10/25〜10/27までにご投稿分の評と感想です。 井嶋りゅう
大変お待たせいたしました。
10/25〜10/27までにご投稿分の評と感想です。
なお、アドバイス等が合わないとお感じのさいは、スルーしていただけると助かります。
宜しくお願いいたします。
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「ねえ また一緒に詩を書こうよ」紫陽花さん
紫陽花さんこんばんは。
この詩はとても正直で、とても大切な詩ですね。
実は私にもかつてそういう友人がいました。中学の同級生でした。友人は家族一家で入っていまして、勧誘などはされませんでしたが、その宗教の事務局のようなところへ友人が就職してからなかなか連絡をとることができなくなりました。それでも何回かは会ったのですが、毎回友人は幸せそうでネガティブな言葉のひとつも出てこなくて、いつも前向きな言葉をかけられて、私の悩み事に対して、相手に悪意はないのだから心配ない大丈夫大丈夫と言ってずっと笑っていました。私を傷つけるようなことは一切言わず、いつも早めに帰宅する友人(彼女は兄妹と住んでいました)でした。友人に対して中学のころには感じなかった違和感を、大人になってから感じ始めたのですが、では具体的にどんな違和感なのかということを誰にも説明出来ず、感覚だけがありました。この詩の後半にAIという例えが出てきますが、まさにそうかも!と私も思い出したのです。本物そっくりの作り物のような、感情が抜け落ちて替わりにポジティブ用語を搭載されているような、話を聞いてないというより嘘くさい明るさ、そんな違和感であったと。宗教に入ることの善悪や幸不幸は私にはわかりませんが、最後に、詩を書いていた時期のある友人であったことが書かれていますよね。救いというものは人によって違うと思いますが、友人にとっての救いは宗教であったのでしょうね。そのように考えると、私も、もしかしたら紫陽花さんも、詩に救われているのかもしれません。求めたものが違っただけなのかもしれませんね。評という評にはなっていませんが、今回は判定が難しいテーマでありました。ごめんなさいね、評価は保留とさせて下さい。また次回読ませてくださいね。
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「はたち」樺里ゆうさん
樺里ゆうさんこんばんは。
コメントにあるエラーの件、了解済みです。
ほんとうのほんとうにどんづまりになった時のためのお守りは煙草だったんですね。作中のなかに「二十歳」「二本」「二度と」「二年」と、偶然かもしれませんが、「二」が溢れていました。二十歳から二年なので、いまは二十二歳という勘定になりますかね。たった二年、と作中にありますが、この頃の二年というのは、別人になるに足る年頃だと思うのです。樺里さんがおっしゃるように、過去の自分が他人のように感じることも、それが良いことなのか悪いことなのかわからないことも、感じる年頃なのだと思いました。とてもリアルに読みました。
ところで話は脱線しますが。私は喫煙者なのですが、あまりに体調が悪い時、煙草は吸えないんですよ。つまり、精神的におちた時は吸って、肉体的におちた時は吸えない、という図式が私の中にうまれたんです。煙草はある意味健康な体でないと吸えないのだな、と矛盾するようですが思いました。
話は戻りますが、二本の喫煙で終われたことは良かったことと思いました。お守りが「これは美味しくないぞ」と教えてストップをかけてくれたようにも感じられますし、そもそも凛とした精神の持ち主にも思えますし、もしかしたら哲学的な思考のかたなのかもしれません。お守りがあると思うことで最悪な状況を変えられるということは、実際にあると思いました。良い詩でした。
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「寂寥」エイジさん
エイジさんこんばんは。
コメントにあるエラーの件、了解済みです。
はい、とても良い詩でした。佳作ですね。
今回はちょっと細かいところのお話をしましょうか。
一連目の「嫌なこと」がかぶってるんですね。ここは「今日あった嫌なこと」を生かすほうが断然いいので、4行目は「その日あった出来事に」としてみませんか?
