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スレッドNo.1871

銭湯の煙突高し春夕焼

ラスカルのメールが届かなかったのではなく、急逝した俳友にかける言葉がなかったからに過ぎない。「哀悼の辞なぞ俺は大嫌いだ」と澤好摩は言っていた。亡き影庵主かげおさんの句集『こほろぎ』の栞にも書いたが、俳人が俳友の死にかける言葉は生きている時と同じ俳句に対してだけである。フローベールは「ボヴァリー夫人は私だ」と言っていたように俳人=俳句である。だから、わたくしに言えることはスナフキンの俳句の感賞だけである。勿論、二度ほど酒を酌み交わしているからひととなりの記憶はあるが、それはわたくしが死ねば消えるものだ。しかし、作品は違う。わたくしの記憶に残るスナフキンの俳句は二句である。

  泣きながら人は生まれる桜桃忌
  十三夜堰を落ちゆく光かな

この二句は白眉だと思った。しかし、あれから二十年が経っており、わたくしの記憶違いということもあるかと、わたくしが参加していた15年間の「影庵」の膨大な資料を読み直していたのだ。見つけたのは今日の朝である。スナフキンは「影庵」の招待席に「火宅」というタイトルで連作を書いており、それに対してわたくしが「猫髭感賞」として長大な鑑賞文を書いている。

結論から言えば、桜桃忌は二十年の間にわたくしが推敲して元句を微妙に改作した句になっている。十三夜の句はそのままだった。皆さんがどう思うか知らないが、これを読んで、俳人はどう友を思うかのひとつの在り方だと思っていただければそれでいいと思う。


猫髭感賞 スナフキン「火宅」 投稿日 : 2004年11月30日<火>19時47分

火宅とは、『法華経(比喩品第三)』に云う「三界(欲界・色界・無色界、すなわち仏界以外の世界)は安きことなし、猶火宅の如し」に由来する。壇一雄の『火宅』がベストセラーになったので、女出入りを連想する向きが多いが、もともとは「嘘も方便」で衆生を悟りに導く法華七喩の第一「三車火宅」を騙る際、三界を火事の家に喩え、そこから仏の道に入ることを諭す大乗仏教の比喩である。子どもたちが遊びに夢中で家が火事なのに逃げようとしないので、長者(仏)が、出て来たら欲しがっていた羊車・鹿車・牛車を与えようと方便をもって子どもたちを誘い出し火事から救うという話である。誠に嘘も方便だが、子どもたちは最高級の大白牛車(だいびゃくごしゃ)を貰って大喜びするので、偉く元手のかかる方便ではあるが、かように火宅とは、生老病死・憂悲苦悩・愚痴暗蔽の三毒の煩悩に満ちた世界を云うので、何のことは無い、要するにわたしたちの今いる場所を火宅とは云う。
その火宅を表題とする一句はといえば、

  霜の夜の火の気絶えたる火宅かな

で、「霜の夜」と「火の気絶えたる」、「火の気」と「火宅」と、初五中七座五三段重層してツキスギの世界で、ここで女出入りを想定すれば、よほどの揉め事が家庭内にあって家庭内別居、火の気も立たないくらいの冷凍庫を想像して、鑑賞を尻込みさせ、つい「鰯雲人に告ぐべきことならず」(加藤楸邨)の句を三遍唱えたほどだが、三界と取れば、長年顔を突き合わせていれば色々あらあなと、鷹揚に読むことが出来る。ドアを開けたら毎日同じ顔で、これが段々お互いに皺くちゃになるという現代の怪談が結婚だとダウンタウンの松ちゃんは看破したが、ただ、そういう怪談を捻らずに、ナマで俳句に出しているとしたら、俳句は、もともと自分の目で切り取った今を詠む表現である以上、私小説性にツキスギれば、余程の工夫がない限り、それは孤痩な世界に終わり(「人に告ぐべきことならず」)、普遍性を持った表現にはならないと思われる。かといって、かげおさんの指摘するように【「家宅の人」をモチーフにした「作品的世界」】だとすれば、寺山修司のように歌の世界では成功するかもしれないが、写生を心とする俳界では最初から無理があるので、やはり、この連作は実生活に根ざした三界が舞台での工夫を読む連作だろう。修羅場は怖いので(笑)結論から見ると、

