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スレッドNo.229

赤穂浪士に思うこと  #2015.12.6

1956年「赤穂浪士」を3日前流して見ましたので、「赤穂浪士」の映画を研究してしまいました。今日は1959年の「赤穂浪士桜花の巻・菊花の巻」と1961年「赤穂浪士」を見ました。

橋蔵さまは1956年はデビューしたばかりなので出ていません。この時は大石内蔵助を市川右太衛門御大、あの豪快さを抑えた優しい内蔵助でした。千代之介さんの内匠頭は線が細く重みがない、あとの錦之助さん、橋蔵さまと比較するとやはり厳しいところがありました。
1959年のものは、内匠頭を中心として、忠臣蔵としてみんなが知っているところを取り上げての制作なので誰でもがわかり易くできている作です。前篇は内匠頭が刃傷におよぶまでの仔細と精神的状況を細かく作っているので、2部構成まで引きずられ見入ってしまいます。役柄のキャスティングも適切に思えました。
この時橋蔵さまは岡野金右衛門ですね。30才の橋蔵さまは初々しくて美男子といわれた金右衛門にぴったりです。すがすがしい討ち入り姿と品位がにじみ出る町人姿。美しい橋蔵さまが出てくるとほっとする感じになるのです。一服の清涼感。制作側もそこを分かっていて作っているのだとは思います。贔屓目ではないと思うのです。おばあさまとの別れの場面はほろっとさせられます。橋蔵さまはあれ位の演技表情でも哀れさを感じさせる独特のものがあるのですから、あまり陰に入りすぎるのはかえって良くないように思いました。
1961年は浅野内匠頭で出演しています。他社の「忠臣蔵」と比較しても1959年の「赤穂浪士」はたっぷり3時間見せてくれましたが、1961年は2時間でした。赤穂義士を語っていくという作品のようでした。内匠頭をメインに出した構成とは違っています。錦之助さんが演じた内匠頭は、上野介にあれだけ嫌みを言われたら刃傷になるだろうと確かに思えます。
橋蔵さまの内匠頭は「ワシが我慢できぬ男と思うか」と、じっと辛さを内に秘め最後まで堪え忍ぶことで通します。哀れさが観客を惹き付けるでしょう。脇坂淡路守が内匠頭を大変だろうと見舞います。淡路守の明るい豪快な笑いと内匠頭のうちに秘めた微笑み対照的です。家臣が釣った鯛を見ながら内匠頭が淡路守がいるのを忘れたかのように嬉しさを表します。私はこの場面に胸を締めつけられ涙がこぼれてしまいます。
家臣の気持ちを量り堪え忍んでいた内匠頭が刃傷になったのかまでの経緯、上野介の嫌がらせが内匠頭にどれほどであったかという場面が少ないので、内匠頭の精神的状況がわかりにくい感じがありました。
片岡源五右衛門との別れのシーン、ここは今まで描かれた別れでなく、無言での目と仕草だけで表しています。ここは、橋蔵さまだから表現できる映像ですね。息をのんでしまいます。「このままもう少しいさせてあげて」と誰でもが思うと思います。
橋蔵さまの内匠頭が、あそこまでの堪え偲ぶ様子を熱演していたのに、あらすじは分かっているよね、というように断片的に映像で見せているので良さが半減してしまっています。じっくりと内匠頭を描いてくれていたらよい作品になっていたのではと思いました。オールスターキャストで枠の決められた時間に仕上げた脚本がよくなかった?
作品の良し悪しが決まるのは半分は脚本でしょう。
そういうわけで、冷静にみて、脚本から見て、血槍無双と赤穂浪士2作品のうちとれがいいといわれたら、そう、「桜花の巻、菊花の巻」ですかしら。

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