MENU
206,795

スレッドNo.147

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱思ったこと、諸々・・・です✱ #2018.12.19

今橋蔵さまのファンであるという若い人には申し訳ないけれど、幼い時に橋蔵さまを映画館で知った私のような年代の人達と、橋蔵さまをある程度大人になってから知った人達とでは橋蔵さまに感ずる思いが、口には表せないけれどどこか違う思いがあると思います。情報も今の様に得られない時代、本屋に行って月に数冊出る雑誌に目を通せる人や後援会に入られた方は良い方です。橋蔵さんが歌舞伎にいたことやいろいなことはわからない。そんな中、スクリーンに映し出される役柄の中から橋蔵さまの素晴らしさに魅力を感じたわけです。いろいろな情報を得ようなどということは思わず、ただただ映画だけに素直な思いでファンになったのです。

思うのです・・・大人になり、ある時期から後援会のお手伝いで橋蔵さまにも近くで会う機会が年に何回か出来るようになった私の場合、やはり橋蔵さまに対しての憧れ的なものが変わってきました。後援会の集いや舞台公演のとき、控室や楽屋での生身の橋蔵さまを見ていますと、ファンの前で見せるあのにこやかな顔とは違う面も必然的に見るようになりますから・・・そして、こちらも一生懸命お役に立とうという考えが強くなりました。
橋蔵さまが亡くなられて、橋蔵さまのことは全部忘れようと、東京の方にあった橋蔵さまに関係するものは捨ててしまいました。でも、10数年すぎた時、テレビ覧で橋蔵さまの映画の題名を目にしたとき、心の片隅にくすぶっていたものが、頭を持ち上げて来たのです。
やはり映画に見る橋蔵さまは忘れられません。舞台公演も明治座、歌舞伎座、時には新歌舞伎座と見てきました。しかし、舞台はその日その日のもの、お手伝いの合間にも何回も所々見たりもしていましたが、その時の体調、そしてお客様の層により又反応の仕方でちょっとずつ違っています。それだけ見て来た私ですが、あの舞台はここがどうでと覚えているものではありません。それに心に残っているところがあっても、なかなかうまく語れるまでの真剣さでは見ていませんから無理だと思います。だってファンとして好きな橋蔵さまを見ているのですから。
橋蔵さまの芝居・舞踊の素晴らしさを少ししか又は全然目にしていないのに見て来たように何かの資料を頭に入れておっしゃる方がいらっしゃるようなことを聞いたことがありますがそれは間違っているのではと感じます。

亡くなられた橋蔵さまの素晴らしさの演技等に対しては作品として放送される映画やDVD等を見てのことが根本で全国の橋蔵ファンの皆様と繋がって行くものだと思っています。
そこの原点を忘れずに、この掲示板は続けたいと思っています。。
来年初めは放送作品が少ないですが、橋蔵さまの出演作品が多く放送されるのを期待しましょう。

今朝、ラジオ番組で、歌舞伎の世界を離れ、劇団新派に入団し、二代目喜多村緑郎を襲名した方が出演していました。バンド活動をしたり俳優をしていたが、やるなら時代劇だ、京都へ行こうという気持を持ち、その前に和を学ぼうと歌舞伎の研修に参加し研修後、そのまま歌舞伎で3年修行し部屋子となったが、ある日新派に憧れ入団し2年前? 多村緑郎を襲名。
新派は古いということはないけれど時代に合わせて、よりお客さまに伝わるよう変えていく必要はあるのではと。40歳を過ぎた頃から時代劇に出演する機会がちらほらあり、時代劇スターになる夢…を持っているようです。
殺陣を覚えるにはやはり時代劇は京都だ・・・東映剣会でも修業をしたようです。
世代が違うと、魅力を感じた殺陣は、中村敦夫さんの木枯し紋次郎、市川雷蔵さんの眠狂四郎、松方弘樹さんのものなど、今の若い人が好んで見る時代劇の中のカッコイイとみえる殺陣のようです。
やはり、映画でもテレビでも、時代劇の殺陣に美しさはいらなくなっているようです。それはそうですね、女の人は自分の髪を使って頭をつくり、それに合わせて男の人も、昔のように綺麗に整った髷ではなくなって、リアル感を出しているのが今の時代劇ですから、きれいな、美しい殺陣は通用しないわけです。昔のような時代劇はもう戻っては来ないのでしょう。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top