  おかえりの声やはらかき良夜かな
  妻よ今しあわせですか秋桜

で、バンカラで鳴らすわしの上下の入歯がエイリアンのようにニョワーッと飛び出すような衝撃の問題作(笑)、なんだよ、銅鑼を鳴らしながら幕を開けて、落ちはオヤジのプチ家出ののろけかよお(笑)。伝説の日産ブルーバードのCM「愛されてますか。奥さん」を思い出し、ついでに佐川満男の「今は幸せかい」も思い出した。どんな顔して詠んでんだろう(笑)。わしには読むだけで、シアワセデスカと発音しようとしても口から出るのは「冷ヤ汗デスカ」になりそうで、

  秋桜倖セソレトモ不倖セ  猫髭

ぐらいまでの韜晦でしか詠めない世界だ。
したがって、スナフキン・ワールドはわたくしには韜晦をもって読む感賞となることを最初にお断りしておく(ペコリ)。

  春愁や眠れるワイン揺り起こす 

これはスナフキンさんがT.S.エリオットの世界を旅した時の句として読むものなり。
April is the cruelest month(四月は残酷な月だ)で始まる『The Wasted Land』(荒地)の「The burial of the Dead」(死者の埋葬)の冒頭に連なる。

  April is the cruelest month, breeding  四月は残酷な月だ、
  Lilacs out of the dead land, mixing リラの花を死の土地から咲かせ、
  Memory and desire, stirring     追憶と欲望を掻き混ぜ、
  Dull roots with spring rain.     鈍い根っこを春の雨で攪拌する。

「春愁や眠れるリラを揺り起こす」と詠めば賊吟となるが句としては季ぶくれるので、そのエリオットへのオマージュがリラの花をワインに置き換えさせる。ヴィンテージ・ワインを揺り起こせば澱が舞い、味は濁る。ワインに旅をさせるなというのはその意味で、静かに熟成させるのがワインであり、しかし、澱を取り、熟成したワインを開花させ、タンニンを円やかにさせるには、眠っているワインを揺り起こす必要があり、それをデキャニングという。飲む前にデキャンターに移して空気に触れさせて開花させてから、ワイングラスで廻して香りを聞き、噛むように味わうとワインはブーケの香りを漂わせる。そのブーケの香りの中に、荒地のリラの香りを嗅ぎ取り、揚げ雲雀囀る春に愁いを舌に結んだのである。さて、リラの香りのワインとはいづちのワイナリーのヴィンテージであろうか。バックに流れるのは無論、ショーソンの名歌曲「リラの花咲くころ」である。誰の聲か。わたくしはドイツの歌姫、クリスティーネ・シェーファーのソプラノを配したい。

  逝く春へひとりで歌う合唱歌

 逝く春と来れば、芭蕉の「行く春を近江のひとと惜しみける」という神品があり、ここは芭蕉へのオマージュとして「逝く春を」と詠んでほしいところ。そういえば、真蹟懐紙に芭蕉は「行く春や」と詠んでいる。こういう改悪の芭蕉は、共に風雅を語るべきものにあらず、と言いたいが、それは座五と付き過ぎるからで、スナフキンさんの場合は、かげおさんが指摘していたように「や」で切っても体言止なので句の姿もよく「へ」よりもツキスギないが、わたくしは「を」のほうがのほほんとして好きである。でも、そういう好き嫌いを抜きにしても、普通は「行く春に」と詠むのではなかろうか。この「に」は傷にならず(中七座五が個性溢れるゆえに)、それが一番すっと入る気がする。

  桜桃忌人は生まれてきては泣く

 この句は真琴さんが記した暖流時代の元句「桜桃忌みな泣きながら生まれ来る」のほうが、「人は」と大上段に繰り出すよりも、太宰治の泣きそうな顔を髣髴とさせて味があると思われた。わたくしは太宰治は選集と全集で二回、文庫で一回、のべ三回読んでいるが、選集、全集とも売り払って未だに手元に置きたい全集の装丁に出逢わない。似合わないのだ、太宰に分厚い全集は。結局高校のときに読んだ選集が一番良かったのかと、死ぬ前にもう一度太宰治の小ぶりな選集を読み直したいと思うている。暖流句は、太宰治の駄々っ子ぶりをよく伝えて、それが普遍性につながり、桜桃忌を詠んだ句では白眉だ。少なくともわたくしが眼にした桜桃忌の句では、この暖流句を越える句には未だ出逢わない。それは「みな泣きながら生まれ来る」の中に太宰治の小説の核心が写生されているからだ。太宰治は泣きながら死んでいった男でもある。見事な桜桃忌の写生句だ。スナフキン推敲句は理に落ちてどこにも太宰治の顔が見えず(バッサリ)。

