梅花藻の緑の流れ急くところ
>紫式部ゆかりの石山寺
わたくしの記憶では『紫式部日記』や『源氏物語』の中には石山寺に詣でたという記載はなかったような。紫式部の邸は蘆山寺であり、京都の洛陽三十三所観音霊場の観音巡礼には清水寺や長谷寺はあるが石山寺などない。わたくしの記憶では泉涌寺(せんにゅうじ)の楊貴妃観音が最も美しい。
それに有名な歌人や皇后であれば和泉式部と貴船神社との関りや、清少納言の仕えた一条天皇の中宮藤原定子と六波羅蜜寺、小野小町と隋心院というようにゆかりの神社寺院は歌に残るなり日記に書かれたりして残るはずだが、当時の平安文学の世界には紫式部と石山寺の痕跡は全くないのでは。
誰が紫式部と石山寺のゆかりを言いふらしているのか。まさか坊主どもじゃないよね。よろしいか。昔は天皇すら庶民は知らなかった。応仁の乱で下克上が起こり、食いっぱぐれた宮廷の連中が身過ぎ世過ぎで和歌や源氏物語を庶民に教えたことから「やんごとなき身にはあらねども」というかたがたもおのおのがたも雲上人の世界を知ったわけで、この下克上の応仁の乱を境として銭だ女だ権力だと「金儲けのためなら何でもやる」現代人の歴史へ一直線に繋がる。したがって、紫式部と石山寺のゆかりという一千年を越すゴシップがいつ立ち昇ったのかで真偽はわかります。もしクソ坊主の寺の縁起とか、その縁起が応仁の乱以後であったとしたら、100%真っ赤な坊主丸儲けの嘘っぱちです。
