三才の月が三和土(たたき)に立つてゐる
7月31日発行の「円錐」98号の巻頭は澤好摩生前最後の作品となった「重輓馬(ぢゆうばんば)」十五句である。生前は澤さんから送られて来たので、亡くなられたあとは同人の和久井幹雄さんに頼んで送ってもらった。次号は「澤好摩追悼号」になるのでぴのこさんの分も送ってもらうよう頼んだ。十五句を掲載する。ルビは猫髭(お前は細かすぎると澤さんに怒られそう)。
澤好摩 重輓馬
枯葎猛けたる径の岐れかな
鈴懸の瘤がちの樹に冬芽あり
地吹雪を鼻息荒き重輓馬
踏み堅められたる雪に雪降りぬ
花火師の真黒な掌が雪摑む
醒睡(せいすい)のあはひに落つる白椿 *『新字源』では睡醒だが安楽庵策伝の『醒睡笑』に由ったか。
椿落つ月夜の汀に浮くために
雛あられ色とりどりに味同じ
転車台跡そのままにわすれ霜
ゑんどうの雀と鴉咲き揃ふ
友と友の相知らざるを春霞
源流は笹藪出でぬ春はじめ
知つてゐる町とは違ふ諸葛菜
枕木はいま駅の柵花のなか
銅像の裸形眩しき万愚節
「友と友の相知らざるを春霞」澤さんと飲むときは聖さんも呼んで三人で飲むときが多いのだが、わざわざ東砂から出てきてもらうより自宅近くの亀戸までわたくしが行ったほうが澤さんは足元が怪しくなるまで飲むので心配なので近場がいいと亀戸駅近くの「ふらの」という澤さん行き付けの店で二人で飲むようになった。聖さんは八王子なので遠いし、毎月のように個展を開いて韓国にも行くので忙しいので呼べなかった。この店の麻婆豆腐が滅法うまい、というかわたくしが唯一食えると思った味で、河豚の鰭酒と合うのであるが、珍しく、もうひとり呼んでいいかと聞いてきたので了承して会ったのが「鬣」の澤好摩特集で「澤好摩百句」を選んだ深代響さんだった。澤さんはいろんなことに詳しいのに隠れて生きているわたくしと、二十代からの付き合いで「澤好摩百句」を選んだ深代響さんというふたりのディープなファンである相知らざる友と友に囲まれて飲みたかったのだろう。初対面だったが、お互いに深く澤さんを敬愛しているのが瞬時にわかり澤さんにとっては愉しい一夜になった。澤さんは深代さんに「どうだ、この男面白いだろう」「面白いですねえ」と珍獣を自慢するように上機嫌だった。ふたりで酩酊した澤さんをタクシーに乗せて「また、この三人で飲もうな」と言われて見送ったのが澤さんを見た最後になった。六月五日の夜だった。くしくも一ヶ月後の七月五日の夜にひとりで昔の旧友に米沢まで会いに行って楽しい時間を過ごしてホテルにタクシーで戻り、降りたところで転倒して頭を強打して搬送された。病院ではまだ意識があったそうだが、翌日遅く意識の混濁が始まり、七日朝十時三十五分逝去。「死んだら無だ。あの世なんて無い」と生前もっともなことを言っていたそうだが、まるで小津安二郎のようだ。鎌倉大覚寺の黒御影石の墓にはただ一字「無」とだけ刻まれている。しかし、多くの死を見送ったわたくしに言わせると、残された者の心には思い出として生き続ける。それは残された者が死ねば消える。永遠のものなどないし、永遠は美しくない。滅びるからいとしく美しいのである。
