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スレッドNo.1415

プーさんに抱かれて眠る月の子は

ここのところ原因不明の難病で(だから難病なのだろうが)歩行もままならなくなった患者のガイドヘルパーで多忙で、なかなか俳句脳になれず栄子さんの「百までには死にます」にはドストエフスキーの『地下生活者の手記』を思い出して笑ってしまったが、以前書いた気がするが、「十九世紀の人間は無性格であるべきだ」という現代を予言する有名な言葉の後で、自分は四十だが四十と言えば人間の全生涯だ、大変な老齢だ、それ以上生きるのはみっともないし俗悪で不道徳だ。四十以上生きるのは馬鹿とならずものだけだとこの世の老人どもに言っていい権利が自分にはある。なぜなら自分は六十以上生きるからだ、いや七十以上、八十以上生きるからだ。はあはあぜいぜいと息切れを起こす話で、栄子さんはそれにこたえてさらりと「百までには死にます」と言い放ったわけでアッパレ。(*^▽^*)ゞ。

ところで、この『地下生活者の手記』はもう五十年以上前に新潮文庫で読んだのだが腹を抱えて笑った記憶があり、ドストエフスキーの全集は米川正夫訳(河出書房)と小沼文彦訳(筑摩書房)を持っていたが金に困りどっちも売ってしまったので記憶で書いているが、なんと青空文庫で出ているのでそれを写すと、

【わたしはいま四十だが、しかし、四十年といえば、これはもう人間の全生涯だ。それこそもう大変な老齢である。四十年以上も生き延びるのは無作法だ、卑劣だ、不道徳だ! いったいだれが四十以上も生きている? 正直に誠実に答えてみたまえ。では、わたしがそれに答えよう。馬鹿とやくざ者が四十以上も生きるのだ。わたしはありったけの老人どもに、面とむかってそういってやる。世の尊敬を受けている、鬢髪に霜をおいた、芳香馥郁たる老人どもにいってやる! 世間のやつら一同に、面とむかっていってやる! わたしはこういう権利をもっているのだ。なぜなら、わたし自身、六十まで生き延びるからだ。七十までも生き通すからだ! 八十までも生きつづけるからだ!……ちょっと待ってくれたまえ! まず息をつがせてもらおう……】(米川正夫訳)

なので、まずまず覚えているほうだろう。というかこういうしょもない記憶がびっしりありとあらゆる趣味の中で折に触れてぴょこぴょこでるところが雑学の帝王と呼ばれる所以なのだろう。

それでまた思い出したが、猫髭さんの気に入る俳句って今の言葉で云うと「劇場型」なんじゃないのかと言われたことがある。いわゆる物語性があるということなのだろう。それは一流の俳句じゃなくて二流の俳句の作り方ではとも。わたくしの雑学の記憶が二流の俳句を激賞する傾向にある?俳句を一流二流三流と分ける見方があるなど考えもしなかったので少し驚いた。わたくしは作者ではなく作品が喜ぶような感賞を心掛けているが、一流とかA級B級という言われ方をするとわたくしは一流とかA級とかは言われて見れば興味がない。理由は単純でそれは評価が定まったものでわたくしが発見した評価ではないからである。誰も評価していない無名の作品に感動して感賞することに発見という愛着がある。古典は温故知新の面白さがあるが、句会で特選にするのは無名の作品に素晴らしさを認めて感賞するという自分が発見する喜びがあるからで、鑑賞がひとそれぞれなのは当たり前なので自分の感賞によって俳句が羽ばたき、採らなかった者たちや作者さえもが採りそこなった読みそこなったと慙愧の念を覚えるほどの作品なのだと感賞するところに読む楽しみがある。作者の意図などぶっ壊して作品が喜こばれるのが句会の醍醐味で、百戦錬磨の主宰が「これは特選に採るしかない」と採らざるを得ない句を詠んでこその俳句である。ジャズでもそうだなあ。A級名盤は確かに素晴らしいがそれはわたくしが評価する前に評価された誰かさんの評価でわたくしではない。B級C級にこそわたくしの聴いて選ぶまだ見ぬ哀愁のメロディとガッツが潜んでいるのである。料理もそうだ。ドレスコードのある店で三つ星シェフの料理はまずい訳はないが毎日は飽きるし財布も持たない。その点いま旬の蕪の味噌汁のうまいこと。葉っぱも微塵切りにして縮緬雑魚と炒めるとこれが酒の肴に飯の付け合わせにうまいのなんの。冬瓜を薄味で煮て干し海老と乾燥椎茸(どんこ)で旨味を添えると、いや滋賀の銘酒「喜長楽 上撰」の合うこと旨いこと。一流とかA級とか野暮の極み。

あ、難病を救う針灸脈診流経絡療法について書こうとして脱線した。いずれ。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年10月09日 13:12)

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