  十三夜堰を落ちゆく光かな

 ここから原稿三枚である(笑)。「十三夜」という季語は名季語のひとつで、どう詠んでも句になるように出来ているが、それゆえにか佳句は多いが、秀句はかなりの吟味にさらされる。が、スナフキンさんの挙句は、ここにまたひとつ秀句が生まれたと言っていい見事な輝きを持つ。

 中秋の名月(十五夜)は中国伝来だが、「十三夜」は宇多法皇が「無双」と愛でた故事や、醍醐天皇の延喜十九年の観月の宴に由来すると謂われる日本古来の月見であり、十五夜に月見をしたら、必ず「後の月」として「十三夜」も月見をしないと「片月見」として忌まれたことも「十三夜」を今に残した由縁だと思う。十五夜は里芋を供えたため「芋名月」と呼ばれるが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれ、「小麦の名月」と呼ぶ習いもあり、これは翌年の小麦の豊作、凶作を占う信仰が伝承されたもので、古来山桜の開花が豊作を占う信仰で、観賞の対象ではなかったことと相似ている。「十三夜に曇り無し」と、この夜は古来隈なく月光が冴え渡る。今年もそうだった。

 そして、「一葉に十三夜あり後の月」(富安風生)と詠まれたように、「十三夜」と云えば樋口一葉の哀切きわまる短編『十三夜』である。

 『十三夜』の阿關(おせき)は下町育ち、それが上流階級の原田家に器量を見初められて乞われて嫁いで七年、子ができた途端、熱が冷めた夫の二言目には教育のない身、教育のない身と蔑み、太郎の乳母として置いてやるだけだと箸の上げ下げにも下賤を罵る仕打ちに耐え切れず、離縁を決意して一子を婚家に残したまま十三夜にひとり里帰りする。両親は何も知らずに、息子の亥之助が職を得て芳しいのも娘の夫の原田家の御威光だと噂していたので、突然の帰宅を喜ぶ。

 【今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はおよしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、うちで甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すてゝ今夜は昔のお關になつて、みえを構はず豆なり栗なり氣に入つたを喰べて見せてお呉れ】

という母の言葉に十三夜は見事によみがえり、故事来歴を述べるより、一葉が読まれ続ける限り、十三夜を日本人は忘れることは無いだろうと思わせる。やがて、夫の鬼のような仕打ちを涙ながらに語る阿関に、母は、激昂するが、父は子を思い身分違いを耐えよと諭し、阿關も、

【今宵限り關はなくなつて魂一つが彼の子の身を守るのと思ひますれば良人のつらく當る位百年も辛棒出來さうな事、よく御言葉も合點が行きました、もう此樣な事は御聞かせ申しませぬほどに心配をして下さりますなとて拭ふあとから又涙、母親は聲たてゝ何といふ此娘は不仕合と又一しきり大泣きの雨、くもらぬ月も折から淋しくて、うしろの土手の自然ばえを弟の亥之が折て來て、瓶にさしたる薄の穗の招く手振りも哀れなる夜なり。
 實家は上野の新坂下(しんざかした)、駿河臺への路なれば茂れる森の木の下暗佗しけれど、今宵は月もさやかなり。】

