虫の音を急かす馬鹿たれ鉦叩
病気自慢の話はうんざりするので全くそういった話をせずに面白いことばかりやっているわたくしと話すのが楽しいと高校の同級生が言っていたことがあるが、同窓会(わたくしは懐古趣味だけはないので一切出ない)に出ると誰それが死んだとか持病の話ばかりでうんざりするのでわたくしと話すと今これに凝っててという全く変わらぬディレッタントぶりがほっとするのだろう。だいたい病気自慢と言われてもわたくしは病気したことがないのでこの記録的な猛暑で睾丸がサドルに揉まれて蒸れて毎日メンターム塗ってひいひい走ってるとレベルが違う話になるからちゃらかしていると見られるのが関の山で、いわゆる世捨て人なので同窓会など真っ平御免なすってである。
昨日は河口聖の個展が南越谷でやっていたので丁度お客が定期健診で休みになったので出かけたが、いや遠いのなんの、しかも35℃という猛暑日がぶり返して参った。聖さんは遅刻魔で午後三時までには来るだろうと行ったら画廊の主は早くて四時五時と言われて呆れて二時間近くいて連絡もないし帰ろうとしたら電話があって今銀座だというので自分の都合は棚に上げるこのバカタレである。話もあるというので、しょうがないから駅前の澤さんと行った「海南飯店」という中国人の店で会うことにした。この店はギャラリーの終了後聖さんと澤さんと行く店で普通に美味しい町中華で「いつもの中華屋さん」で通じるので誰も店の名前を知らないが、わたくしは贔屓の横浜中華街の店と同じ名前なので憶えている。
個展は聖さんが澤さんのレクイエム展だと言っていた通り良い作品が並んでいた。ただ70万円と中国の貴州美術館で三点買い上げられた影響か値が上がりとてもわたくしの手が出る絵ではなくなった。葉山の黒崎敏雄画伯も贔屓にして買っていたが六本木の個展では中公文庫の表紙になってから(この絵はわたくしの所蔵だったが作家の達てのお願いで譲ったものだ)50万円を越えていたので手が出なくなった。贔屓の画家が日の目を見るのは嬉しいが手の届かないところに行くことでもある。彼の初期の代表作は何点か持っているので個展をやるときにお借りするかもと言っていたが、最近作を見てみようと思ったら黒崎敏雄追悼展が・・・75歳で2年前に亡くなっていた。ロックンローラーがそうだった。俺が贔屓にすると死んじゃうのか。今後は黙ってよう。
聖さんの話は二回句画展をやったのに「円錐」の同人たちが二人しか来なかったので以前の売れずに残っている作品を再展示して見返したいというもので、わたくしは澤さんの死ですべては無に帰したと思っているので協力は断った。遺句集の話も出ていたが、それは同人たちがやればいいことで出ればわたくしも買うが関わりたくはないので、それぞれのひとたちがそれぞれ偲べばいいことでわたくしには「死ねばすべては無だ。追悼など俺は大嫌いだ」と言っていたのでわたくしはそれでいいと思う。聖さんは澤さんとの付き合いが長かったので自分の思いに踏ん切りがつかないのだろう。だが、それは我になる。
これは堂々巡りになるので困ったが、たまたま聖さんの画友のDaigoさんが顔を出してくれたので面識はあるが話すのは初めてで、この画家が滅法面白く紹興酒三本空けるほど(ほとんどわたくしとDaigoさんで飲んだ)盛り上がって、こんなに饒舌になったのは猫髭さんが面白すぎるからだと言っていたが12月の東京での個展には必ず行くと約束した。
結局荻窪に着いたのは終バスが出た後でタクシーで帰ったが旧暦八月十四日の月はほぼ満月で月の海も見え、ひさびさの月を見上げたが今日が満月十五夜であり、実際は土曜日が完全な満月だが、ずっと天気が悪かったので群雲もない月は美しかった。佳音さんもやっと月が見られたと書いていたが、新月から月が見られない夜が続くのは「よべの月」が始まってから初めてではないか。竹馬の友を亡くし、コロナに罹り、釣り人さんが蓄膿症で激烈な頭痛を惹起するなど、様々なことを月の句だけではなく俳句に詠む佳音さんの手腕にはいつも舌を巻く。わたくしの竹馬の友も亡くなってはや七年経つが彼も若い頃に蓄膿症で手術して治ったが、鼻の骨を切る音が嫌で嫌で堪らなかったと言っていたのを思い出した。
