寛解と言われる状況以降の人生について
あるネット掲示板の寛解スレを見ていて「震災前後と同じ感覚で発症前後で人生が分断された感覚がある。
感覚としては人生を作り直してる感じ」という文言からタイトルについての悩みが浮き上がりました。
30代でも40代でも同年代とは違う人生になったのはわかるし、人生の作り直しや築き直しをしなくては残りの人生まだまだあるので社会復帰自体は必要と思っています。
ただ、震災でも事件の被害者でも各自のトラブルで傷つく日の前までに築き上げた、例えば高校大学専門学校その人その人の受験の苦労とかご両親の学費捻出の苦労、ウツになる前までに感じ取れた楽しみや喜びなどの自己満足感が瓦解してしまったというのも感じています。
私もウツ離職から寛解に至るまでの幾数年とその間に稼げた金銭など喪ってしまった多くのプラス要素や存在への未練や無念や悔しさを抱えて再就職や「人生の作り直し」を今日もしていますが、虚しさで行動や歩みを踏みしめられない時が毎日発生しています。
「人生の作り直し」とはリトライであり「やり直し人生のコストや損害や赤字」をどうやって満足して噛みしめられるか?飲み込められるか?満足できるか?納得できるか?について日々悩んでいます。
こんにちは、随分と難しい内容ですね。
人生を振り返る哲学でしょうか?
私は人生を作り直す必要なんて無いと思うのですが・・
どうなんでしょうね?
無病息災な人生を、ずっと送れれば それに越したことはないのですが、
病気というのは思いがけずになるものでしょう?
天災や災害もそうですが、
全ての人は自分が被害者になるなんて思っていないですよね。
被害者 病気になった時に、人は嘆き悲しむのですが、
それもその人の運命 人生ではないでしょうか?
少し冷たい言い方で、申し訳ないですが、
病気に限らず、人生で苦しんだ時間は決して無駄ではありません。
病気になったことで、健康の尊さを知ったり、人の優しさを知れたり、
同じ状況で苦しんでいる人の気持ち理解し、励ましたり、
自分と向き合い、這い上がり、心が強くなることはありませんでしたか?
過去に失った時間は取り戻せないですが、苦しんだ過去が、今の自分を形成し
それが今の人生になっている訳ですので、無駄と考えず、糧と考える方が良いでしょう。
損害や赤字ではなく、今の自分を作るための先行投資と考えて下さい。
辛い人生を幸せな人生を作り直す必要はありません。
というか過去を無かったことにして作り直せないでしょう。
辛いのが自分の人生だった。それでも・・
辛い過去を生き抜いた自分に自信を持って、褒めてみてはどうですか?
その経験を未来の自分に生かして下さい。
あまり答えになっているか解りませんが、
私はこのように考えています。