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スレッドNo.826

春昼や父の観てゐる水戸黄門

おはようございます(^^)
猫髭さん、おっしゃる通りです。
自分の旧作に「街角に黒服の立つ朧かな」があったことに気づいて
修正したのですが、改悪になっちゃいましたか?(笑)

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なるほど~♪ よく分かりました。
ご教示いただき、どうもありがとうございます!(^^)

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年03月25日 06:22)

「喪服」だと葬式案内人とイメージが固定されるから句の幅が狭くなり、「黒服」の方がミステリアスなイメージが広がるので、句としては「黒服」の方が佳い。想像力の無い向きには「黒服」ってなに?と伝達性が薄いから「わかんない」とそこで想像力の判断中止(エポケー)してしまう。文藝というものは伝言板ではないから「喪服」と「朧」の取り合わせでも詩は生まれるが、「黒服」の方が現代という今作者が生きている時代性を帯びているので「今を詠む」俳人である以上「黒服」の方が際立っている。「喪服」と「朧」だとノスタルジー感が出て来るので年配者はこちらを好み、若者たちは「黒服」と「朧」を好むだろう。好みの問題となると人の数だけあるので、作品主義のわたくしは「どちらが俳句自身が喜ぶだろう」という判断で考える。誰にでも好みはあるからこちらが好きだという意見は他人がどうこう言えるものではない。ああ、そうですか、と言うしかない。好き嫌いや良し悪しや主観客観の二元論は平行線の千日手でもある。つまり、「街角に黒服の立つ朧かな」の方が「街角に喪服たたずむ朧かな」よりも俳句自身が喜ぶ俳句だと思う方が作者の言い分も読者の言い分も無視して中立である。

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