MENU
206,653

スレッドNo.128

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱しつこく「炎の城」・・当時の批評✱ #2017.8.2

映画館でご覧になっていたのですか。小さい時、憧れている橋蔵さまが、ずーっと正気と狂気を復讐という執念に取りつかた顔での98分を見ているのは辛いものがありますね。

📌私は、昨晩もう一度しつこく当時の「炎の城」を研究いたしました。
「海賊八幡船と「炎の城」は橋蔵さまの異色作として、批評が多く出ていました。
そんなもの関係ないわというのもよし、どんなところが批評されているのか、愛する橋蔵さまの作品を見て自分もここはこんな風に思ったとするのもよし・・・人それぞれですが。
私の場合、なるほど、大人になって大人の目で見た時、やはり同じことを感ずると思うところはありました。

📰当時の各新聞での評論でも、正気なのに狂人のふりをするのは難しいこと。その役に取り組んだということは橋蔵さまはよくやったが、やり過ぎというようなことを書いています。2新聞からのものを掲載します。

♧ 『カラを破った橋蔵―やや物足りない炎の城』という見出しは朝日新聞
農民の不満を背景にお家騒動を描こうという訳だが、肝心な農民騒動が画面の中で浮き上がってしまったのが物足りない。意外な事件の説明は成功と言えるだろう。かつての忠臣の遺族を訪ね、師景の暴虐ぶりを聞く回想方法はテンポがよく事情をしることができる。
ただ、ちょっと気になったのは橋蔵の顔色がやや力強い色彩になりすぎていることだ。長い航海の果てだから日焼けもしているだろうが、もう少し”旅のやつれ”と言ったものが表現されてもよかったのではないだろうか。茶系統の色が強すぎて、逞しさが強調され過ぎたように思う。
つぎに、橋蔵の狂人ぶり。正気の人間が狂気を装うのは実に難しい。狂人になり斬るのではなく狂気を装って最後は正気に返るのだから、役柄としては実に難しいものだ。
観客たちは黙って息をひそめ橋蔵の”狂人”ぶりに見いっていた。橋蔵としては勢一杯の熱演だったろう。
しかし、画面を見ていた若い女性から「あの橋蔵ちょっといやらしい」とささやきあっているのが耳に入った。女性たちにとっては、橋蔵はあくまでも橋蔵らしく甘い雰囲気で演じてもらいたいところなのかもしれない。芸術性と娯楽性の兼ね合いが難しいところである。
農民たちと正人をもっと密着させて描いたら師景の野心もくっきり浮き彫りされただろう。師景の罠にかかった正人がめった斬りにあい、さらに致命的な矢傷を負いながら、死に物狂いで戦うところは、橋蔵はうまい立回りを見せるが、間延びしたラストでいただけない。
正人が母を見て悩む姿や雪野に気持ちを打ち明けられないくだりなど、橋蔵はいささか無理をし、オーバーな演技。しかし、いままで美剣士などに扮し、その甘さと適度な色気を買われていた橋蔵ととっては、そのカラを破った意欲的な作品で精いっぱいに取り組んでいるところは悪くない。

♧ 東京新聞も、セットも登場人物も充実したスペクタルものだが、王見正人の復讐にのみ専念し、気違いを装うシーンに力が入り過ぎ、雪野との哀歓が描き足りないのがさみしい。暴動寸前にまで追い込まれている農民への政との協力も描かれていないなど、脚本にも不備な点があるし、吉弥もいたずらに怒号するばかりで芸がない。橋蔵の熱演も空回りしている感じで、もう一つ迫力にかける。
さすが、大河内と黒川は年期のの入った芸を見せている。時代劇初出演の三田の好演が最大の収穫といえよう。
加藤監督としては、演出プラン通りにやったのであろうが。

📖 別所直樹さん雑誌で上記新聞の批評から、
「炎の城」は確かに佳作であった。各批評に見られるような不備な点は勿論あるが、農民一揆、恋、復讐、凄絶の殺陣など、盛りだくさんのスペクタル映画である。
加藤演出は、それを余り力まずに描いて効果をあげている。
橋蔵が少し力み過ぎたという評もあるが、やはり世界の古典劇としての”ハムレット”が頭にあったからであろう。無理もないと、思える。だが、この作品のような意欲作に、これからも大いに取り組んでほしい。
1時間37分観客たちは十と息をこらして見ていた。そして飽きさせない。まっ正面から取り組んだ演出ぶりだが、それでいて東映らしい娯楽映画として一応成功をおさめている。橋蔵にとっては大きな収穫の一つであろう。

◇ ある人の大川橋蔵の研究と題してから抜粋『外柔内剛の”根性』
「炎の城」がクランクして間もなく、橋蔵の部屋に行くと、この映画のラストシーンについての論争?になってしまった。父を謀殺した悪人とはいえ、肉親のおじを斬り許嫁も死なせてしまうのだから、正人はラストで死ぬのが自然じゃないか・・これが彼の論理である。
八住利雄のシナリオは封建の暴政は破れ、新しい国造りのチャンピオンとして正人は生き残ることになっているのだが、この”生か死か”をめぐって橋蔵は随分頑張ったようである。結果は、シナリオどおりにと落ち着いたが、こうした役の解釈における問題をなおざりにしなかった橋蔵の態度に”根性”の片鱗を見たような気がしてうれしかった。
あのデリカシー(優美)な外貌のどこに、こんな執拗な力が秘められているのか、外柔内剛のサンプルみたいな俳優だなと、思った。
橋蔵の聡明さは、定評のあるところ。「炎の城」のような赤毛劇をそのままの観念的ダイアロオグ(頭の中だけで考える対話)も、橋蔵が語るとさして不自然でないと言うのも、彼の持っているニュアンスが大変知性的であることによっている。もっとも、にせ気違いの件は、この聡明さがマイナス?して大きな誤算を犯しているのだが、この辺に今後の橋蔵の重要な課題がありそうだ。
他動的な問題としては、彼の聡明さ(演技計算)を、頭から粉々にしてしまうような、巨匠にぶつかるということも、俳優として飛躍するためには、必要なことではないだろうか。
様式のドラマ・・・歌舞伎から出発した橋蔵には、やはり役の解釈にも、”型”から入っていくような修正がのこっている。(私の意見・・このことは、ずっと皆さんから言われていたことですが・・橋蔵さまとしての良さはこれがあったからだとも言えるのですよね)
こうした点を克服して、「30年スター大川橋蔵」に待望することが大きい、と締めくくっています。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top