と、婚家に戻る人力車を拾えば、ここから『十三夜』のクライマックスが始まる。

【 さやけき月に風のおと添ひて、虫の音たえだえに物がなしき上野へ入りてよりまだ一町もやうやうやうと思ふに、いかにしたるか車夫はぴつたりと轅(かぢ)を止めて、誠に申かねましたが私はこれで御免を願ひます、代は入りませぬからお下りなすつてと突然(だしぬけ)にいはれて、思ひもかけぬ事なれば阿關は胸をどつきりとさせて、こんな淋しい處では代りの車も有るまいではないか、それはお前人困らせといふ物、愚圖らずに行つてお呉れと少しふるへて頼むやうに言へば、成るほど若いお方ではあり此淋しい處へおろされては定めしお困りなさりませう、これは私が惡う御座りました、ではお乘せ申ませう、お供を致しませう、嘸お驚きなさりましたろうとて惡者(わる)らしくもなく提燈を持かゆるに、お關もはじめて胸をなで、心丈夫に車夫の顏を見れば二十五六の色黒く、小男の痩せぎす、あ、月に背けたあの顏が誰れやらで有つた、誰れやらに似て居ると人の名も咽元まで轉がりながら、もしやお前さんはと我知らず聲をかけるに、ゑ、と驚いて振あふぐ男、あれお前さんは彼のお方では無いか、私をよもやお忘れはなさるまいと車より濘(すべ)るやうに下りてつくづくと打まもれば、貴孃(あなた)は齋藤の阿關さん、面目も無い此樣(こん)な姿(なり)で、背後(うしろ)に目が無ければ何の氣もつかずに居ました、夫れでも音聲(ものごゑ)にも心づくべき筈なるに、私は餘程の鈍に成りました】

と、やる気の無い車夫に身を持ち崩していた男はといえば、阿關が昔の恋人、録之助の落魄の姿だった。

【昔の友といふ中にもこれは忘られぬ由縁(ゆかり)のある人、小川町の高坂とて小奇麗な烟草屋の一人息子、今は此樣に色も黒く見られぬ男になつては居れども、世にある頃の唐棧(たうざん)ぞろひに小氣(こき)の利いた前だれがけ、お世辭も上手、愛敬もありて、年の行かぬやうにも無い、父親の居た時よりは却つて店が賑やかなと評判された利口らしい人の、さてもさてもの替り樣、我身が嫁入りの噂聞えそめた頃から、やけ遊びの底ぬけ騷ぎ、高坂の息子は丸で人間が變つたやうな、魔でもさしたか、祟りでもあるか、よもや只事では無いと其頃に聞きしが、今宵見れば如何にも淺ましい身の有樣、木賃泊りに居なさんすやうに成らうとは思ひも寄らぬ、私は此人に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顏を合せるたびに行々は彼の店の彼處へ座つて新聞見ながら商ひするのと思ふても居たれど、量らぬ人に縁の定まり、親々の言ふ事なれば何の異存を入れられやう、烟草やの録さんにはと思へどそれはほんの子供ごゝろ、先方(さき)からも口へ出して言ふた事はなし、此方は猶さら、これは取とまらぬ夢の樣な戀なるを、思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞うと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事には成つたれど、其際までも涙がこぼれて忘れかねた人、私が思ふほどは此人も思ふて、夫れ故の身の破滅かも知れぬ物を、我が此樣な丸髷などに、取濟したる樣な姿をいかばかり面にくゝ思はれるであらう、夢さらさうした樂しらしい身ではなけれどもと阿關は振かへつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顏つき、時たま逢ひし阿關に向つて左のみは嬉しき樣子も見えざりき。】

この、【夢の樣な戀なるを、思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞うと心を定めて】と、この連綿として叩きつけるような情緒が一葉の真骨頂であり、【思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞う】という言葉にならぬ叫びは、一葉の小説の師、半井桃水(なからいとうすい)への恋心も重ねて秘めて哀れを極める。

 そして、別れが来る。

【 廣小路に出れば車もあり、阿關は紙入れより紙幣いくらか取出して小菊の紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失禮なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は澤山(たんと)あるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、隨分からだを厭ふて煩らはぬ樣に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、蔭ながら私も祈ります、何うぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります處を見せて下され、左樣ならばと挨拶すれば録之助は紙づゝみを頂いて、お辭儀申す筈なれど貴孃のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人(それ)は東へ、此人(これ)は南へ、大路の柳月のかげに靡(なび)いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。】

悲恋というには余りにも無残だが、無残なるがゆえに、そしてそれが明治という時代を生きた一葉の人生だったがゆえに、一度読めば一葉の毅然とした肉声が、【思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞う】と響き渡る。

留意していただきたい。この名編の主人公の名前は阿關、すなわち「せき」という。

    十三夜堰を落ちゆく光かな

この句の、月光が、次から次から次から次からきらめきながら落ちゆく場所は、川でも簗でも滝でも瀬戸でもなく、堰でなければならなかったのはそのためだ。
無意識の偶然が生み出した美しさかもしれないが、そうだとしたら、その偶然の奇跡が、この句の美しさでもある。

 終わり(ペコリ)。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年03月05日 14:51)

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