けふよりは秋のをはりの霖(ながめ)かな
昨日は確か30℃の夏日だと思ったが今日は十時過ぎから雨になり一日雨合羽で、目の不自由なお客の希望で南瓜の煮物を作ったがフライパンしかないので緑の皮を下にして出汁をひたひたにし中火で蓋をして蒸し煮で味が滲みこむまで冷まして、ついでに茄子の味噌汁と、作りすぎて伸びた素麺が冷蔵庫にあったので、豚肉とあり合せの野菜と茸を「麺つゆ」で味付けして炒めて素麺もからめて炒めて鰹節をかけて肉野菜焼き素麺の三点セットを作った。わたくしは焼きうどん、ならぬ焼き素麺を食う気はしないが(笑)お客はおいしい、こんなの初めてと喜んでいた。わたくしも作るのは初めてだよ。(*^▽^*)ゞ。
昼前に社福協へ9月の報告書を届ける。雨の中わざわざお越しいただきと全員出てくるので仰々しいと思ったが、報告書を郵送ではなく切手代と封筒がもったいないからと十年間足達しているのはあなただけで、もうわたくしが彼らより古株なので職員の新人教育はみな猫髭さんにお客とどう接するかを教わっているとのことで、先生扱いらしい。それだけノウハウあるのに会社興さないのが不思議なくらいと係長に言われたので「だって現場の方が楽しいじゃない」と言ってから、そう言えばこれまでの仕事は全部そうだったなと気づいた。わたくしの部下は社長になるがわたくしは現場一筋だった。わたくしは会社という組織には「和して同ぜず」という脇役(supporting actor)であり続けている。社長とか主宰とかトップに立つのが厭なのだ。わたくしが楽しみなのは自分の時間で自分の好きなことをすることなので、それに対してなんぴとも口出し出来ない仕事をしているだけで、仕事でトップの地位に立つ事ではない。お客から絶大な信用を得ているスペシャリストを会社は無碍に扱うことは出来ないためだ。
こういう生き方をわたくしは詩人の鮎川信夫の『戦中手記』(思想社、1965年)で学んだ。もう絶版になっているし、十代で読んだので浅い読み方かも知れないが、地獄の軍隊の中での彼の生き方はわたくしには唯一の光だった。戦争にも軍にも反対だった詩人はどのようにして地獄を生きたか。従軍すると暴力は日常茶飯事の虐待で過酷だが体験した老人は(学費稼ぎで原宿の韓国料理屋の皿洗いをしていた時の先輩)あの精神棒で殴られ続けているとある時からそれが精神注入で殴られることが快感に変わって来るんですよと聴いて、「奴隷」の快楽とはこれかと不気味なリアリティを感じた。わたくしは大學を卒業すれば家業を三代目として継がなければならない定めが待っているが社長という「王」になることには抵抗があった。「王」にも「奴隷」にもならずに済む生き方とは何だろうという暗中模索に鮎川信夫の『戦中手記』を読んでこれだと思った。鮎川信夫は地獄の責め苦の中で生き残るには何か一つでもいいから飛び抜けた力を持つしか無いと思い射撃を選んだ。連日の拷問に等しい虐待の中で射撃に特化した彼の必死さはやがて上官の認めるところになり、やがて部隊対抗の射撃大会で結果を出すと部隊の誇り連隊の誇りとして虐待はなくなり一目置かれる兵隊になる。勿論戦場には行かなければならないので異国での死は免れないが「奴隷」は抜け出した。こうして優秀な狙撃者(sniper)としてスマトラ島へ出征し、現地でマラリアや結核を発症し傷病者として帰還して終戦を迎える。
しかし、戦時中ではない場合にスナイパーに匹敵する立ち位置とは何だろう。わたくしは「哲学」を選んだ。「王」に「奴隷」にもならずに「王」からも「奴隷」からも必要とされるが権力や富裕には縁がないため敵対せずにどちらとも対等に対峙出来る存在になる道を歩けばいい。こうして猫髭という溶接や板金といった職人としての技巧もありIT関連の技術もあり技術系には出来ない突拍子も無いアイディアで開発を推進し、お客の信頼は絶大で海外のヴェンチャー企業のパイプも太く、取締役会には逆らうが部下の信頼も篤く「敵に回すと怖いが味方に回したらもっと怖い」、生命体には人間と動物と猫髭がいると呼ばれるようになったとです。
鮎川信夫の詩集も評論も全作品読んで持っていますが、鮎川信夫はプライベートは一切秘していたので、甥っ子の家で子どもたちとマリオブラザースのゲームをしている最中に脳溢血で倒れ66歳で亡くなり、葬儀で妻が名乗り出た時、誰も妻帯していたことすら知らなかったので驚いたそうです。わたくしも娘たちと「ゼルダの伝説」ゲームをやりながら逝っちゃいたいなあ、って、どっからこんな話になったんだ。(*^▽^*)ゞ。
そうそう、明日から雨が続いて最低温度が12℃で最高温度14℃の秋本番になるそうな。えええっ、夏服しかないぞお!!!
写真はピーマンが百円で山ほど変えたのでピーマンの醤油炒め胡麻和え鰹節かけ。
BGMはちあきなおみの「帰れないんだよ」。
上京する時に集団就職で上京する高校時代仲が良かった根本君と出て来たが、彼は就職した工員たちの荒んだ境遇の毒にあたって前途に希望をなくしてぐれて行って会わなくなってしまって、それっきりになった。
中学校にも行けず、高校にも行けなかった小学校時代の赤貧の友だちは大きくなって工務店を興したり、大工になって、板金工のわたくしに会いに来てくれて、わたくしが、おお、本間君、及川君じゃあないかと元気かあと物凄く再会を喜んでくれたので、母に何の偏見も無く小学校の頃と同じように接してくれて嬉しかったと言ったそうだ。このちあきなおみの歌を聞くと、初めて上京した頃を思い出す。それにしても恐ろしく歌がうまい。
