なかんづくおでんの締めのゆで卵
良寛の「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候死ぬる時節には死ぬがよく候」を含む山田杜皐(とこう)宛の見舞い状の和歌を含むオリジナル全文は『定本 良寛全集 第三巻』書簡集 法華転・法華讃(中央公論新社、2007年3月20日初版発行)によれば、
地しんは信に大變に候 野僧草庵ハ何事なく親るい中死人もなくめで度存候
うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ
しかし災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ
挿入歌の「はびしさ」は「わびしさ」の誤字で、同じ日に、同一の歌を記した阿倍定珍(さだよし)への見舞い状には「わびしさ」と直してある。手紙の日付は臘八と日付があるので、臘月八日、十二月八日のことで、文政十一年(1828)戊子十一月十二日、栄町(新潟県三条市)を中心に起きた地震で、山田杜皐の住んでいた与板の被害は全壊家屋264軒、焼失家屋18軒、死者34人、負傷者118人、死馬7頭の、かなり大きな地震だった。しかし、良寛の住んでいる島崎(長岡市)は、1軒の全壊家屋もなかった由とある。「災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候」は阿倍定珍への書状にはないので、山田杜皐から子を亡くした一報を受けて書いたものである。良寛71歳、杜皐55歳の時で、「是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候」という言葉は死に対する心構えとして達観しているなと思ったが、子を災害で亡くした逆縁の父親に送った見舞い状の一節と知った時には、わたくしも二人の娘がいるからクソ坊主と思ったものだが、仏教の四苦八苦から逃れる四諦(したい)という悟りへの道を良寛がわかりやすく説いたというのが実情だろう。わたくしは親が子の死を弔うなど、実際に身近で体験するとこれ以上の親としての哀しみはないと感じる。
写真は相変わらずのおでん三昧。顔面神経麻痺は少しづつ見た目がひよっとこから嘲笑に替わって来て、首と腰のホカロンも効いているようだ。一昨日今日と凄まじい北風で、坂道で風にあおられ転倒したり、横風に電信柱にぶつけたりと、さすがに骨折もむべなるかなだったが、何と擦り剝けただけで、多分無意識のうちに柔道の受け身を取っていたのだろう。これは超人かと思ったりもしたが、高校生の時に柔道部だったので体が自然と受け身を取って頭をカバーしている。若い頃に体で覚えたことって凄いなあ。(*^▽^*)ゞ
