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スレッドNo.194

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱当時、記者さんのアドバイスから✱ #2020.11.2

1958年後半ごろ、橋蔵さまの雑誌の特集企画にこのような記事があったのを思い出しました。
新聞記者の座談会からの一部分を抜粋してみました。当時歌舞伎時代から見ている記者さんのお話、東映時代劇を担う、歌舞伎出身の錦之助さんと橋蔵さまの違いなどにも話が盛り上がっているのですが、ここではそのうちのほんの少しをご紹介と思ったのですが、文章にするとものすごく長くなってしまって・・・。ゴメンナサイ 。興味ない方、面倒くさい方はスルーしてください。
***** *****
---橋蔵のいいところは、あの江戸前だね。お色気があるし、ユーモアがある。
そんなところを年寄も可愛がっているのだから、ファン層というものは広いと思う。
---僕はこの間、長谷川一夫さんに会った。そして話が鶴田浩二の話になった。
鶴田さんの持っている甘さは、自然の甘さで後からつけたものではない。そういう甘さを持っている人は、芝居でも映画でもザラにはいないという話になった。そして”前だれもの”つまりお店の若旦那ができる役者は甘さがなければできない。いま、それが出来るのは、橋蔵さんですね、と長谷川さんは言うのだ。”前だれもの”は、そこはかとない甘さを持ち、何かしら若い層のファンを掴む一つの要素があると思う。雷ちゃんにはない。錦之助も”前だれもの”の役者じゃない。やはり橋蔵です。その甘さを、はたして彼が知っているかどうか。
---今年の6月でしたかな。彼が悩んでいたのは・・・。
---そうなんだ。東映で同じようなものばかりに出て、立廻りをしながら左右を
見てニッコリ笑う、マンネリズムじゃないかと彼自身が言うのだ。 そこで僕は言ったんだ。冗談いっちゃいけない。君が立廻りをしながらニッコリと笑う。あれが、君をスターにしている原因じゃないか。それを堂々とやるべきだ。第一、君がああだ、こうだというのはまだ早い。お客様あってのスターであり、人気である。人気のあるスターであれば会社も無理をきくんだ、と言ったんですよ。そうしたら彼は、じゃあ割り切りましょうと言っていたが、割り切るべきだと僕は思うね。とかく芸術に走りたがる人が多いけれど考えるべきだ。
---橋蔵の出演本数を見ると、まだ43本ですね。さっき谷村さんが話したけれど、
今年の6月頃の彼の悩みは深刻でしたね。谷村さんの話で、結局、彼は納得したわけでしょう。
---彼は、その場では納得していた。
---芸術づいて、例えば汚レをやりたいとか言っていたけど・・・
---いけない。いけない。いま、彼のファンの大多数は、あの江戸前の甘さに拍手
を送っているんじゃない? 何か申告がってやったら彼のファンは逃げちゃうんじゃないかな。
---とかく役者というものは芸術づくでしょう。そして汚レなんかやる。その後
というものは、ずっと人気が落ちてしまいますね。人気は上昇していかない。娯楽に撤しなければいけない。
---その深刻劇のなかで張切るスターもある。しかし、橋蔵なんかの魅力は時代
劇のヒーローとしての魅力じゃないかな。みんなが橋蔵、橋蔵というのは・・・。
---彼は大衆娯楽劇の王になり得るスターだと思うんですよ。それをはっきり認
識した方がいいと思う。そういう役者も必要なんだもの。
---それがいちばんじゃない? さっきの”前だれもの”にしてもやはり橋蔵さん、鶴
田さんじゃないですか。
---僕もそうだと思う。
---ほかにいませんものね。よその会社を見ても・・・まあ、新東宝の中山なんか
は、案外いけそうだけれど。
---彼はお侍だな。その点、橋蔵というのは、侍もできて、町人も、イナセもで
き、殿さまも出来るんだから、その意味で芸の幅は広いよ。歌舞伎の女形でいろいろ苦労したというのは、錦之助同様、映画の世界でものをいってるんじゃないの。
---話がちょっと、飛躍するけれども、橋蔵君は東映に入ってよかったですね。
錦之助というライバルがあったから今日まで来たんだけれど、東映に入る前に、そうとう某社が妨害したそうだが。
