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スレッドNo.392

秋天へ板張立てゝ悉皆屋

>好きなものを身に着けるのは、着る薬
>衝動買いの尻拭い屋

昔々わたくしが子どもの頃には洗い張りの板張りを立てかけた悉皆屋(しっかいや)が那珂湊にも県庁所在地の水戸にも見られましたが、あれは昭和の風景なのかもう見かけなくなりましたが、お吟さんの文章や俳句を見ているとまざまざと思い出します。以前も書いたと思いますが船橋聖一の『悉皆屋康吉』はわたくしが『好きな女の胸飾り』と並んで愛して止まない船橋聖一の名作で、『好きな女の胸飾り』は谷崎潤一郎賞を受けましたが谷崎潤一郎が生存中は大谷崎に匹敵する文豪として船橋聖一が並び立つ存在で、二人亡き今となって述懐すると、大谷崎と三島由紀夫が言ったように(谷崎は弟の精二も作家だったのでまぎらわしいので大小で分けていたのを三島が尊称と勘違いしておおたにざきと呼べということになった)ノーベル賞をとった川端康成など比べ物にならない桁違いの大きさを持った文豪であることは認めても、愛読という意味ではわたくしは船橋聖一の『悉皆屋康吉』や『好きな女の胸飾り』や川端康成の『片腕』のように耽読して溺愛しているようには大谷崎の小説はほとんど無いというのに気づいた。再読したのは『陰翳礼讃』『文章読本』『潤一郎新々訳源氏物語』といった随筆や現代語訳で、小説は母恋物の『少将滋幹の母』と驚倒の美食譚『美食倶楽部』くらいであとは一度読んでゲップしたという谷崎臭が合わなかったようで、多分に谷崎と佐藤春夫の「細君譲渡事件」がわたくしの「家族は信仰である」という潔癖症の癇に障ったのだろう。わたくしは家族を蔑(ないがし)ろにする輩(やから)を人間とは認めていないので、徹底した作品主義で実生活と断絶して読むのはそういう人間以下の魑魅魍魎が跋扈しているからで家族を哀しませる者は即刻無期懲役なので、谷崎のように小説より事件が際立つ作家は敬遠してしまうので、「作品が作家の顔である」という小林秀雄の論で行っているが、蕎麦食いの通が死ぬときに汁を一杯浸けて食いたかったと言った様に一度くらい浮気してみたかったと言うかというと絶対ないないないないと娘たちがジェスチャー混じりで首振ったり手を振ったり繰り返すほどの石部金吉だそうな。お父ちゃん結構もてるのになあ。そう言えばカミサンも「浮気出来るもんならやってみなはれ」と言い放って鼻で笑ってたなあ・・・ああ、つまんねえことまで思い出した。なに話してたっけ。

そうそう船橋聖一の『悉皆屋康吉』でした。実はこの小説の舞台に疎開先に茨城の水戸界隈や、何と実家のそばの那珂湊と大洗の祝町を結ぶ渡し舟のシーンなどが出て来て実にわたくしにとっては渡し舟に寄せる川浪の音すら聴こえる名小説なのだということを言いたかったので、つい洗い張りの風景を詠んだのでした。

ああ、芋がらの味噌汁は昭和の味だなあ。しみじみうまし。(*^▽^*)ゞ。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年11月06日 11:54)

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