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スレッドNo.422

白姫の吐息は比叡颪とぞ

春の佐保姫、夏の筒姫、秋の竜田姫、冬の宇津田姫は『古事記』にはなく中国の陰陽五行説の「春=東=青龍(木)=青」「夏=南=朱夏(火)=赤」「秋=西=白虎(金)=白」「冬=北=玄武(水)=黒」そして東西南北の交わる中央が土(黄)から来ています。奈良の都の平城京は「元明天皇の和銅3年(710)藤原京から遷都し、桓武天皇の延暦3年(784)長岡京に遷都するまでの間の都。現在の奈良市市街から西南方にあたる。東西約4.3キロ、南北約4.8キロ。唐の都長安をモデルとしたもので、中央を南北に走る朱雀大路 (すざくおおじ) によって左京・右京に二分し、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画した。」(大辞泉)で、奈良の東の佐保山から佐保姫、西の竜田山から竜田姫と呼ばれ、夏の筒姫、冬の宇津田姫も当時の南北の地名に由来すると思われますが、夏は暑いし冬は寒いというエアコンのない時代ですから春と秋の人心地つく季節が歌詠みの対象となったのでしょうとエアコンがお呼びで無いという夏の蒸し暑さと冬の底冷えを味わって二度と夏冬には行きたく無いと言う思いをしたわたくしには筒姫と宇津田姫(元は黒姫と呼ばれ雪から白姫とも呼ばれる)は人気がなかったのでしょう。宇津田姫と筒姫に至っては辞書にも載っていませんし、うつ田姫は例句もありますが、どういうわけか筒姫は歳時記にも載っていません。可哀想な筒姫ちゃん。誰か詠んでやれよ。
ちなみに中国では春は青帝、夏は炎帝、秋は白帝、冬は黒帝と男ばかりだが逆にこちらは夏の炎帝と冬の冬将軍が詠まれているのも面白い。(*^▽^*)ゞ。

>ご機嫌だったはずの7歳が突然派手に吐いてしまう。

ああ、同じことをわたくしも体験したと思い出しました。ここに書いたような気もしますが、思い出しながら顛末を書くと・・・幼い長女と三人で日産のサニーを運転して逗子鎌倉ハイランドから伊豆の石廊崎まで日帰りドライブをしようと、箱根の宮下にあるわたくしにとっては最上級のホテル「富士屋ホテル」の喫茶コーナーで鯉の池を見ながら美味しいコーヒー(娘はホットミルク)とチョコレートケーキを食べて、富士山を見ながら十国峠を下りてゆくと見晴らしは十国が見渡せるほど素晴らしいからコーナーが多いので娘はきゃあきゃあ言いながらはしゃいでいたので、修善寺から河津七滝ループ橋というぐるぐる回る名物の橋も喜ぶだろうとついでに寄ったのですが、これが裏目に出て急過ぎて運転してても怖いほどで、子どもにはさすがにきつかったのでしょう、平地に下りてからミルクとケーキを全部嘔吐し、それも激しい嘔吐で娘もぐったりして、車内を掃除して引き返そうにも娘が心配で近くの宿を取ろうということになりましたが、定宿の西伊豆の伊浜までは遠いし、観光地なのでその日のホテルなど空きが無く困り果てていたら、雪印食品の寮を管理人夫婦が払い受けて親しい人だけ泊めるという余生を送っている民宿があるからそこに電話したらと薦められて事情を話すと快く受けてくれたので民宿「五月荘」に向かった。

宿帳を書いていると、奥さんが珍しい名前ですねと言うので、先祖は岐阜らしいのですが斉藤道三に滅ぼされた末裔らしく実家は那珂湊ですと言うと、わたくしの兄が大洗でお宅と同じ名前の会社に勤めていましたと言うので奥様の旧姓はと聞くと、興津ですと答えたので、興津さんはうちの会社の技術者で子どもの頃から興津さん親子はよく知ってます、じゃああなたが○○電気会社の息子さん、そうです、という信じられない奇遇で、以来、わたくしたちの定宿になりました。部屋の名前が伊豆七島の名前になっていて、庭に大きな椎の樹があり、御主人が食べられる団栗だと言っていたので馬刀葉椎(マテバシイ)でしょう。御主人が趣味で椎の樹の下で伊豆の海を見ながらスケッチを描いていたので娘が仲良くなって、お風呂も寮でしたから結構大きく家族貸切で贅沢な気分を味わえました。娘も嘔吐したことなど忘れて喜んでいたので奇跡のような「えにし」でした。

思えば21年前の雪印牛肉偽装事件で2億円の不正詐称をした雪印食品は解体しましたが、その事件の前の話なので、悪事を働くほど斜陽化していて寮も手放したのでしょう。事件が明るみに出ていたら民宿も出来なかったので興津夫妻の余生も暗いものになっていたことを思えばマタイ伝ではないが誠実に「天に富を積む」暮らしをしていれば報われるということかも知れない。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年11月15日 13:16)

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