牛」という取りつく島がある。
何が言いたいかというと、タイトルの牛という具体的なーあるいは形而下的な―取りつく島(対象)をはっきりと設けるのは荻座さんにおいて、やや珍しいと思ったからです。もうひとつは、タイトルにある牛のことです。実際に街中で見たのでしょうね。焼肉屋さんでもあったのかな?普通の人は「何だ、あれ、間抜けだなあ~」で通り過ぎることでしょう。その種のものを“島”にすることによって、詩上、気高いレベルの思想にまで持ち上げてしまう。ここに荻座さんの持つ詩的マジックがあるでしょう。
ここで詩と対象を仲介するのは「つくも神」。はい、これも調べました。簡単に言うと年月を経た道具に宿る精霊、とありました。この概念がこの詩の核になります。牛を起点として人と物の普遍へと迫ろうとしています。それが荻座さんにしてはショートサイズの中で行われている事に意義がある。結局、こういった概念は人が物に込めた愛情を幻想の上に具現化したもので、たとえば一流職人が入魂して造った物品など、そんな気配に溢れています。この詩はそういった風情が失われていく現在を嘆いているのか、それとも科学的にそんなものはそもそも存在しないことを思って悔やんでいるのか、おそらく両方の意味が込められているように思います。人が物を造る行為は責務、矜持、心身の消耗を伴います。いっぽう造られた物は新鮮から老朽へと歩むでしょう。そういった法則も含め、この詩は人・物の関係性や宿命をも示唆しているようです。
このサイズにして、この深み。 佳作を。


6 理蝶さん 「摩耗」 10/24

初評価ながら、現代詩的ながら、これは佳作とします。正直に書きます。初見(ナニ、これ?)と思ったのですが、読んでいくうちに引き込まれる魔力のようなものを感じました。その魔力の在り処を話したいと思います。
まずは、個々に距離感のあるフレーズ(平文では付きようのない言葉)が集合・同居して、解釈を100%伝えず、フィーリングで感じさせつつ、それなりの統一感を醸す(ここではタイトルの摩耗?)。これは、僕が考えるに現代詩の手法と思われます。音楽に喩えると、恐ろしくアクの強い演奏者が5人いて同じ譜面を合奏したとします(超プロが条件)。出て来るサウンドは、えも言えぬ音のうねりであり、ちょっと斜に構えたような不思議な統一感です。そんな感じ。特に2~4連に感じました。ここは身辺事情でしょうか。バラバラなフレーズを連れてきても、何がしかの統一を含みながらの不思議感。以降、言葉の存在が関わってきます。ここでは「こびりつく」という心情性・身体性に注目でしょう。「パブロフ」以降の連では、それぞれエンドのフレーズが強烈的、個性的。センセーショナルと言ってもいい。「夜逃げの邪魔」はもうケッサク以外の何物でもありませんよ。個々にバラバラだけど、タイトルの持つ(すり減らす)のイメージの結果としての心情。そこに危うい統一感がある。そんな風に僕は見てます。この開き直り・ふてぶてしさからユーモアさえ立ち上ってくるフィーリングも見逃せない。語り口調だから、よけい煽られるような―。おもしろかったです。


7 暗沢さん 「しのべるおりのうた」 10/24

正直に書くと、よくわかりません。おそらく原因は僕の古格表現の素養の無さにあると思っています。言葉をけっこう調べました。タイトルを漢字表記すると「忍べる折りの歌」―これで合ってますかね?
まず冒頭の2行、ここで感知されるのは、何か古典的な祭礼に用いられる面を造っているような―。
それを頼りに読んでいくことにしました。その面(?)に何か刺繡のようなものを施すかのようです。
さて、祭りらしい。しかも、この詩文から察するに相当、歴史的、土俗的、格式あるもののようです。
せっかく書かれたのですが、後はわかりません。それを造るにあたっての情景的・心情的な修飾句が多いと想像されます。ちょっと気になるのは7連の「いたっけ」と12連、それ以降最後まで散見される、ややくだけた語り口と、基調をなす古風格調ある文体が混在するのが不思議でした。
それと「ぼく」「私」「彼等」の使い分けが不明な気がします。わからないながらも、その点だけ指摘になるような気がします。冒頭の理由により、評価はパスさせてください。

アフターアワーズ。
古語の使い手として驚くばかりですが、その必然性は措くとして、古文の先生などをイメージしました。こういう分野を研究されているのでしょうね。難解漢字を使いながらも、タイトルはオールひらがななのが、ちょっとおもしろいです。


8 朝霧綾めさん 「きゅうりの詩」 10/24

以前、「詩にもっと食物を!」みたいなことを書いてみたのですが、この詩はそのリクエストに正面から応えてくれたようで、僕は嬉しく存じます。3連目まで「ふむ、ふむ」と思って読みました。そうですねえ、野菜のレギュラーメンバー。3連は事実なんですが、上2連を読むと「なぜだろう?」という気持ちは起こってくるわけです。ポイント衝いてます。思うに、和・洋・中華で脇役、漬物で主役。殆どの料理に参加できる強みが大きいんじゃないかと思うのです。この詩はきゅうりのことを真面目に考える契機にもなるでしょう。さて、これをさらに引き立てるには、例えばきゅうりの特性を掴んで、シャレとまでは行かずとも、何かウイットやユーモアがあると楽しいと思いました。それこそが「おもしろまじめ」の神髄でございます。そういう方向性もアリということで、参考までに。 佳作一歩前で。

アフターアワーズ。
ヒント的引用です。まどみちおさんの詩です。

「するめいか」
とうとう
やじるしになって
きいている
うみは
あちらですかと…

僕、この詩を読んだ時、笑いながら「まいった!畏れ入りました!」と思ったことでした。


9 さくたともみさん 「庭」 10/24  

ご存じかもしれませんが、「野趣」(やしゅ)という言葉があります。女性とか若い人はあまり使わない気がしますが。試みに調べると……
「自然のおもむき。野山や田舎に漂う素朴な味わい」とあります。もちろん肯定的に使われます。
出ていた用例 「野趣に富む庭」。正にこの詩でアタリです。
初見、一読。この詩は正にこの言葉ではないか、と思ったしだいです。前作の向日葵の詩と同様、散文的雰囲気と、それに見合ったような長さのフレーズもあり、そこから醸し出されるのは、ゆっくりとした映像と時間の流れです。
実際に観た親族の庭なのでしょう。視点は屋内の窓辺あたりが推測されます。あたかも窓枠を額縁とした風景画のような構図の詩です。おそらく「無造作」という方法が、たまたま良い方向に働いた結果の庭かもしれない。そういった各種アイテムの出し方もいい。「~な庭ではなかった」としながらも、最後、晴れ晴れと「美しかった」としたのは自信さえ窺えます。ある意味「野趣」の別名でしょう。 今回、初めて評価を書きますが、余力見て佳作一歩前で。

アフターアワーズ。
何の根拠も無いのですが、今回の作とお名前「さくた」が妙に似合っている気がしました。



評のおわりに。

いや、寒い!今年はいつもより寒い気がする。暖房つけるのがいつもより早い気がする。
いまやってる「朝ドラ」、ヒコーキ系と詩系がネタ。ミウラ好きかも? では、また。

編集・削除(編集済: 2022年10月28日 15:02)

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