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スレッドNo.29

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱久しぶりに、よもやま話✱ #投稿日2016.8.27

台風10号は勢力を強めて向きを変えて、日本へと向かってきています。30日には東日本に上陸?のようです。 これからが台風の量産時期になりますね、早く過ぎ去ってほしいものです。
蝉の鳴き声もだんだん少なくなってきています。そこまで秋の足音が聞こえているのでしょう。日本の今までのような初秋は来ないかもしれませんね。

久しぶりに、橋蔵さまのよもやま話で、少しの気分転換をさせていただきます。
「江戸三国志 完結迅雷篇」の撮影が終わって封切られたのが1956年6月8日でした。 その2日後、6月10日は当時橋蔵さまファンだった方たちには忘れることはない、そう、新芸プロ主催の第一回「橋蔵まつり」が国際スタジアム(旧両国の国技館)で開催された日でした。
早朝4時ごろからつめかけたファンもあったということ、9時にはスタジアムを二巻きにし、約二万人に近い女性ファンが押しかけ、警官の出動もでた盛況ぶりだったということです。
この時に、是非後援会を・・、との要望が強くあったので、この年の9月には後援会の発足になったのです。

美空ひばりさん、雪村いづみさん、星美智子さん、浦里はるみさんが応援出演し橋蔵さまを祝福してくださったのです。(1番目の画像)
楽屋では、花柳啓之先生も来てのお稽古。ひばりさんも橋蔵さまのために一生懸命。(2番目の画像)
星美智子のお糸ちゃんと「若さま侍」の橋蔵さまが颯爽と現れた時は割れんばかりの喝采、殺陣などを披露しました。
次は極め付けの「藤娘」。 (3番目の画像)
長唄囃連中は菊五郎劇団の方たちで、息も合い橋蔵さまは晴れの舞台を飾りました。橋蔵さま、映画に来てから、初めてファンに見せた舞台での舞姿です。

数年後に、その時の事を橋蔵さまがこうおっしゃっていたことがあります。
「橋蔵まつり」は年に1回~2回開くようになりましたが、ひばりちゃんの応援を得て開催した、華やかな「第一回橋蔵まつり」はいまだに忘れずに、その日のことは脳裏に焼きついているのです。 (省略)
歌舞伎の世界から映画に入った僕のことですから、舞台というものはそれがどこの小屋であろうと、やはり懐かしく、今でも実演というと心おどるものがあります。デビューして間もないときでしたから、いまそのころの顔を見ますと、やはりいろんな意味で心労するものが今より多かったからでしょうか、すこし痩せていたようです。でも、それがひと一倍懐かしいのも、やはり「橋蔵まつり」が盛大にぼくの前途を祝福してくれたからといってよいでしょう。

美空ひばりさんのプロデューサーから、新芸術プロの社長になり、中村錦之助さん、大川橋蔵さまをスカウトした福島通人さんが、この時の事を・・
当日祝辞を述べに来た大川博社長も、この盛況には驚いたらしく大変喜ばれて、橋蔵さまを激励され、そのあと福島さんに「今日は大成功だったね、橋蔵君の人気がすごく、我が事のようにうれしい」と肩を叩かれ、面目を施し、「社長、私もやり甲斐がありました」と、うれしさで一杯になった、とおっしゃっています。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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