---某社に行っていたら、今日の橋蔵はではなかったよ。
---そうですよ。北上弥太郎さんみたいなものですよ。影がうすれちゃって・・・
そういう点、東映は人を使うのがうまいし、人物を見る目があったんでしょうね。とにかく錦之助はいる、千代之介もいる。そういう中に後から入って来たんだが、なにも遠慮する必要はないからね。自分が伸びようというのに、先輩、後輩の別はないんだからね。とにかく、二先輩に肉迫して、いまや錦之助、橋蔵という、時代劇を二分するだけの勢力を持ってきたということは、彼の勉強の賜物でもあるわけですからね。
---自分の持っている甘さに気がつかなければならないのだ。彼は、自分ではそ
れを出しているつもりなんだろうけれども、もっと強く出さなければいけないと思うのですよ。その色気を、出しながら増やすという方法でいかなければならない。今は、演劇とは何かとか、演技とは何か? などということを考えちゃいけないと思うんだ。
---本当にそうですよね。
---ほんま、橋蔵のもっているファン、その大部分を占めているティーン・エイ
ジャーの娘さんたちが、おばあさんになるまでついてくるような娯楽映画とい
うものに撤してもらいたいな。
---ひばりと橋蔵の共演が多いようだが、ひばりは、錦之助とも、千代之介とも
共演している。そして、ファンはひばりとの共演を望んでいるようですね。ひばりファンが同時に橋蔵ファン、という例が多いようだ。結局、ひばりというのは、大へん偉いんじゃないかな。みんなを売り出しているといえる。
---ということで、ファン層の求めているものがわかるじゃないの・・・橋蔵も、
それを知らなければいけないと思う。それで生活しているんだし、庶民以上の生活も出来るというもんだ。同時に、六代目の息子ということを、あまり考えちゃいかんな。ある意味では六代目のものをとることは、もちろん必要だけれど、それを意識しすぎて、ちょっと固くなるところもあるんじゃないかしら。あすこは各兄弟が、色が違うからね。梅幸、九朗右衛門、それぞれ色がちがっている。
---三人三様だし・・・
---そういうことを考えて、人気役者大川橋蔵というものを、自分自身が知って
おけばいいんじゃないかな。
---僕は橋蔵の映画を見ていて、六代目的なセリフの間のとり方とか、捨てゼリ
フとか、そういうものをときどき感ずるのですが、どんなものでしょう。
---僕は六代目的セリフということを考えると、それは、錦ちゃんの方が六代目
的になってきたなと思う。あの間とか、捨てゼリフを流す時の感じがね・・・その六代目をいちばん尊敬し、そういう役をし、また身につけようとしている中村勘三郎を、錦ちゃんが尊敬しているんだ。つまり、勘三郎を尊敬するということが六代目に通ずることになる。そこで最近、錦之助のセリフが、六代目のニュアンスに似てきたといえる、と僕は思うのです。
---捨てゼリフのうまさは、錦之助にかなわないでしょうね。橋蔵も・・・。
---最高やね。錦之助は、六代目的なものを、勘三郎を通じて身につけてきた。と
同様に、播磨屋(吉右衛門)の持っていた喜劇的なセンスも錦之助の血に流れているんですよ。?右衛門には、喜劇的なセンスが大へんあるんです。この二つのものを錦之助は持っている。そうなったら、今度は、橋蔵君がもうちょっと頑張って、親父、これは義理の養父になるけれども、六代目的な、サラッとした味をどうして身につけないのかと思うのですよ。この点、橋蔵はタンカもきれる江戸前だと言いながら、もう一つ、サラッとしたところがちょっと足りないんじゃないかな。
---しかし、いままでの状態からいって、そこまでゆくのは、ちょっと無理だか
らね。これから身につける必要があるんじゃないか。彼の今後の課題だね。そうですね。いずれ、そのうち自然に身についてくると思うんですよ。---大川橋蔵でございます、という一つのスピード・ボールだけでいいと思う。錦ちゃん、雷蔵みたいな変化球は、いまの彼には必要じゃないよ。ピッチャーの型がちがうんだから・・・素質がちがうんだから。同時に、橋蔵君は、もう少し社交的にならんといかんね。普段の彼は非社交的だからねえ。
---たしかにそれは言えますね。どういうのかな。暇がないのか。本人の気持ち
がそうならないのか・・・。
---歌舞伎の世界の体臭が抜けきれないんじゃない?
