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スレッドNo.132

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「任侠東海道」のときの訪問記✱ #2018.4.2

一昨日の夜から昨日一日は、ブログと掲示板の画像変更とブログのフリーページの画像掲載に時間をつぶしました。ごちゃごちゃになっているものを整理するのは大変なことです。苦労すると掲載止めようとも思ったりしますが、これをやりながら自分自身も橋蔵さまを良くも悪くも再確認していけることですし、できるところまでは頑張るつもりです。
ブログのフリーページ掲載画像も一括ではできないので、ちょこちょこ追加していきますが、こちらのコーナーも時々覗いていただければうれしい・・橋蔵さまが色々な表情をみせて待っていますよ。そのうち、私が好きな橋蔵さまの画像をコーナーに載せたいと思っています。

※・・・では、橋蔵さまに少しの時間を頂いて・・・
(いつものように私なりに解釈、要約して載せています)

🐦セットでの撮影が遅れ五時半開始になって
橋蔵さまがメーキャップはそのままで、サンダルで部屋から出てきた時、見学ファンが見つけて写真を撮り出し・・、橋蔵さまは急いで演技課の方へ入って行きました。
部屋に戻ってきますと、早速台本を広げてセリフの勉強です。
「降りて来い」突然橋蔵さまの大きな声、「おれは増川仙右衛門だ」
✐(このセリフは掲載した画像の上段の場面になりますね)
セリフの勉強中に時間を少し頂きお話を伺ったときのこと。
チャーミングな瞳で笑いかける橋蔵さまは本当にお茶目さん。
「後援会は今何人いるの?」・・・一万一千人くらいです。
「もうそんなに。ファンは有難いですね」と何度も繰り返されていました。
そして、橋蔵さまはこう続けました。
「本当は一年に二回位、東京、大阪闘で何か演らなきゃいけないのに、撮影が忙しくてなかなか東京へも帰れないし、・・でも、忙しいのは有難いことですよ。会社で使ってくれなくなったらおしまいですもの。この間久しぶりに銀座を歩きながら考えたんだけど、一つの映画が終わって東京へ帰った時は、一切仕事を忘れ頭の転換をしてから、改めて次の仕事にかかる様にしたいと思うんですよ」橋蔵さまは真剣な表情でおっしゃいます。
✐(でも、東京に帰ってくれば、京都にいる橋蔵さまが、東京へ帰って来たら何をしているのかと、雑誌の取材、東京の東映撮影所にも顔を出したりと、違った仕事がぎっしりと詰まっていたと思います。それに今のように交通の便はよくありませんから、京都と東京の行き来に時間を費やしますもの。実質東京にいてご自分の自由になる時間は数時間だったでしょうね)

🐦名古屋で踊られた「保名」は「きれいでした」といいますと、
「そう、保名は歌舞伎時代にも踊ったことがなかったし、初めてなので暇があれば、もっと良くお稽古したかったんだけれど・・・でも、また機会があったら是非おどりたいな」と、橋蔵さまは舞台を思い出すように言ったということです。
✐(私ものちに舞台を見ていますが、橋蔵さまの女形のメーキャップは美しく、舞う姿も溜息が出てしまう美しさですよ)
「任侠東海道」の撮影時間、橋蔵さまは「じゃまたね」と急ぎ足で衣装部屋へ。

🐦そのあと、撮影が始まるセットでは
寺津間之助の土間が組まれています。その片隅でライト除けのサングラスをかけた橋蔵さまが大友柳太朗さん達と演技の研究をしているようです。
小政はじめ数人の子分達が手、足、腕等に包帯を巻いてもらっています。着物を泥だらけに汚している子分もあります。皆疲れ切った表情、大政、仙右衛門を先頭にやっとのことで間之助のところに引き上げてくるシーンです。 (画像の下段の場面になりますね)
松田監督が細かい演技の注意を与え、「さあ、テスト始めましょう」の声でスタート。土間に入った途端、次郎長にいきなり怒鳴られるます。皆がなんのことで怒られるのかわからず立止まるところでカットになりました。
橋蔵さまもおっしゃっているように慎重な松田監督ですので、テスト4回、本番2回でやっとOKが出たようです。その日は夜間撮影になったようです。

どうですか、ほんの1カットのところですが、撮影は大変ですね。当時は、スタジオに見学者がいっぱい。近隣の人は足しげく通っていたのでしょうね。京都からずーっと離れた田舎暮らしの私には、考えられない光景です。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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