振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱橋蔵さまへの思い✱ #2020.3.8
今日は琵琶湖マラソンを見ていました。五輪最終選考のマラソンでしたが、それは決まったも同じことで、私が駅伝やマラソンを見るのは、そのコースの風景を鑑賞するためです。
残念ながら、今日は雨、山々も湖も灰色、瀬田の唐橋も石山寺の近辺の景色も良くありませんでした。
琵琶湖周辺は、東映時代劇には必ずといって使われていた所、何となく放送を見ていても気になります。
歌舞伎時代20代後半の橋蔵さまの女形姿は、きれいなところに少し艶が出てきたところだと思いますので、年頃でしたら、雑誌などで噂を聞いていましたでしょうから関心を持ったかもしれません。
歌舞伎時代の話がでると、悔しいかな心の中をかけめぐるものがあります。
特殊な世界で日本中の人気的には薄いかもしれませんが、橋蔵さまなら、菊五郎は継げなくても、舞踊が出来る人ですからその点の強みは持っていましたから、歌舞伎役者として一名を成していたでしょう。意に反しますが、まれにみる天才肌の橋蔵さまでしたから、歌舞伎の歴史を語るとき「二代目大川橋蔵」の名が必ず出てくる、という道すじも、今さら仕方のないことですが、ほしかったと欲ばりの思いが・・・。
映画俳優・大川橋蔵としてのファンになった私たちからすれば、歌舞伎界にいたら超人気者とまでいかない大川橋蔵を知らなかったかもしれません。
そう思うと、映画俳優での橋蔵さまに逢えたことは最高の喜びです。映画界に入りここまで日本中をわかせる人気を得るとはご本人もびっくりしていたのではないでしょうか。
私の中で思うには、橋蔵さまは、それはそれで映画俳優を楽しんだと思います、テレビに重きを置いた時から、舞台を出来得る時間が持てて、満足した人生だったとは思います。ですが、その舞台から感ずるに、橋蔵さまは舞台人としての晩年を生きて名を残してほしかった。それができたはず・・・自身そういう思いでいる橋蔵さまが、私の中には鮮明に生きています。