振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱橋蔵さま、いつまでも✱ #投稿日2015.12.7
橋蔵さまがお亡くなりになったのを知ったのは夕方のニュースでした。
「えっ、いま何と言ったの」、耳を疑ってしまった。「まさか、うそ」
でも舞台をやらなくなっていて具合がよくないことは聞いていたので、「やっぱり、その時が・・」と葛藤していましたので呆然とした時間が過ぎていきました。こういう時の悲しみって涙はすぐに出てこないものです。
Youtubeに投稿されている動画「東映城のチャンバラスター永遠に」は皆様ご覧になっていると思います。52年放送の中でも橋蔵さまが言っていることは聞いてお分かりになっていらっしゃいますね。
「私がこの世の中で勉強して活躍させていただく場所というのは、三つしかないんじゃないかと。一つは映画界、一つはテレビ界、一つは演劇界、舞台です。この三つを自分の働く場所として、毎年どこに主軸を置いてやっていくかということを考えて進んできました。」このようなことを言っていました。
それから2年あとぐらいのある対談でも同じことを言っていました。そして続けて橋蔵さまはこうもおっしゃっていました。
「私のいまの立場では、映画は別に出て行く必要がありません、現在はテレビを主軸にして舞台を、大衆演劇というものを自分なりの地盤を築いていきたいという気持だ。」「もう一つは、自分個人の踊りを大切にしていきたい」
「娯楽というものを日本のみなさんに提供していくことが自分の一番のつとめではないか、割り切って思っているので、大衆とともに生きていきたいと思う。」
これだけの信念を持ってまた新境地を開こうとしていた橋蔵さまだったのに、早すぎです。橋蔵さまがいたらテレビ界での時代劇も、演劇界も今のようにはならなかったのでは、と思うのです。
藤間紫さんが生前、舞踊界にとっても橋蔵さまが亡くなったことはすごい痛手だとおっしゃっていたように、舞踊界でも大切な人でした。橋蔵さまの創作舞踊とか観たかったです。
東京に住んでいながら・・・橋蔵さまには申し訳ありませんが、この掲示板からご挨拶させていただきます。橋蔵さまが天の世界に旅立たれてまた一つ年を重ねるのと同じ日、私は天へ一歩近くなりました。
広い空から、見つけてください、そして見守ってください。
橋蔵さまが私たちファンのために残してくださった作品から夢、希望をいただき橋蔵さまファンとして邁進してまいります。
橋蔵さま、お好きな綺麗なたくさんの花に囲まれていることでしょう。
墓前にはいかれないので、私はここからお花を手向けさせていただきます。
午前1時29分 合掌。
橋蔵さま、今でもあの日突然の知らせが届いたときのこと忘れることができません。でも橋蔵さまらしい、華のある役者のまま別世界に・・
私たちにいつまでも夢を与えて・・