---往年の阪妻さんみたいだよ。
---遊びは面白いよね。僕は偶然、いっしょになって、今日は裃をとってあそぼ
うよ、ということになって、一緒に遊んだ。ところが、面白い面白い・・・なんでもするんだ。あの気持ち、ああいう態度がいつもの彼だったら、なお一層いいんじゃないかと思った。『若さま侍捕物帖』の若さまみたいな遊びをしているよ。イキな・・・自由で明るいところがあってさ。
---遊び方は、よく心得ているよ。
---もちろん、彼は下町生まれで下町で育ち、歌舞伎の世界で育ったんだから、
そういうところで身についたきさくな明るさがあるんだ。あんまりくよくよし
ないで、愉快にやったほうがいいんじゃろないかな。
---ほんとうに、役者ぶらないところはいいね。はじめは、芸者さんがきたら固
くなったけれども・・・そのうち酒が一口二口入ったらぜんぜん違うの。芸者
に向かっても「おい、お前」式ですよ。
---そう。『加賀鳶』もいいしなんだってありますよ。第一、いままで、錦之助、
橋蔵二人の共演ものはないだろう? これはぜひやってもらいたいと思う。きっ
と面白いものが出来ると思う。
---オール・スターものはありますね。
---殺陣にしても、二人それぞれの良さをみせていますよ。橋蔵は、刀のさばき
がきれいで、剣先の鋭さは見事なもんだ。カブキ出身者は”型”が一応できても、剣が生きていないという弱点があるものだけれど、橋蔵には、その弱点がぜんぜんないしね。『若さま侍捕物帖』でも、切り返すヤイバの美しさは、彼独特のものをもってますよ。そして一方、錦之助の剣は、むしろ”型”のないところが良いんですね。橋蔵は生きた剣のサバキを見せるけれど、やはり、それなりに彼らしい型が出来ている。反対に、錦之助の立廻りは、つねに”型”のない魅力がありますよ。八方やぶれというか剣のサバキは、自然の持つ美しさをかもし出している。
---殺陣の場合を想像しただけでも、二人の組み合わせは、たのしいですね。
---そうですよ。色気の魅力も変わっているし、お互いにね。セリフだって変わ
っている。何しろ名門という金看板をふりすてて裸一貫で映画界に入った二人だけど、カブキの伝統を十分に生かしながら、映画の世界にとけ込むだけのいい素質があったわけですよ。ぜひやってもらいたいですね。ああ、いいなあ、というものを、見せてもらいたいですよ・・・。
***** *****
本当に、映画での完全な”前だれ”もの見たかったです。
橋蔵さまが歌舞伎の世界にいらっしゃったとき、先輩の舞台で見て来たと思います。それを自分のものにして、橋蔵さまが持っている甘さと哀愁を映画の中に描いていたら、素敵だったのではないかと思います。何故、橋蔵さまで制作なされなかったのか・・・。それは考えても仕方のないこと。そう言えば、鶴田浩二さんと橋蔵さまって、時折比較されていましたね。ここでも、話されている甘さですが、私も映画を見ていて、鶴田浩二さんは、自然体のセリフのなかに独特な甘さがあり、演技の中に必然的に入り込めるようなところがあります。
橋蔵さまの甘さは、表現をすることにより視覚的に訴える甘さというように思います。
殺陣の場合、よく”リアル”さで評価が分かれますね。様式美の橋蔵さまの殺陣は流麗でここというところでキメがあります。見ている方としては気持ちのよいものです。錦之助さんの場合、綺麗さはありませんね。でも、現実的で力強さがあり、迫真の演技が見ている側にドキドキ感をもたらします。
でも、その人により感性が違いますから、それぞれにご批評して良いと思います。

私の場合は、橋蔵さまは小学低学年からの永遠の恋人です。長い間のファンとして、映画の中に見る橋蔵さまのすべてが良いというはずはないはずです。だからこそ、好きなところは勿論のことお話していきますが、ファンですからいやなところは言いたくはないというのが心情ですが、そこはスルーしないでいこう・・・それも今は亡き橋蔵さまへの真のファンの優しさとお察しくだされば幸いです。

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引用して返信編集・削除(編集済: 2022年04月23日 16:26)

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