3連目の「見えない棺に閉じ込められる」→「見えない棺に閉じ込められる想像をする」でいかがでしょうか。
4連目「ふらふらになった体で」→「眠れない身体で」でどうでしょう。
5連目「ひと時の解放感に浸り 僕はこう呟いた」ここですが、こう呟いた、だと勿体ぶる感じが出るような気がするんですよ。それよりも、すっと、何でもないかのようにラストへ行った方が印象に残るような気がしますので、「ひと時の解放感に浸る」で切ってしまってもよいと思いました。そして、ラスト1行の鉤括弧は外してもかまわないと思います。
上記の指摘部分はあくまで私の詩的感覚なんですが、次の行へ読み進める際の私にとっての微妙なつっかかりを少しでもなくしたい、という私からのアドバイスです。採用するかどうかはエイジさんにお任せいたしますが、私の感覚は伝えておきますね。
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「秋夜の虫達」小林大鬼さん
小林大鬼さんこんばんは。
タイトルにあるように、この詩は虫たちのことを書いたものなのでしょう。私はタイトルを最初にインプットしないたちなので、一読で、産まれたばかりの赤ちゃんをイメージしました。月に見守られてすやすや眠っている赤ちゃんの様子が浮かんできました。最後の「月の音色」なんですが、詩の中では確かに違和感はないのですけど、「月の音色」って具体的には何を指しているのだろう?と、何度か読むうちに疑問が湧いてきました。それは、この詩を虫達のこととして私が読めていなかったからなのだと思いました。タイトルだけではなく作中のなかのどこかに、虫たちを表現する描写がひとつ欲しいところでしたね。そうすることによって、この詩はもう少し「秋夜の虫達」の心情が語られるような詩になるように思いました。少しもったいなかったような気がしました。
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「世界は あくまで 相対的」森山 遼さん
森山 遼さん、初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願いします。
すごいですね。私もこのように理論的に説明できる思考が欲しいと思いました。何でも何となくという感覚で物事を判断する私は、先生の授業を受ける生徒になったような気分で読みました。小さな虫の大きさになった自分を想像して、はあ、なるほど、と思いながら読んでました。詩の中に鉤括弧が多くありまして、逐一その部分を強調して読んでいたので、ほとんどが強調部分であるような錯覚を起こしました。あえてだったのかもしれませんが、ちょっと多かったかもしれませんね。最後、ご自身の悩み?で終わってますが、その悩みもある意味かっこいいのですが、一般的な分かりやすい日常におとしても良かったかもしれませんね。初めてのかたなので、もう少し読んでみたいと思いました。
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「奇跡」cofumiさん
cofumiさんこんばんは。
まずこの詩の鉤括弧はあえて外しても良さそうです。
はい、この詩はとっても良い詩ですね。佳作です。
全部で4連から成り立っている詩ですね。
一連目→「そんな歪みは私達にもあるよね」
二連目→「三つ星レストランよりも/ご飯が美味しく感じるの」
三連目→「人生の味がするんだって」
四連目→「出会えた事って/奇跡だよね」
以上、ざっと拾っただけでも各連に素敵な気付きがあるのがわかります。他にも上記に繋がるまでの流れの中で、とても良いことをおっしゃっていて、それを全部ひっくるめて、瞬間瞬間が奇跡なのだと、素敵に頷ける詩になっていました。奇跡って特別なものだと思われがちですが、例えばいま、私とcofumiさんが出会っていることも奇跡ですよね。私とあの人がこの人がその人が、と思い始めると、本当は奇跡の連続であったのだなあ、と感動します。そう思い出させてくれる、とっても良い素敵な詩でした。
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「寝海」hikikoさん
hikikoさんこんばんは。
「光も音も届かぬこの青の中」とありますので、海の中に沈んでいるのですよね。光も音も届かないのならば、月の輝きなど見えるはずもないので、記憶の中の月明かりなのかもしれません。この詩の中で一番引っかかったのは、「大きな布団に包まれて」ですかね。これが指すものが何なのか分からず、布団の中で眠りにつく手前の幻想的な夢をみているのかな、と思いました。でもそうなると「さようなら」が何だか不穏に響くんですよ。ここまでが私の感想になります。
