振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱昨日の午後は「丹下左膳」を通しで✱ #2018.2.4
昨日は、午後から続けて「丹下左膳」の放送がありました。シリーズ初めから見ました、長かったなあ、リアルタイムで4本続けてはきついです。と言っても、橋蔵さまが出るあたりからテレビの方を見てという感じではありますが、これも、作品の内容がインプットされているからできることですね。
でも、何回も見ていくと、場面でも違った日に撮影したところというのが良く見えてくるものです。
第一回の「丹下左膳」では前々から特に残っています。場面としてつながっているところなのですが、撮影日が違ったりしているので、特に橋蔵さまの目のお化粧の具合が違っているのは最初に見た時から分かってはいるのですが、それがどうしても気になってしまうところが辛いところです。
1958年の柳生源三郎は、若さがある源三郎ですから、それは素晴らしいのですが、少し気負い過ぎのように見えるところもあるのです。(当時映画館で見ているなら、自分も子供で若い時ですから何も感じないと思いますが。)
私が好きなところは、やはり、司馬道場で左膳と植木屋剣法と言って立ち合うところから、蒲生泰軒に臺を釣りあげられるところまでの道すがらの左膳と源三郎の問答のところ、ここは最高だと思っています。そして、ラスト駕籠行列を見送る左膳たちと手を振って行く源三郎と萩乃のむつまじいあの光景は、流石、橋蔵さまとひばりさんだから出せるので、見ていて微笑ましくなり、自然に見ている方もにこやかなよい雰囲気になりますね。
大部分のファンの方は、①源三郎と萩乃がお互いの愛を確かめ合うことができる、夜の縁側での二人のシーンを外すのはおかしいとお思いになるでしょう・・・でもね、私は、あの時の源三郎は少し硬すぎるし、源三郎を移しだす角度と表情がちょっと気に入らないんです。
②植木屋の格好で司馬道場の様子を見に行った源三郎と萩乃との出会いもいいのにと・・・私もあの場面は好きですが、私の中ではその後の峰丹波との短い場面の方が作品のすじから見ていくと勝ってしまいますので省くところとなってしまいます。
1958年は若い源三郎、1962年「濡れ燕一刀流」の柳生源三郎は安心して見ていられる、橋蔵さま自身も重みが出て来た頃ですから、内容は別として、こちらの柳生源三郎の方が好きかな。
そして、やっぱり一番好きなのは「妖刀濡れ燕」の橋蔵さまですね。1960年、橋蔵さまがいろいろな役柄をやり最高潮の時ですから、表情も口調も殺陣もすべてが生きているように思えますが・・・どうでしょう。
来週は一作品を夜に放送になりますので、飛ばさず、「妖刀濡れ燕」と「濡れ燕一刀流」を見たいと思っています。
今日は立春ですが、春はまだまだ、日本全土を”立春寒波”が襲います。
お風邪をめさないようお気をつけください。
橋蔵さまの出演作品が多い2月、橋蔵さまからぬくもりを頂いて、寒い日を乗りきりましょう。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)