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スレッドNo.182

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱取り止めもなく感想文✱ #2020.5.24

「恋や恋なすな恋」は好き嫌いが分かれる作品かもしれません。
一般的には大人でなければ理解できない作品ではないかと思います。
阿倍晴明、陰陽師系の話、また歌舞伎や舞踊が好きな人は相当面白く見られるのではないでしょうか。
その中に、幻想的な場面、官能的な場面と、通常の時代劇では味わえないところもあり当時では斬新で、橋蔵さまも十分な時間を費やし望んだ作品で期待大のものでしたでしょう。舞踊も入れ保名をとても綺麗な描写でうつしだしているのですが、当時の橋蔵さまのファンの年齢からすると、大人すぎるタッチ、筋の流れを考慮しなければならない、という難しい点も多々あったように思われます。そこへきて、嵯峨三智子さんの三役がとても評判がよく、橋蔵さまの保名がのまれてしまったところがあります。
しかし、どうして受けなかったのか、それは・・・どうしてでしょう?
「恋や恋なすな恋」という題名を見た小学後年の私には、どういう意味か分からなかったのはあたり前、後になって「恋よ恋われ中空になすな恋」の「われ中空に」を省いたものらしいと解釈して意味を考えたとき、またちょっとニュアンスが変わってきたものです。
「恋よ恋われ中空になすな恋」には続きの文句があり、それは世阿弥の『恋重荷』にでてくるのだということで、「恋よ恋 我が中空になすな恋 恋には人の 死なぬものかは 無慙の者の心やな」とあるのです。またまた解釈が難しくなります。映画「恋や恋なすな恋」の題名は美しい響きですが、掘り下げると悲しくなります。
この作品に関して私は以前からあまり触れていません。
橋蔵さまの阿部保名は綺麗で魅力的でひきこまれていくのに、どうしてなのかな? 自分でも不思議なのです。
初めから45分間位は物語の流れを分かるためのところですが、どちらかというとだらだらと過ぎていっている感じに思えます。その展開が早くなり、面白くなるのは舞台形式での場面後半からでした。ここから橋蔵さまの良さが私のハートを貫くところになります。
という訳で、私が好きな場面におけるラストの橋蔵さまのこの表情・・・画像に。

一個の大きな石が最後の場面に生かされていますね。恋人の榊が死んで狂った保名が榊のキモノをまとって舞い倒れ込んでうずくまり、その形のままに石と化した場面にリンクしています。
狐の葛葉が保名と赤子と住んでいる家のところから、画面は歌舞伎の舞台の回り舞台の上にしつらえられた家の中で演じられます。狐がいなくなると家がぱっと消え、保名が正気に戻った野原に変わるところは、舞台の大道具仕掛けを取り入れた方法に目がいきます。人形の赤子もしかり。映画という動きの中に浄瑠璃を取り入れての映像には興味をそそられます。ただ、葛葉が子と別れのところで障子に長々と筆を走らせるところは少し長かったような。私はせっかちのためか、面白くなって気分が乗ったところを、だらだらとくると、ポキンとおられてしまった気分にさせられるのは残念なのです。

今月はこの作品の感想文をと思いはじめましたが、私には感想文を書くのに乗らない作品の一つのようです。そのため長々と取り止めのない綴りになってしまって申し訳ございません。
ブログの方で近々取り組まなければならないところに来ていますので、じっくりと向き合ってすばらしいところを数多くお伝えできるようにしたいと思います。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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