そこで、折角教えていただいたのでツイッターの解説を読ませていただきました。なるほどですね。これはタイトルを素直に「深海」としたほうが良かったかもしれませんね。「寝」という字だとやっぱり睡眠感が出てしまいますね。解説に書かれてあるようには、なかなか読まれづらいかもしれません。私だけかもしれませんが。この解説がなくてもそのように読んでもらう書き方がベストですので、ここで練習していきましょう。次回からは解説はナシで大丈夫ですよ。詩は読み手の自由だと思っています。
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「鉄塔」山雀詩人さん
山雀詩人さんこんばんは。
「鉄塔」ですか。目の付け所が良いですね!私も実は鉄塔って、気になるんですよ。おっしゃるように、都会のビルもすごいんですけどね、理論さえ分かれば巨大化出来そうな気にはなりますよね、素人判断ですが。でも鉄塔って、建設途中を見たことがなくて、ある日気づいたらそこにどーんと立ってるイメージ。しかも姿形が何だか怖くて、そんなものが幾つもあったら、私は足がすくんでしまいます。この詩は、山雀詩人さんの相変わらず柔らかくてユーモアがあって、ひとりでボケツッコミをやってするすると読ませていく、とてもお上手な詩なんです。四連目から十連目まで鉄塔を面白く広げていって、この広がりの部分から一気にYouTubeという現実に戻ってくる。見事でした。が、今回はここが少し引っかかったんですよ。まず、最終連だけ口調が違うんですね。↓のほうが流れが自然のような気がします。いかがでしょうか?
いや、やっぱりいるかもしれない
だってほら、ぜんぜん気づかなかったけど
山が立っているし
空が立っているし
それから、この最終連が少し弱い気がするんですよ。そこまで腑に落ちない、と言いますか、ストンと落ちないと言いますか。とても惜しいのでした。山雀詩人さんはとてもお上手なので、柔らかさやユーモアは現状維持しながらも、その少し先の落とし所を今よりわずかに深い場所に落とし込めたらもっと良いかなあ、と思いました。実力がお有りなので求めるものも多くなってしまってすみません。今回は佳作半歩前ですね。
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「いつか」ピンボケに気づいた大人さん
ピンボケに気づいた大人さん、初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願いします。
心に沁み入る詩ですね。いつかいつか、って、私は今でも言ってますね。いつかいつかと言ってる限り、いつかは永遠にやってこないのでしょう。そうですね、パンチを受けたように私はハッとしました。いま伝えなければならないことがあったはずなのに、伝えないで来たことの多さを思いだしています。この詩はもしかしたら大好きだった人が結婚してしまう詩でしょうかね?「おめでとう」や「幸せに」という言葉からそのように感じました。まだ今は忘れられないけれど、未来では忘れているはず、という願いも入っているかのようなラスト「いつか、また」はとても切なく響きました。共感されるかたが多くいそうな詩でしたね。良かったです。
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「リアル」大学3年生さん
大学3年生さん、初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願いします。
この詩、わかる気がしますね。一連目は素直に憧れがきらきらと出ていました。二連目では、もしかしたらその憧れに近づきたくて努力をしたり、考え方を変えてみたり、などしたのでしょうか。少し粗探しのような思考に陥り、嫉妬のような感情が出てきましたね。三連目では、いまいる場所からその憧れの背中を眺めている様子が見られますよね。四連目では、もう手が届かない、あるいは自分では出来ないことを悟ったかのような様子で、ふたたび憧れという感情に戻っているように感じました。ただ、一連目と違うのは寂しさのようなものも混ざって、諦めの気持ちも入って、はるか遠くを眺めているような気がしました。何かに憧れ、諦め、再び歩き出す、今度こそ等身大の自分で歩けるように、そんな気持ちも伝わってくるような良い詩でした。
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以上、10名のご投稿者さんでした。
どうもありがとうございました。
もう紅葉も始まり、とっても綺麗な街並みです。
私はこの時期が大好きです。
そう言いながらも、夏の名残が心の中にあって、記憶の夏を歩いているような感覚にもなります。