冬来たる白帯なれど副主将
わたくしは高校時代柔道部で白帯でしたが(黒帯取る気はしませんでした)対外試合は副主将で負けたことはありませんでした。負けなければいいだけなので勝つ気はなかったから相手が技をかけに来たら返し技で防いだだけで引き分けになるけど負けたことにはならない。喧嘩でもかかってくれば足払いで相手を倒して胸を踏みつければ歯向かわないのでそれ以上こちらにいたぶる気はないので、喧嘩を売るなら相手はするがこちらから売ることは無いと相手もわかればそれでいい。自然と受身が取れるので介護では障害者をかばって倒れるときなど癲癇患者が発作で倒れてもわたくしがサブに付いていると咄嗟に下敷きになってカバーするので事故にならないと皆メインのガイドヘルパー達はわたくしがサブだと安心だと言っていました。芸は身を助くというわけです。そう言えば野球の応援団も副団長をやらせられたなあ。どうも主将とか団長とかは性に合わない。家業も社長が厭で副社長で勘弁してもらったが、仕事は板金工の下っ端で十年近く休みなく働いていたから誰も文句は言わなかった。仕事は最後まで投げ出さずにやるが和して同ぜずで肩書は断った。結局生涯の最後の仕事が派遣の介護ヘルパーというのも頷ける人生だったということになる。
降る雪や世を忘れ世に忘れられ
がわたくしの辞世の句ということになるだろう。
そうそう、今日の最後の仕事の89歳の車椅子老人が夢を見たという話をしてくれた。もう自分は右の耳も聴こえず、視力も衰え、足も上がらないから死期が近いので見たのかもしれないと言う。どんな夢なのと聞くと、田舎の道を歩いていたら甥っ子が歩いていたので、何かあったのかと聞くと伯父さんが亡くなったので葬式をすることになったという。そうか自分の葬式かと思って「じゃあ先にお寺に行ってるよ」とお寺に向かったという夢だった。ここに死んでるのが俺だったらそれを見ている俺は誰なんだという、まるで落語の「らくだ」ではないかと笑ったら、そうだよねえととお客も笑った。傘寿を過ぎたらなんで死のうが老衰ですと病院は言うから、まして米寿を過ぎたら赤飯炊いて祝うから、お迎えが来るまでは生きてればいいのよと笑いあった。しかし、「じゃあ先にお寺に行ってるよ」というのは笑えた。(*^▽^*)ゞ。
投稿しようとして茂雄親方につないだらお吟さんを飛び越していた。
写真は午前中の善福寺川の俳句老女の車椅子介護をしながらの満天星躑躅の紅葉。日の当たらない下のほうの色合いが和の色合いで美しい。こういう誰も見ないところに美しさを見つけて喜べる俳人というのは幸せの目線が世界で一番安上がりな人種だねえと笑いあった。
