振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱面白い時代劇を✱ #投稿日2016.5.15
生誕90年 レジェンドトーク 沢島 忠 から私なりに抜粋してみました。
☘ 映画監督となり脚本家でもり、のちに舞台監督までのエピソードをご本人がお話している番組でした。錦之助さんとひばりさんがお亡くなりになるまでの深いお付き合いがあり、このお二人の作品も多く取っている、そのことを頭に入れてお読みくださいね。
橋蔵さまがご一緒したのは「美男の顔役」「若さま・黒い椿」「富士に立つ若武者」「海賊八幡船」「若さま・紅鶴屋敷」の4作品になります。
映画監督になる機会を作ってくれた恩人は月形龍之介さん。沢島さんは錦之助さんとひばりさんとのお付き合いがずっとあった人、二人は天才であった。
錦之助さんの紅孔雀で助監督をしてからの付き合いで、お互いに意気投合して、死ぬまでついて行った。
錦之助は江戸っ子なのにそのような映画がなかったので、一心太助をとり、錦之助の地を出すように撮った。恩人の月形さんには頼んで彦左衛門をお願いした。
東映は、その頃千恵蔵、右衛門の両御大しかいなくて、若い人のが全然なかったから、青春時代劇があってもいいのではないかと思って、錦兄やら橋蔵さんやみんな集めてやろう、ひばりちゃんも。
本社に契約の問題で来ていたひばりちゃんとお母さんが一心太助の試写を見て気に入って、次のかんざし小判は、沢島さんでいくということになった。
ひばりちゃんは歌って踊れて芝居が出来る人、時代劇ミュージカルをやってみよう。当時アメリカからミュージカル映画がいっぱい入ってきていた、ひばりちゃんもミュージカルをやってみたかった。ひばりちゃんとも死ぬまでついて行った。
錦兄とひばりちゃんはわりあい仲よかった、二人はできていましたから。吉右衛門の弁慶のレコードを持ってきてくれた。
千代之介は謹厳実直な芝居ばかりしてちっとも面白くない。ところが酒を飲んだら虎狼撮影所中が大荒れに荒れる位すごかった。よし、千代ちゃん今度は酒を飲んだ時の暴れ方でいけということでかんざし小判の相手役に。
ひばり・チエミの弥次喜多珍道中では、チエミちゃんが負けず嫌いだから相当ひばりちゃんを意識していた。演技者としてのひばりを論じる人がいないが、すごい人。
ミステリー作品の「紅鶴屋敷」
ヒッチコックの作品が大好きだった、ほとんどの作品はアメリカ映画の真似ばっかりしていた。
☘〈中村錦之助と大川橋蔵について〉
錦兄は”立役”で歌舞伎で歌右衛門やいろいろな人に可愛がられていた。
橋蔵さんは”おんながたさん”です。六代目に付いてたんですが、六代目のお妾さんの息子に入りましてね。六代目が夜釣が好きで、橋蔵さんをいつも連れていって、餌がなくなるとすぐ着物のまま飛び込ませて餌をつけさせる。だから橋蔵さんはね、橋蔵さんの一番うまいのはね、泳ぎでした。
✎(錦之助さんとはいつも比較されてしまうとね・・橋蔵さまは演技はダメだったと言いたいの・・とは突っ込まないでね)
「海賊場帆船」やった時に、玄界灘で衣装を着たまま泳いだのは橋蔵さんだけ。それぐらい六代目に鍛えられていたんです。それと、馬がうまかった。みんなトラックの上にのっけてアップ撮ったりするでしょう。
橋蔵さんは全然、カメラはトラックの上にいますが、橋蔵さんは馬に乗ったまま「はい、アップでいけアップでいけ、もっと来てもっと来て」と大きく言った後に、「今度離れて、ロングへいって」全部、馬は得意でした。
☘〈中村錦之助と大川橋蔵の演技〉
演技の面でもお二人は好対照というかどうでした、との問いに。
それはやっぱり、”おんながたさん”と”立役”との違いですね。
性格も、錦兄はぼんぼんの生まれでしょう、不良でしょう、カメラに飛び込んでくるような近代スポーツの良さをもっているのは錦之助。
橋蔵さんはやつぱり、おんながたさんでしたから上品でした。
「人生劇場飛車角」
鶴田浩二、佐久間良子、高倉健の3人はデビューからヒットがずっとなく、沢島さんも年に6本撮っていたがヒットがなく起死回生で挑んだ作品。
運も味方してくれた撮影だった。思いがけなく吹き上げた砂じん、海の荒波と天が助けてくれた。鶴田と佐久間の二人ができていたのも助かりました。
この映画は東映仁侠映画の元祖といわれているが、メロドラマのつもりでとったもの。俊藤浩滋さんが、「お前あんなものがやくざ映画と思っているのか。これからおれがやくざ映画をみせてやるわ」と言っていた。そのあと任侠路線にいった。これでは、たまらんなと思って「股旅三人やくざ」を撮り、やくざ映画を批判する映画にしました。
そしたら、俊藤さんが制作部でぶっ飛ばすように「俺のやくざ映画を批判しやがったな、このやろう」
股旅三人やくざで千恵蔵先生でやれというところを志村喬にした。
錦兄が、志村喬なんて黒沢組で使い捨てられてどうにもならんのに、どうしてやったんだ」と、みんなから攻められた。千恵蔵御大も蹴ったということで、あれ以来ごきげん悪くなりました。
鶴田たちの世界になって、小さくなって時代劇を撮っている状態になっていた。東映がもう時代劇を撮らないというので、東宝からの誘いがあり移籍しので、謀反を起こしたのではない。その後、ひばりさんの舞台監督として映画から舞台にいった。
みんな社会的問題とかいろいろな方へ、藤沢周平とかやっているけてど面白くないじゃないですか。
面白い作品がない、私は面白い作品を撮るのにはだれにも負けませんから、どうぞ映画見てください。